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『楽しそうね。我もそろそろ混ぜて下さらぬか?』
そう掛かった声は、魔法陣中心に座ってらっしゃる巫女さん装束っぽい服装の女魔人さんです。
「我が君は貸して差し上げられないが、我が君のお役に立ちたいならば、その間だけは側に上がる事を許そう。」
ノワが偉そうにそんな事を言い出して、それに女魔人さんがクスクスと笑い始めます。
「案じずとも、我はここを離れられぬ。それにどれ程惹かれようとも、お会いできるのは一度きり。そなたの大事な君の願い事を聞いてみようか?」
そう穏やかに返して来た女魔人さんに、歩み寄って行くことにします。
中心付近まで至ると、コルちゃんと猿が左右に分かれて、子分宜しく左右にさっと待機する体勢に入りました。
最早突っ込むことに無駄しか感じません。
何故とかきっともう考えちゃいけないんです。
時間は有限、さっさと忘れて前に進みましょう。
「その願い事っていうのは、何でも良いんですか? 制約とか制限とかは?」
相応しいという文言の意味はきちんと聞いておいた方が良いでしょう。
『そうですね。我の能力で叶えられる望みということになりましょうね。』
「貴女の能力って? 明かして貰えるんですか?」
ここは素直に聞けることは聞いておくべきでしょう。
『我の能力はここを離れられぬ我と同じく、血肉を伴わぬこと。夢を渡ること、心だけを駆けさせること。』
「ん? 身体を伴わずに夢を渡る? 幽体離脱?」
呟いてからハッとして女魔人を見返しました。
「精神体で、飛べる? 何処へでも?」
食い気味に問い返すと、少しだけ苦笑いの女魔人に頷き返されました。
「それは、貴女のガイド付き? 飛んで行った先で周りに気付かれることは? その状態で各種魔法は使える? 仮の器を用意すれば仮宿りして動かす事が出来る?」
前のめりに問い続けると、女魔人にまたクスクスと笑われました。
『面白いわ、そなた。一度にそこまであれこれ確かめるとは、余程具体的な目的がありそうね。そのどれもやろうと思えば可能だわ。但し、そなたの魔力の保つ限り。』
その答えには、よしと気合いが入ります。
「じゃ、カダルシウスの王都の何処かに居るはずの、シルヴェイン王子の元へ。」
迷いなく言い切ったところで、ノワが頰にすりっと頭を寄せて来たようです。
「一途な我が君、可愛い。」
そのノワが呟いた一言に、ぶわっと顔が熱くなった感覚を引き離すように、身体が上に引っ張られたような感覚と同時に酷く寒気がするような気がしました。
『さあ、手をこちらへ。そなたの目指す魔力を辿ることにしよう。』
ぷかりと浮いた身体を引き寄せるように女魔人に手を取られました。
「我が君、片手が寂しいでしょう? 反対は私が引きますよ。今だけ等身大の私をお楽しみ頂ける特典付きですよ?」
反対の手を大きくなったノワにしっかりと絡め取られています。
「何が特典? この無駄にイケメン、顔面兵器が。」
「ええ? 何がそんなにご不満なんですか? 我が君もしかしてショタ趣味?」
「・・・違います。あんたは日頃の言動と壊れた自分の危険性をもっと検証してから物申しなさい。」
冷静に返したところで、女魔人がまたクスクスと笑いながら手を大きく引っ張って景色が霞む程の高速移動が始まりました。
実体なし特典で圧が掛からないのが幸いでしたね、じゃなきゃ絶対圧死か窒息死してましたね。
そんな訳で、無心で両手を引かれている内に、見覚えのある景色が見えて来ました。
外壁の上から眺めた王都の街並みですね。
『そなたの目指す魔力は、あら、随分とと持ち主から離れているわねぇ。枯渇一歩手前まで使い切って、無茶をし過ぎではあるまいか?』
そんな女魔人の言葉に、思わずしかめ面を作ってしまいます。
