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カダルシウス王国東国境を守るヒルデン伯爵家の直轄地で国境の街ルウィニングにある領主屋敷の応接間には、重苦しい空気が漂っていました。
「それで? 王家側からの秘匿魔法の所為で、殆ど話せないだと?」
その空気の一つは、そこに陣取って繰り広げられているアルティミアさんとお父さんのカースキルク侯爵とのやり取りです。
このお父さん、美人のアルティミアさんのお父さんとは思えないような強面な、ただ美丈夫さんです。
ただ、血圧上がり気味で、その話題がこちらに飛び火するのは是非ご遠慮願いたいところです。
「では、改めてヒルデン伯爵にご挨拶させていただきましょう。私、第二騎士団隊長のクイズナーと申します。現在は団長のシルヴェイン王子殿下よりご指示を受けての特別任務中で偶々こちらを通り掛かった次第です。」
「そうか。だが、キースカルク侯爵令嬢と行動を共にしていたのは?」
「ここに来る手前の街ラフィツリタで我が師匠の大魔法使いを訪ねて来られた際に偶々ご一緒することになりまして、そのご縁の延長ですね。」
クイズナー隊長とバンフィードさんのお父さん、ヒルデン伯爵とのやり取りも始まって、片隅に座って少し怠くなり始めているこちらとしては、出来るだけ早くお暇したい気持ちになっています。
「それで彼は? 一体何があってどうなったのか説明して貰えるだろうか?」
「あー、いえ。王家から派遣というのは一先ずの方便でして、彼ならばご子息を助けられるのではないかと思っておりましたので、それに、本人がそのつもりになっておりましたので、やるだけやらせてみるべきかと。ただし、彼のあの桁外れの能力は王家も把握しております。」
このやり取りをクイズナー隊長が代行してくれるのは正直有難いです。
「おにー様、大丈夫?」
この場に先入りしていたコルステアくんが隣から話し掛けて来ます。
「うーん。ちょっと流石に疲れたね〜。」
フォーラスさんとコルちゃんに手伝って貰いつつ、祈りの詰まった水晶の手を借りても、最後まで解呪していくのはかなり大変でした。
雑な部分分解だと3つの命が絡んでいる所為か上手く解けなかったり、他の命と絡んで持ち主の元まで戻れなくなったりするので、かなり神経を使いました。
そして、極め付けはダンプラルドから作られた魔石に蓄積した命の力を元の持ち主に戻す作業です。
呪詛の取り出し指示も完全に解かれているので、元の持ち主との繋がりが切れていて、純粋な命の力を貯蔵した状態になっていました。
本当、何て怖いものが作られちゃったんでしょうか。
これは、敵さんかたには絶対に渡しちゃいけない危険物になりましたね。
偶然の産物なのに、諸々終わったら燃やして処分した方が良さそうです。
その命の力を元の持ち主に戻す為に、仕分け作業と慎重に部分還元魔法を使って持ち主との繋がりを慎重に再構築したりと、本当に神経消耗戦でした。
「もう2度と出来ないし、しないからね。」
泣き言の一つも言わせて貰いたいものです。
「レイナード・セリダインはもう存在しないと、王都で聞いたが? しかも、ランバスティス伯爵ご本人からな。」
と、室内を割って通る声でキースカルク侯爵からの発言があって、シンと静まり返った室内で皆の視線がキースカルク侯爵に、そしてこちらに来ました。
「あーお父さん、ちょっとだけ公表が早過ぎましたねぇ。」
明後日の方をみながらボソッと零すと、隣のコルステアくんが庇うように立ち上がりました。
「待って下さいキースカルク侯爵。これには事情があるんです。」
キースカルク侯爵に真っ直ぐ視線を向けて言ったコルステアくんがチラリとこちらを振り返りました。
「おねー様、あれまた出来る?」
朝鏡を使ってやってみせた会議室でのあれですね。
「待って、今日はもう無理。てゆうか、そこまでご存知なら、逆にレイナードさんが消えて何がどうなったかもご存知なんじゃありませんか?」
キースカルク侯爵に向き直ってそう問い返すと、すっと目を細められました。
良く考えると、王都と行き来するような貴族なら、レイカがランバスティス伯爵家の娘として紹介されたあの夜会での出来事も知っている筈でしたね。
「レイナードさんと中身と性別だけ入れ替わりをした異世界人の私レイカが、第三者からは男性に見える呪詛をかけられた件は知りませんでしたか?」
