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「おねー様!」
地下から戻った廊下で、こちらの姿を確認した途端にコルステアくんが走って来ました。
「レイカさん!」
廊下の反対からは、ケインズさんが走って来ます。
これは、もしかして大使館の中を大捜索させてしまったのかもしれません。
「バンフィード殿、貴方が付いていながら!」
と、これはケインズさんの後ろから来たクイズナー隊長ですね。
「あーいや。バンフィード殿は皆さんに知らせようとなさったんですよ? お嬢さんがスーラビダンの王子の側近にホイホイついて行こうとするから。」
とは、いつの間にそこに居たのかナッキンズさんですね。
というか、ナッキンズさん地下牢について行った件はしっかりご存知じゃないですか。
これは、貴方の報告が遅かったって問題では?
「レイカさん? もしかして、泣いた?」
これまたいつの間にやら正面からケインズさんに覗き込まれていて、涙の跡か目がまだ赤かったでしょうか?
「あ、えっと。その、ちょっと、ね。」
適当に誤魔化そうとして、ケインズさんの真剣な顔にそう出来ずに、物凄く下手な流し方になってしまいました。
「ちょっと、いくら王子で遠い親戚だからって、ウチのおねー様虐めないでくれます?」
途端にコルステアくんからかなり剣呑な声音の抗議が来ますが、全くの誤解です。
「コルステアくん、違うから! ちょっと許容量超えて、勝手にパニクっただけだから。」
黒歴史を晒されるような気恥ずかしさで、全力で遮ろうとしたところを、ぐいっと前に引き寄せられてケインズさんの胸に頭がぶつかりました。
「そちらにもご事情があるのだとは思いますが、レイカさんを追い詰めないで下さい。レイカさんは、今物凄く頑張ってるんです。」
低い声で、感情を押し殺したようなケインズさんの言葉が降って来て。
じぃんと胸の奥が温かくなる気がしました。
そのお陰で周りに漂い始めた妙な空気に気付くのが一瞬遅れてしまいました。
「おいおい、何で私が虐めたって話しになるんだ? そもそもお前はレイカの何だ? 本当は女の子なんだからそんな風に簡単に抱き寄せるなよ。それともお前も、目を瞑って視覚からの認識阻害を封じれば、って気付いてしまったのか?」
「・・・別に、目を瞑らなくてもレイカさんはレイカさんです。それより、お前もって何ですか? まさかレイカさんを無理やり抱き寄せたんですか? だからそんな事を言い出したんですか?」
かなりヒートアップし始めた2人のやり取りに、慌ててケインズさんの腕の中から振り返ります。
「ちょ、ちょっと! 何揉め始めてるんですか? しかも、何ですかその論点! 止めてくださいよ、人の黒歴史掘り起こさない!」
必死で割って入ると、テンフラム王子とケインズさんが何故か揃って凪いだ目になっています。
「抱き寄せるのは、黒? 放って置けなくて、こう衝動的に。」
ケインズさんが実演のようにまた背中に回した腕に力を込めてから、躊躇いがちにこちらを覗き込んで来ました。
「・・・ダメ?かな? レイカさんが、可愛くて。愛おしくて。」
「・・・な。」
言葉にならずに息が漏れていくと共に、頰から耳までカッと熱くなって熱を持っているのが分かります。
「はあ。ザックバーン、これは見せ付けられてるのか? というか、お前はシルヴェイン王子と婚約するんじゃなかったのか? 好きかもしれないんだろう? それは、愛人にするのか?」
テンフラム王子の明け透け過ぎる言葉に、更に顔が真っ赤になるのと共に怒りが湧きます。
「ちょっ! 何言ってるんですか!」
上げかけた抗議は、ただ次の瞬間にはもっとギュッと抱き寄せるケインズさんの胸に押し付けられて途切れてしまいました。
「レイカさんは、今は何も考えなくて良い。辛くなったら、こうして俺の腕の中にいれば良いから。」
言われた言葉に驚いて思わずケインズさんを見上げてしまいます。
