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馬車の中には、10歳前後の男の子が1人横たわっていました。
紙のように白い顔色で荒い息遣い、その横に付き添う同い年くらいの女の子が血に染まったハンカチを握り締めて目に涙を溜めています。
所狭しと重ねられた荷物の隙間に寝床を無理矢理作ったような馬車内ですが、それでも足を伸ばして横たわるスペースを確保しているマッキースさんは、子供の体調を気遣いながらここまで進んで来たのでしょう。
コルステアくんとクイズナー隊長が覗き込んでいる後ろからそっと男の子の魔力に目を向けてみると、あれ?と目を瞬かせることになりました。
発言禁止令が出ているので、どういうことだろうと黙って考えてみますが、前の2人は顰めっ面ですっきりしない顔付きのままです。
顔を見合わせてから2人はチラッとこちらを振り返りました。
「妙な魔力が入り込んでる。恐らく、人間のものじゃない。」
そう慎重な口調で口にしたクイズナー隊長は、こちらの顔色を伺うような目を向けて来ます。
「これ、濁った魔物の魔力じゃないかな?」
コルステアくんもそう言いながらこちらに同意を求める視線を向けて来ます。
「つまり、魔物の魔力が入り込んで適合出来ずに身体が拒否反応を起こしてるってことかな?」
コルステアくんの言葉からクイズナー隊長はそう繋げたようです。
「でも、そんな体質だったなら、これまで無事に生きて来られた筈がない。」
コルステアくんがそう続けて、やはり視線がこちらに来ました。
「分かったから。魔石は起動させてるからちょっとくらいなら発言していいよ?」
遂に折れたクイズナー隊長に、にこりと微笑み返します。
「あの子には、心当たりがあるみたいですよ?」
2人の発言を受けて、女の子の顔から血の気が引いていたんですが、こちらを見ていた2人は気付いていなかったようですね。
パッと後ろを振り返った2人が女の子をマジマジと見つめています。
その隙に、男の子の側にそっと手を伸ばしますよ?
『我が君! お止めになって下さい!』
突然の指人形の出現で、疑惑は確信に変わりましたね。
「取り敢えず追い出すだけだから。」
そう小さく呟いてから、男の子に向けて魔力を流します。
魔法変換しない純粋な魔力は、聖なる魔法の源になるものですが、男の子の中の魔物から取り込んだ魔力を身体から追い出して行きます。
「ねぇ、弟君の手を握ってあげて?」
クイズナー隊長とコルステアくんの視線に怖がって身を引いていた女の子がハッとしたようにこちらを向いて、慌てて男の子の手を握りました。
途端に、女の子の魔力が男の子に吸い込まれるように流れて行きます。
体内に取り込まれた魔物の魔力が粗方出て行ったところで、こちらも魔力の送り込みを止めました。
「レイナードくん、何してるの? 手出し口出し禁止って言ったよね?」
「非常事態だったでしょう? ちょっと後で真面目なお話しがありますから。」
いつにないくらい真面目な顔を作ってそう言ってみると、クイズナー隊長も黙りました。
今馬車の中には、乗り込めるスペース上の問題で、こちらの3人と女の子と男の子しかいません。
「あのね、これから言う事絶対に守って欲しいんだけど。弟君とは可能な限り手を繋いだままでいてね? 魔法が使えたとしても絶対に使わせちゃダメ。それと、魔物の側には絶対に近寄らせないこと。」
女の子に向けてそう続けると、コクコクと頷き返して来ます。
男の子の顔色が少しだけ回復して来たでしょうか?
クイズナー隊長とコルステアくんの食い入るような目が刺さりそうです。
「先生、この子達、保護して話し聞いた方が良いです。」
「・・・次の街まで同行するとして、マズイのは何だい?」
決定的な言葉を伏せつつ必要な事を伝えるのは難しいですね。
「ここじゃないと思うんです。」
馬車を差しつつそう返すと、クイズナー隊長は頷き返してきました。
「お名前聞いてもいいかな? お兄さんはレイって言います。」
被りっ放しだったフードを少しだけずらして顔を覗かせると柔らかく微笑んで女の子に名乗っておきます。
女の子はレイナードの顔に驚いたように息を飲みました。
身体の主の癖にこう言うのはなんですが、レイナードは超絶綺麗系イケメンですからね。
「あの、メリルです。」
返して来た女の子の顔が真っ赤で、思わず苦笑いが浮かびました。
無駄に顔が良いって、やっぱり面倒な要素しかないんじゃないでしょうか?
