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次は、ということでアルティミアさんが持って来た例の毛糸玉を改めて見てみようということになりました。
小箱の蓋が開いた途端に這い出すように伸びて来た極細い呪詛の帯に、反射的に右手を伸ばしたところで、コルちゃんの額の角から眩い光が放たれました。
その光が呪詛の帯の先端に接触すると、パッと光を散らして分解されたようです。
箱の中には相変わらず呪詛の黒い影を纏わせた毛糸玉が入っていますが、一先ず外に伸びて来る様子はありません。
「流石聖獣様です。それにしても、随分と攻撃的な毛糸玉ですね。一体何を盛り込まれたどんな仕組みの呪詛なのか。」
フォーラスさんのぼやくような言葉に頷きつつ、仕方なく箱の中身を覗き込みます。
「これって、元は何から紡いだ毛糸なんですか? こんな厳重に箱に入れて来たってことは、何か元から理由があるんですよね?」
その辺りをアルティミアさんから聞いてみた方が早道になりそうです。
話しを向けてみたアルティミアさんは、ヴァイレンさんにチラッと目を向けてからこちらに向き直りました。
ヴァイレンさんの方は不本意そうな顔になりましたが、そのまま黙っているようです。
「実は、王太子殿下の婚約者候補から外れてから、エダンミールの貴族家から幾つか縁談が来ていて。実際悪くないお話しが幾つもあったんですわ。そもそもシルヴェイン王子殿下には昔からエダンミールのクリステル王女殿下との縁談がおありになったから、今更国内から婚約者を選ばれる可能性は低いと思われていたんですわ。」
話しは少し逸れていますが、シルヴェイン王子自身からもレイカが候補に浮上するまでは、お相手選びが難航していると聞いていたので、頷ける話しでした。
「そこで、我が家としても国外の貴族も視野に入れてわたくしのお相手探しをしていたのですけれど。そういった縁談相手からの贈り物の中にあったレース編みのハンカチだったのですわ、元は。」
チラッと箱に視線を投げつつ、引きつった顔になってしまいました。
それはもう呪いのアイテムだったとしか言いようがないのではないでしょうか。
「真っ白な光沢のあるそれは見事なレース編みだったので持って歩くことがあったのですけれど。その先で偶々、怪我をされた方の手当てをするのに使ったのです。元々酷いお怪我ではなくて、拭ったハンカチに少しその方の血が付いたくらいだったのですけれど、持ち帰って家の者が洗ってくれた時に、そっと洗ってくれたのにレース編みがバラバラに解けてしまったみたいなのです。」
それで、解けた糸を巻いて玉にしたのでしょう。
「それ自体は仕方のないことと直ぐに諦めがついたのですけれど。実はその怪我の手当てをして差し上げた方が、それから体調を崩してしまわれて。」
気まずいような口調で続けるアルティミアさんに、溜息をついて返したくなりました。
ここにも例の呪詛の被害者がいましたね。
「それで、解けたレースの玉を持って神殿に行きましたの。神殿では微かに呪詛の気配がする気がすると言われて解呪して頂いたのですけれど、怪我をされた方の体調は良くならなかったのですわ。それで、レース編みと彼の体調不良は関係がないのかもしれないと思ったのですけれど、何となく気味が悪くなってしまって、魔力を遮断する箱にこうして収めておきましたの。」
クイズナー隊長とタイナーさんが箱を遠目に覗き見たようでした。
「その贈り主殿が誰かは特定しようとなさらなかったのですか?」
フォーラスさんが真面目な口調で口を挟みました。
「ええ。確かめようとしたのですけれど、元々レース編みのハンカチ自体は贈り物そのものではなくて、贈り物を包んでいた包み布だったようで、家の者も綺麗だから贈り物を取り出してから畳んでおいたという扱いだったようで、目録にも書き留めていなかったそうなのです。当然頂いた可能性のある数家に問い合わせてみましたが、どちらからも心当たりはないと返ってきて、特定出来ませんでしたわ。」