「あのなぁ。変な風に甘やかすと、後でお互い辛くなるぞ? シルヴェイン王子を好きかもしれないって言いながら、その身を案じて泣くくらいだからな。間違いなく気持ちがあるということだ。」
「分かってます。それでも好きな人が辛くて泣いてるなら、抱き締めて慰めたいと思うのは普通のことだと思います。その人が誰を好きでも関係ない。」
見上げた先で、真っ直ぐテンフラム王子を見返しながら言うケインズさんは、ぐっと胸が熱くなる程格好良いと思います。
ただ、そう思えば思う程、今のどっち付かず何も出来ずの自分が情け無いと思ってしまいました。
「ケインズさん、有難うございます。もう、大丈夫ですから。」
少しだけ強張った口調でそう言って、そっと胸を手で押すと、緩んだ腕の中からスルッと抜け出せました。
途端に聞こえて来たテンフラム王子の溜息の意味を確かめるのも、ケインズさんの顔を見上げる勇気もなく、ただこの場を逃げ出したくて足を踏み出しました。
『我が君。』
と、その進行方向の数歩先の床に、指人形が立っているのが目を入りました。
「え? どうしたの?そんなところで。」
これまで、床の上や地面に立つ指人形を見たことはありません。
いつもベッドや椅子、肩の上にいつの間にか居るという立ち位置だった筈です。
『我が君、ごめんなさい。』
床の上で小さな身体を折り曲げて謝る指人形の姿は、いつも以上に縮こまって小さく見えます。
「何が?」
首を傾げつつそう問い掛けると、指人形が頭を上げてこちらをじっと見上げて来ます。
『我が君の大事な王子様を身代わりに仕立て上げたのは私です。』
「え?」
意味が分からずに目を泳がせつつ問い返すと、指人形は何か覚悟を決めたような顔付きでこちらを見返して来ました。
『我が君が解呪しかけて我が君が受けた呪詛と混ざってしまったあの呪詛は、元はと言えば、王子へ向けられた死の呪いでした。王子は本来、あの呪詛を受けて死ぬ筈だったんです。』
「え?」
更に眉を顰めてしまうと、指人形の顔が苦くなりました。
『それを、我が君が解呪しかけて残りも引き受けたことで王子は生き残った。そして、本当なら死んでその後の定めのない王子だったから、我が君が被る筈だった魔力供給源としての役割を肩代わり出来たんです。』
その告白には、衝撃が大き過ぎて、何を何処から考えれば良いのか分からなくなって来ます。
「・・・殿下は、あの時あの牢の前で、本当は死ぬはずだった?」
ポツリと零すと、指人形は複雑そうな顔で頷き返しました。
『もう1人の寵児、マユリ殿の語る物語にもあの王子は攻略対象として登場しなかったでしょう? それは王太子に、死んでしまった優秀な弟として越えられないコンプレックスを抱かせる役割を持っていたからです。』
この裏話には、何とも嫌な気持ちになってしまいます。
『私は、我が君が身体の元主殿の役割を受け継がずに済むように、我が君を逃して丁度良い身代わりを置き、こうして大神殿に至るように誘導しました。』
「それは、世界の、神様の意思?」
何故か酷く傷付いたような気がしながら口にします。
『・・・半分は。この旅が進むごとに、我が君はこの世界にその存在を認められていきました。滅ぼすよりも、役割を与えるべきだと。それは、私が望んで我が君を僅かばかりは誘導してきたことでしたが。我が君も大神殿で取り引きをと。つまり、役割を負う代わりにこの世界に存在することを認めさせるおつもりではありませんか?』
確かにその通りですが、それがシルヴェイン王子の犠牲の上で、というのは納得出来ません。
「・・・そう。つまり、向かう方向性は間違ってないのよね? 後は、取り引き内容。」
そう呟いたところで、指人形がじっと何か言いたそうにこちらを見上げて来ます。
『我が君。明日は、何卒冷静に。どうか良く考えて、見落とされませんように。』
祈るような真摯さで訴えられて、まだ言えないとても大切な何かを指人形は抱えているのだろうと想像出来ました。
『それでは、お待ち申し上げております。』
言うなり、指人形はパッと姿を消しました。




