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ガクンガクンとお尻に来る衝撃を逃しながら、必死で前を向いていると、背後を分厚い胸板に支えられている感触がリアルに来ます。
「レイカ、膝は締めて、背筋は伸ばして。今は私が後ろにいるから良いが、1人乗りになれば自分でバランスを取らなくてはならないからな。」
存外優しい声音が聞こえて、少しだけくすぐったいようなドキッとするような不思議な感覚を覚えてしまいます。
乗馬練習に付き合ってくれるとは言われていましたが、思ったより密着するこの体勢はちょっと恥ずかしいかもしれません。
ただ、シルヴェイン王子にはレイナードに見えている筈なので、恥ずかしい感じがするのはこちらだけなのでしょう。
馬の背は、思ったよりも地面から離れて高さがあるので、車を運転する感覚とは大分勝手が違います。
「どうだ? 歩ませるのに慣れたら、少し走らせてみようと思うから、しっかり掴まっていなさい。まずは馬上にいることに慣れてから、1人で乗る練習をする。」
やはりシルヴェイン王子の声音が優しいので、訓練と言いながらも調子が狂う気がします。
いっそ魔法訓練の初っ端のようにスパルタだったら、なにくそと思って自棄っぱちでやってやろう精神で乗り切れそうな気もしますが、シルヴェイン王子どうしたんでしょうか?
遂にレイナードの見た目でもレイカに脳内変換出来るようになってしまったのでしょうか?
そんな不毛な努力は要らないと言ったのですが、意外に真面目なシルヴェイン王子は、妙なスキルを習得してしまったのかもしれません。
「シルヴェイン王子、手ギュッと握り過ぎです。もうちょっと緩めて貰っても大丈夫ですから。」
ついそう口にしてしまうと、ハッとしたように手の力が緩んで、チラッと見上げたシルヴェイン王子の頰が僅かに赤く染まっている気がしました。
「どうしたんですか? レイナードの手ですよ? そんな大事そうに握らなくても。」
余計な一言まで付け足してしまうと、シルヴェイン王子は苦笑しました。
「何故だろうな。この間神殿で抱き締めた時から、確かにレイナードにしか見えないのに、細い肩に小さな背中、そしてこうして握ると手は小さくてか弱い手に感じられるようになった。」
気の所為ではなく熱の篭ったその言葉に、思わず咳き込みそうになりました。
「ちょっと待って下さいよ。シルヴェイン王子、サヴィスティン王子と同類に近付いてませんか?」
思わず抗議の声を上げると、シルヴェイン王子が眉を顰めました。
「一緒にするな。失礼な。」
どちらが失礼だろうかとちょっとだけ思いつつ、ふっと笑ってしまいました。
「余裕だな。それじゃ、早速走らせてみるか。喋るなよ、舌を噛むからな!」
少しだけムッとした口調のシルヴェイン王子は、馬の腹を蹴って走らせ始めます。
確かに、歩かせるのとは比べ物にならない程の衝撃が来て、喋るどころではありません。
その中でバランスを取るべく体重移動させるのは中々難解そうです。
後半は重心移動に着いていけずに、殆どシルヴェイン王子に背中を預けっぱなし状態になってしまいました。
お陰でちょっと怖いと思ったことは内緒です。
あとはお馬さんと仲良くしつつ、地道に自主練するしかないでしょう。
「後は、万が一落馬し掛けた時に咄嗟に魔法で立て直す、もしくは無事に着地する魔法の練習もしておこう。」
至れり尽くせりな訓練メニューにも、シルヴェイン王子の心配が込められているような気がします。
「えっと、何から何までありがとうございます。」
「いや、一緒に行ってやれないからせめてそのくらいはさせてくれ。じゃないと心配で送り出せない。」
と、これは遠慮なく甘みが加わっていて、驚いてしまいました。
「えっ?と? レイナードに見えてますよね?」
「くどい、残念だが外見はレイカには全く見えない。だが、中身が君だということは、疑う余地も無い。そう、レイナードは君のような表情も言動もしなかった。顔が表情が違うんだ。」
この説明には、成る程と納得してしまいました。
「そっか、そうですよね?」
ケインズさんにもそんなようなことを言われたんでした。
それには、何だか心が温かくなるようなじんわりとした幸せを感じる気がしました。
「そうですよね。もしも、呪いが解けなくても、婚約とか結婚が無理でも、レイナードじゃなくて、レイカとして上司と部下の関係で生きて行くことを許してくれますか?」
そこは、念の為そう問い掛けてみると、複雑そうな顔をされました。
「それは、・・・むり、いやそうなったらその時に考えよう。」
言い直したシルヴェイン王子でしたが、レイナードに見えるレイカでの騎士継続はやはり難しいということでしょう。
「えーっと、騎士がダメなら事務官として雇って下さいよ。遠征の時は一番後方で魔法のお手伝いとか治療のお手伝いとかしますし。」
そう冗談っぽく言ってみると、シルヴェイン王子には眉を顰められました。
「だから、そうじゃない。それでもレイカのことを諦められないかもしれないっていう意味だ。」
「え? でも、レイナードにしか見えないんですよ? 私の方が無理です。」
そうはっきり返してしまうと、深々と溜息を吐かれました。
「色々と考えていたらな、自分でも正解が分からなくなって来た。レイカが向こうの世界で暮らしていた元の姿を私は見たことがない。レイナードが女性化した姿がレイカだと思って来た訳だが、レイカにとってはそれも他人の外見だった訳だろう?」
「うーん、そうですね。最近少し慣れて来ましたけど。でも、元の私ってもっと地味な外見だったから、シルヴェイン王子の目には止まらなかったと思いますよ?」
そこは何となく予防線を張ってしまいました。
「分からないだろう? 見たことないんだからな。それに、どんな外見でもレイカはレイカの表情だってことだ。」
これには、ちょっと顔を見せられなくなってしまったので、前を向いて振り返りませんよ?
「耳が真っ赤だぞ。」
そう揶揄うような言葉を耳元で囁かれて、ムッとしてしまいます。
ですが、まだ顔の赤みは絶対に引いてないので振り返っての抗議は出来ません。
「知ってましたけど! シルヴェイン王子って時々凄く意地悪ですよね?」
「可愛くていじめたくなるのは、レイカだけだな。因みに喜ばせたくなるのも、幸せにしたいのもな、お前だけだ。」
ここぞという時だけ、このちょっと粗野なお前呼びって、反則です。
言葉に詰まってお前って呼ばないで欲しいとさえ言えなくなるんですから。
色々悔しいし、絆されそうになる自分に一番困ります。
まだ色々自分の中で消化出来てなくて、応えられないのに。
「落馬しそうですから、ちょっと黙ってて下さい!」
ムッとした風を装ってそうぶっきら棒な声を出すと、シルヴェイン王子に後ろでふっと笑われました。
「動揺して馬から落ちそうなのか? それはしっかり魔法の練習をしておかないといけないな。こうして大神殿に向かう間中、私の事を思い出してゆっくりじっくり考えていれば良い。良い宿題が出来たな。」
この勝気な王子様には、呆れ果ててしまいますが、強ち的外れじゃなくなりそうな辺りが悔しいです。
仕方がないので精々呆れたふりの溜息を深く深く吐いておきました。