「じゃ、メリルちゃん。お兄ちゃんは弟君とメリルちゃんのことを助けてあげたいと思ってるから、さっきの約束は絶対に守ってね? それから、次の街に入ったら、今後の弟君の治療のことも含めて色々お話ししたいんだけど、いいかな?」
「うん。・・・レイさん、信じても良い?」
潤み出した目を真っ直ぐ向けて来るメリルちゃんに、しっかりと目を見て頷き返します。
「やれやれ、安請け合いはしない。メリルくん、君達の身柄の安全は保証出来ると思うが、弟君の治療に関しては、最善を尽くす、と言い直しておくね?」
クイズナー隊長、後々の事を考えて公人としての立場で言い直してくれたようです。
恐らく大凡の事情は察してくれた様子のクイズナー隊長にホッとしつつ、馬車を出ることにしました。
「マッキースさん、貴方がここの商団長かな?」
出るなりクイズナー隊長がマッキースさんに声を掛けています。
「ええそうです。そちらの責任者の方は? 貴方ですか?」
「ええ、クイズナーと言います。こちらの若様がたに魔法を教えている魔法使いですが、旅の護衛もかねています。」
リックさん達には即行で怪しまれた設定がここに来て生きて来ましたね。
「ところで、馬車の子供達ですが、貴方のご家族か親戚でしょうか?」
「いえ、王都で拾った孤児なんですが、働かせてくれ連れて行ってくれと必死に頼まれましてね。弟の方が魔法が使えるようで、何か役に立つようになるかと連れ出したんですが。」
「魔物との戦闘に無理矢理連れ出したんですか?」
「いえいえ、本人が魔法で援護すると言ってくれたのでね。護衛の後方で魔法を使ってくれていたんですが、途中から突然苦しみ出しましてね。こちらも何が何やら。」
やはりマッキースさんは子供達に危害を加えるような人ではなかったようです。
「次の街に入ったら、あの子達を治療の為に引き取ってもいいだろうか? 症状に少しだけ心当たりがあってね。」
そう慎重に切り出したクイズナー隊長に、マッキースさんも窺うような視線を返して来ます。
「それは、親切心からだと信じて良いんでしょうな? 私もあの子達には情が湧いている、良い加減な人には託したくない気持ちもあるんですよ?」
と、コルステアくんが前に出てクイズナー隊長に並びました。
「先生、良いよ。僕が名乗るから。」
そうクイズナー隊長に声を掛けたコルステアくんがマッキースさんに向き直りました。
「僕はランバスティス伯爵家のコルステア・セリダイン。ウチの領地に向かう途中だったんだけど。同じ魔法使い、年も近いあの子達を見過ごせないんだ。引き取らせてくれないかな?」
コルステアくん流石です。
自分の名前と外見の使い所を良く分かってる優秀な弟ですね。
「まあ、そういうことなら。」
そう言ってから揉み手をし始めたマッキースさんに、コルステアくんがにっこり笑います。
「あ、そうだ。これ、魔力をまだ込めてない魔石なんですけど、凄く質の良い魔石なので、良かったら何かの役に立てて下さい。」
言って荷物から取り出した魔石は、塔の魔法使いが魔力を込めましたって出して来るいつもの魔石よりは目が荒い印象ですが、魔石の端っこに目立たないようにコソッと追跡魔法が込められています。
魔石自体には新しい魔法を込めたり使ったりする余地が残っているようなので、この追跡魔法が予め掛けられていることには気付かないでしょう。
本当に油断ならない子です。
「ああこれは済みませんな。流石はランバスティス伯爵家の若君ですな。お若いのに懐が深くていらっしゃる。有り難く頂戴致します。」
推し頂くように受け取ったマッキースさん、根っからの商売人なんでしょうね。
ちょっとがっかりしたことは内緒です。