もう怪しい事この上ないのですが、巧妙なやり口ですね。
最早エダンミールが国としてか一部の者がか分かりませんが、怪しい事は間違いないのに、証拠に繋がるものが徹底してないのはかなり厄介です。
「レイカ殿、どうしますか? 解呪してみられますか?」
フォーラスさんに促されますが、他にも気になることがあります。
「その前に、その毛糸玉がアルティミアさんの魔力を避けようとしてるのが気になりますよね? アルティミアさんちょっと毛糸玉に触ってみてくれませんか?」
そう頼んでみると、アルティミアさんは躊躇いがちに身を乗り出して箱に近付きました。
そっと差し入れたアルティミアさんの手を、毛糸玉に巣食う呪詛の黒い帯が揺らぎながら避けるように動きます。
「本当ですね。黒い翳りがアルティミア嬢の手の側から離れるように見えますね。」
皆に解説を入れるようなフォーラスさんの説明に、アルティミアさんが戸惑い顔で首を傾げました。
と、そのアルティミアさんの手首に袖の中からするっと滑り落ちて来た紐が目に入りました。
「アルティミアさん、手首のそれ何ですか?」
幅は1センチにも満たないようなあちらで言うとミサンガのような組紐に見えます。
「ああこれは。」
言いかけて、アルティミアさんが小さく苦笑しました。
「マユリ様から頂いたんです。マユリ様が王太子殿下の婚約者になられると決まった時に。」
少し困ったような表情は、言い難い話しだからでしょうか?
「わたくし、実は王太子殿下の筆頭婚約者候補でしたの。何事もなければわたくしが王太子妃になることがほぼ決まっていましたから、マユリ様が申し訳なかったと仰って。」
成る程これは微妙なお話しのようですね。
ただ、マユリさんグッジョブです。
流石ヒロインですね。
バッチリ呪詛避けの聖なる魔力が篭ってるみたいです。
「それ、大事にして下さい。マユリさんが本気でアルティミアさんの幸せを願って作った組紐みたいです。流石正統派聖女って言うべきか、無意識に聖なる魔力を込めたみたいですね。」
「まあ。そんな大層なものだとは思いませんでしたわ。ただ、王太子殿下の婚約者様に頂いたものでしたからそのまま付けていたのですけれど。」
それは複雑な想いもあったんでしょう。
「そこまで強い効果がある訳じゃなさそうなので常に身に付けておいた方がよさそうですけど、組紐なので耐久度はないから大事に扱って下さいね。耐久強化の魔法を付与するとか、込められた魔力を打ち消さない方法で強化出来ると良いんですけど。」
と、コルステアくんにチラッと良い方法がないか目を向けてみます。
「まあ、難しいだろうね。元の特殊な魔力を打ち消さずに付与の重ね掛けは、かなり高度な技術だからね。」
苦めの口調で言ったコルステアくんがタイナーさんに目を向けました。
「無理だね。魔法使いは普通、聖なる魔力を扱えないから勝手が分からない。出来るとしたらそれこそあんたくらいのものだろうね。」
言ってこちらに視線を返して来たタイナーさんに、肩を竦めてみせます。
「魔力コントロール、何それ美味しいの?ですけど。」
「あーそういう感じなのな。昔、公園更地にしたんだっけ?」
「それ、ホントのレイナードさんのほうね。」
そこはやっぱり有名な話しなんですね。
「ランバスティス伯爵家のレイナード・セリダイン様。まだ10歳頃に一度縁談が上りかけたことがありましてよ?」
くすくす笑いながら言うアルティミアさんにえっと驚愕の目を向けてしまいました。
「おにー様の方が2つ歳下だったし、いつまで経っても魔力を魔法変換出来るようにならないから消えたって聞いたよ?」
なんとコルステアくんも知ってた話しだったんですね。
「レイナード様、魔力だけは凄かったですものね。初めてお目に掛かった時は怖いと思った程でしたわ。レイカ様とは全く違う触れれば切れてしまいそうな程鋭利な魔力の塊を抱えていらしたわ。だから先程、レイカ様がレイナード様のお姿をしてらっしゃるのを見て驚いたのですわ。」
と、これはもう笑うしかないですね。