それから、はっと気付いて女魔人の方を振り向きました。
「今、何時頃ですか?」
『そうねぇ。そなたが魔法陣を起動させた夕暮れの次の朝になったわね。』
この魔人や神様と関わった後の時間感覚の喪失感には慣れませんね。
「直ぐに魔力の持ち主のところに行きたいです!」
朝の清々しい王都の街並みに目を凝らすと、いつか演習場でみたシルヴェイン王子の綺麗な魔力が乱暴に千切り投げられたように散らばっています。
その中でも大きな塊が、王都の地下の一箇所にどんどん送り込まれています。
その送り込まれている先には、その他にも雑多な混合魔力が既に蓄積されていて、大きく地下に描かれた魔法陣と呪詛の黒い帯が古く深く強い力の塊に染みを作るように絡み始めています。
これの完成が正午とすれば、もう余り時間はありませんね。
『良いかしら? 行くわよ?』
眺めている間待っていてくれたのか、女魔人にまた手を引かれて飛んだ先は、薄暗い部屋の中でした。
「これでこの王子様も終わりだな。」
「最後まで搾り取ってやれば良いのに、上から殺すな傷付けるなって言われてるからな。ある意味可哀想なこった。」
「何言っても自分の魔力で守りの要を壊したんじゃ、言い訳も聞いて貰えないだろうよ。」
「無傷で魔力切れで見付かるんだからな。」
「さて、あとはこの魔法陣を始末して撤収だ。」
身勝手な会話が交わされるのを拳を握り締めて聞き流してから、そっとシルヴェイン王子の側に降り立ちます。
先程の会話の通りベッド代わりの台の上に横たわったシルヴェイン王子は、呪詛の帯で身動きを封じられていますが、外傷はなく、ただ深く眠っているようです。
「手足の枷は、正午に合わせて解けるように設定されてるんだと。全く便利なもんだ。」
「それじゃ王子様から搾り取った魔力の残りを後数回送り込んで、あの気味の悪い装置も消えるんだな?」
「あれを用意するのに北の施設に死体が山と積まれたらしいからな。」
聞くに耐えない会話に耳を塞ぎたくなりますが、実体がないのでそれも叶わないことに気付きました。
とにかく、会話の主達がゾロゾロと部屋を出て行くのを待ってから、シルヴェイン王子を取り巻く呪詛の帯に手をかざします。
「我が君。これよりは何をするにも私がお力になります。」
そう言ってノワの手が重なりました。
等身大のノワが背後から覆い被さるように手を重ねてきて、首元で囁く声が首筋に掛かるのは、絶対にワザとだと思いますが、今は溜息で流して解呪に集中することにします。
「最小消費で、素数分解、起点時限凍結。」
呪文を呟きつつ聖なる魔力を乗せていきます。
ノワの手から注がれる温かな魔力と混ぜ合わせて使った還元魔法は、いつもよりも効果が強くて早く負担も軽いような気がしました。
驚いて振り返ると、ふっと優しく微笑み返されました。
「まあ、年の功だと思っていただければ。ほら、役に立つでしょう?」
確かに、これは認めない訳にはいきませんね。
後はあの壊れた人格さえなければ、本当に残念で仕方ありません。
「殿下は取り敢えず魔力切れ状態ってことは、目覚めるまで待つしかないよね? それとも、送り込みのされてない殿下の魔力、いっそ取り戻すのは?」
「嗅ぎつけて、誰かこちらに戻って来るかもしれませんよ?」
全てが終わった後に、真相を知ったシルヴェイン王子の精神的な負担を少しでも減らしたいと思うのは、身勝手な思いでしょうか?
「その前に、殿下をここから動かして隠すのは? ほら、仮の器を作れば宿って動かせるって。」
「・・・上手く行けば良いですが。実体を持つと今のように身軽には動けませんよ?」
確かに、今の実体のない特典は捨て難いかもしれません。
「でも私、ここへは殿下を助けに来たんだよ? 妥協したくない。意味がなかったなんてことには絶対にしたくないから。」
ノワは肩を竦めて溜息を吐いたようでした。




