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井戸からの水の汲み方、洗面の仕方、訓練着への着替え方、着替えた服を洗濯に出す時の方法等。
例の中年男が、寒そうな引きつった顔をしながら丁寧に教えてくれた。
それに対して、有難うございますとお礼を言っただけで、鳥肌を立てていそうな引き気味な顔をされてしまった。
それだけで、この身体の主のレイナードという男はどれだけダメな男だったのだろうと薄寒くなった。
「訓練場の場所は分かるな?」
物凄く置いて離れたそうな顔の男に、申し訳ないが首を振る。
「分かりません。」
「は? お前舐めてるだろ実は?」
流石に不機嫌顔になり掛けた男に、こちらも小さく溜息を零す。
「分からないものは分からないんですよ。」
てゆうか、ここは何処であんたは誰で、この男は何者だと問いただしたい。
が、それをやって許される世界観かどうかを確かめてからにした方が良いに違いない。
中世ヨーロッパ風の世界観で、変な事を言い始めたら、いきなり、悪魔付きだとか言われて火炙りとかにされても堪らない。
それまでは、大人しく情報収集に努めつつ、様子を見ることにしようと思う。
無言で歩き始めた男は、ついて来いということだろうか。
こちらも慌ててそれを追い掛ける事にする。
自分の認識よりも前に出せる足は、歩幅が長くて早く歩ける。
男を追っていると息切れして来るが、無駄な贅肉が付いている様子はないので、鍛えて体力を付ければ、結構使い物になる身体なのではないだろうか。
後は、運動神経が壊滅的にダメだとかいうことがないのを祈るのみだ。
ザワザワと騒がしい広場に着くと、こちらに刺すような視線が幾つも降って来る。
そして、あちこちでヒソヒソと、もしくは堂々とこちらを見ながら言葉を交わされるのが見受けられて、非常に居心地が悪い。
しばらくそのままで居ても、誰も寄って来ないところを見ると、友達の1人もいないようだ。
広場にはざっと30人くらいの10代後半から40代くらいまでの男達が思い思いに身体を動かしているようだ。
剣を片手に打ち合いに興じている者達を見て、遠い目になる。
ちょっとダメかもしれない。
身体の主の記憶もないまま、ここで生き抜ける気が全くしなくなってきた。
「レイナード! 走り込みだ! 行ってこい!」
あーはい、走るだけですね〜。
行って来ま〜す。
と言いたいところだが、何処をどれだけですか?
固まっているこちらに、例の中年男の溜息が来る。
「ケインズ! 一周だけ付き合ってやれ!」
「はあ?」
ケインズ、玄関の陰口男の1人だ。
「良いから、行ってこい! 坊ちゃんはご傷心なんだよ!」
投げやりな中年男も、最早ダメ男レイナードに付き合いたくないのだろう。
そうでしょうともと思うが、それが今の自分なので、お手柔らかに見捨てずにお願いしますと言いたい。
ケインズが物凄く嫌そうな顔で顎をしゃくって来る。
新人には優しくして欲しいですが、きっとこれまでこのダメ坊との間に色々あったんでしょうね。
お察ししますが、優しくして下さい。
取り敢えず、ケインズの方に歩いて行く。
と、ケインズは不機嫌を隠そうともせず、背中を向けて走り出す。
レイナードの体力とか走るペースも知らないが、取り敢えず足を踏み出してケインズの後を追う事にする。
走り始めると、直ぐに息切れして苦しくなってくる。
この男、これまでどうしてたのか知らないが、かなりのヘタレっぷりのようだ。
ケインズの落ちないペースと比べると、とんでもなく体力不足だ。
笑い出した膝に、このペースは無理と、自主的に速度を落として走ることにする。
すると、先を走っていたケインズの姿はあっという間に見えなくなる。
遥か前方には姿の見えないケインズは、何処かで曲がった様子だが、それが何処か分かりそうにない。
それっぽい辻を見つける度目を凝らしてみるが、全く分からなくて途方に暮れてしまう。
戻って途中で逸れましたとあの中年男に訴えてみようかと思ったところで、前方から数人の人影がこちらに向かって来るのに気付いた。
「あ! 貴様レイナード!」
その余り好意的では無さそうな男の声に、顔が引きつる。
あのー、うちのレイナードが何かしてましたでしょうか?
脳内応答に答えて貰える訳もなく。
剣呑な雰囲気の3人の若い男達に囲まれてしまう。
「ふん貴様1人か。今日こそは逃がさないぞ!」
言われて後退ってみるが、包囲網を作る男達に、ずるずると追い詰められて行く。
「あ!」
男達の背後に、関心を向けるように大声を出して指差してみるが、この世界で何に関心を向ければ良いか分からなくて固まってる内に、視線を戻される。
「ふざけるな貴様!」
という言葉と共に、顔面に拳が来る。
咄嗟に手を出して顔を庇ったが、別口で来た拳が横腹を打って、ガクガクの膝が保たずに呆気なく後ろに倒れ込む。
そのまま、気絶したふりをする事にして地面と仲良くしていると、足と丸めた背中に何発か蹴りを入れられた。
激痛と共に息が詰まるが、ぐったりと倒れ込んでいると、何か捨て台詞を吐きながら、男達は去って行ってくれた。
因みに、死ぬかと思う程痛いので、このまま寝てしまう事にしようと思う。
目が覚めたら、このダメ男とは是非お別れ出来ていることを祈っています。