こうなったら、勢いで言い切った者勝ちじゃないでしょうか。
喧嘩は気合いで勝った方が勝利をもぎ取るものだそうですから。
「私を確実に確保したい王家からの要請で求婚している第二王子殿下が、信頼のおける部下を護衛に付けてくれて。大神殿に解呪の旅に向かっているのですが? それは、道中の安全の為に色々と秘匿もしますよね? それが侯爵様に何か不都合がございましたでしょうか?」
これでも難癖を付けて来るようなら、本気で相手になりますよと強い目を向けると、キースカルク侯爵はすっと戸惑うように目を逸らしました。
「これは、失礼した。近頃の王家には少々思うところもありましてな。不躾な問いを申し訳なかった。」
それはアルティミアさんの婚約問題で、キースカルク侯爵家としては大分煮湯を飲まされたようですからね。
気持ちは分かります。
「ヒルデン伯爵。ご病気のご子息の元にいきなり乗り込んで解呪を始めてしまった件は申し訳ございませんでした。ですが、そうでもしなければご子息の命は消え掛けていたのです。お許しいただけませんか?」
「あ、いえ。勿論、息子を救って下さったことには感謝しております。」
こちらの勢いにタジタジし出したヒルデン伯爵をもう一押しです。
「現在、この国各地でこのように原因不明でタチの悪い呪詛をかけられた方達がいらっしゃいます。お見かけする機会に恵まれた場合には解呪を試みて来ました。これでも、他では困難な解呪を成功させた実績もあります。今回はこちらも慌てていましたのでご説明が後になってしまったこと、お詫び致します。」
と、ヒルデン伯爵が突然目に涙を溜め始めました。
「それでは息子は、もう大丈夫なんでしょうか?」
その内、先生とか呼び出して拝み倒されそうな雰囲気になってきました。
ちょっと怖いです。
とここで応接間の扉が叩かれて、そっと扉が開かれます。
「失礼致します。旦那様! バンフィード様が、若様が目を覚まされました!」
「何?」
ガタンと席から立ち上がったヒルデン伯爵が呆然としたまま呼びに来た使用人の元に向かって行って、少し話しをしてから部屋を出て行きました。
と、ヒルデン伯爵のいなくなった室内には微妙な空気が流れました。
が、そういえば良い機会かもしれません。
「あの、キースカルク侯爵に、もう一つだけ宜しいでしょうか?」
「なんだろうか?」
今度は素直に応じてくれた侯爵に、話しを続けることにしました。
「少し言い難いんですが。今回の呪詛、本当に狙われていたのはアルティミアさんだと思うんです。」
静かに眉を寄せた侯爵と、アルティミアさんは息を飲んだようです。
ご本人の前でどうかとは思ったのですが、これはもう知らせて自衛してもらった方が良いと思うんですよ。
「ところが、アルティミアさんはマユリさんから貰ったあれのお陰で結果として呪詛から守られていたから、呪詛はアルティミアさんを対象には発動しなかった。それで、次点としてバンフィードさんが対象になってしまったんでしょうね。」
「そう、だったのですね。でも、どうしてわたくしが狙われたのでしょうか?」
これにははっきりと答えがある訳ではありませんが、予想は出来ます。
「恐らくですけど、アルティミアさんの魔力見の力が今回の色々の後ろにいる人達にとっては不都合だったんじゃないかと思うんです。」
「成る程、言い方は悪いが、魔力見の姫は確実に潰しておきたかったから、呪詛も大掛かりで、確実に回収する為にアレが来ていたということかな?」
クイズナー隊長が濁しながら確認を取って来ます。
「ええ、多分。」
取り敢えず答えたところで、キースカルク侯爵が身を乗り出して来ました。
「どうやら貴女は娘の恩人のようだ。忠告も有り難く受け取ろう。その上で提案だ。貴女が今抱えておられるものを共有させて貰えないだろうか? ここから王都は遠い。それに話しの向きを聞くにつけ、お父上のお力だけでは心許ないのではないか? 貴女の婚約予定のシルヴェイン王子殿下の現状についても漏れ聞こえて来ている。殿下も娘同様、何かに狙われたのではないか?」
侯爵様、この散在する情報を良く繋ぎ合わせたものです。
「クイズナー隊長、侯爵様も引き込んでおきましょうか?」
この方失礼ながら、なかなか使えそうです。
「そうだね。我々で抱えられる限界をとうに超えているようだからね。君の勘を信じてみようか。」
クイズナー隊長も少々投げやりながら同意してくれました。




