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王子様の宮の料理人が腕を奮った晩餐は、非常に美味しかったです。
セイナーダさんや侍女さん達にこちらでのテーブルマナーもしっかり叩き込まれたので、食前のお祈りからカトラリーの使い方まである程度マスター出来ているんじゃないかと思います。
宮の晩餐は、騎士団の食堂の料理とは食材の質と一皿の料理に掛ける手間暇が明らかに違うようです。
大衆食堂の料理とフランス料理のフルコースの差ってところでしょうか。
毎日食べるとなると、庶民だった身としては食堂の料理が恋しくなりそうです。
満足度と身体の為に、を考えて宮の料理人さんにリクエストしていこうと思います。
とそんな晩御飯を終えて、用意して貰った部屋に戻ってお風呂と寝支度を済ませたところで、メイドさん達が帰った後の部屋の扉を叩く音には、ちょっとびくついてしまいますね。
「私だ、少しいいだろうか?」
聞こえてきたシルヴェイン王子の声に、戸惑いは隠せません。
「えっと。もう寝巻きなんですけど?」
女子としては、主張しておくべきところでしょう。
「・・・済まない。だが、それでも少しだけいいだろうか?」
躊躇った挙句にそれでも入ってこようとするシルヴェイン王子には、余程の用があるのかもしれません。
因みに、レイカとしてネグリジェ的な寝巻きを着ているので、やはりレイナードの女装に見える筈なのですが・・・。
「・・・仕方ないですね。お入れしますけど、手短にお願いしますよ。」
見た目レイナードですから、艶ごとに発展するとは思えませんが、化粧も服装もオフの状態で、他人様の特に男性には会いたくないですよね?
そこは察して欲しかったところです。
ささっとガウンを羽織って寝巻き一枚の状態を回避してから、扉を開けることにしました。
「夜分に済まない。」
少し気まずそうな顔で素直に詫びを口にするシルヴェイン王子ですが、何か憂いがあるような顔付きでした。
「まあ、今日は特別いいですけど? どうかしたんですか?」
照れ隠しに素っ気無い口調で言って、応接テーブルに付属の椅子に案内します。
「・・・本当に申し訳ない、が。予想通りなら、そろそろかと思ってな。」
何のことか分からず首を傾げてみせると、シルヴェイン王子は更に苦い顔になってから、気を取り直したように首を振ったようです。
「ここで何か足りないものや不自由はないか? 可能な限りで君の要望に応えたいと思っているが。」
こういう気遣いは、流石王子様といったところですが、その彼のこの時間の訪問の意図が読めません。
「いえ、今のところ快適に過ごせてます。コルちゃんもこちらのベッドで寝始めてるし、問題ないかと思います。」
「・・・そうか。サークマイトが居たな。なら、夜に寝室に1人になる事はない訳か。それはそれで良いが、サークマイトは夜中に何事かあれば起きて君を助けようとするのか?」
その慎重に確かめるような問いに、こちらも首を傾げて曖昧に答えてしまいました。
「さあ、夜中に何かあった事はないですからねぇ。」
「・・・まあそうだろうな。」
溜息混じりに返して来たシルヴェイン王子は、何が心配なんでしょうか?
と、そこでバルコニーに繋がる掃き出し窓が前触れなくキイッと小さな音を立てて開きます。
「え?」
驚いてマジマジと見つめた先で、バルコニーから室内に滑り込む黒っぽい影が。
「来たな。」
そして、お向かいで確信を持った口調のシルヴェイン王子、この事態を予測してたってことですね。
「あれ? 折角の夜這いに先客有り?」
慌てた様子もなくそう小首を傾げて言って下さったのは、サヴィスティン王子ですね。
折角の黒ずくめの扮装から頭の被り物を落として、にこりと笑い掛けて来ました。
「ふうん? じゃ、いっそ3人で楽しむ?」
相変わらずの最低発言に、深々と溜息を吐いたところで、シルヴェイン王子に視線を戻します。
「これですか? 殿下の訪問理由。」
「ああ、まあな。」
言葉少なに答えてくれたシルヴェイン王子もドン引きのようですね。
「取り敢えず、沈めて良いですか? 引き取って帰ってくれるんですよね?」
「ああ、少し経ったら遅れてあっちも厄介な回収者が来るから問題ない。」
「・・・苦労してるんですね?殿下も。」
何となく分かり合えた雰囲気を分かち合ったところで、闖入者を振り返りました。
「ん?あれ? 僕これでも王子だからね、ハザインバースみたいに身体強化付きで殴って沈めるとか、国際問題になるから、ね?」
若干冷や汗混じりの及び腰発言には、にっこり笑顔を向けてあげます。
「あ、僕男だからって可愛いネグリジェ姿がダメとか言わないからね。良く似合ってるよ? 理解のあるパートナーになれると思うんだけど。」
不穏な空気をかき混ぜるようにそんなフォローを入れてくれたようですが、ほっとけですね!
「煩いですよ、王子様。男じゃないって言ってるでしょ? 理解力のない人間をパートナーとか、慎んでお断りですから。お休みなさい。」
言って王子に向かって翳した手から聖なる魔法を発動させます。
身体を眠った状態のパラメータまで進めるつもりが、想像したのが前夜の就寝風景だったせいか、還元魔法に傾いたようです。
身体からごっそりと魔力が抜けて、思わず上体が傾いでしまいました。
「レイカ?!」
シルヴェイン王子が驚いたように席を立つのを視界の端に捉えつつ、あちらも地面に倒れ込むサヴィスティン王子の真下に風魔法で椅子の上にあったクッションを全部飛ばして敷き詰めておきました。
立った状態から気絶すると危ないって言いますからね。
それにしても、この魔法の使い方、色んな意味で危なかったですね。
安全な行使方法が確率するまで自粛の方向で。
「大丈夫か!」
こちらは椅子に手を突いて身体を支えている状態ですが、テーブルを回り込んで来たシルヴェイン王子が上体を包み込むように支えてくれます。
「えっと、ちょっとやらかしましたね。」
誤魔化すようにちょっとだけ笑みを浮かべてみせると、シルヴェイン王子が怒ったような厳しい顔になりました。
「お前は! だから試してもいないような新しい魔法を詠唱も無しで次から次へと使うなと言っているだろう! 魔法は失敗すると危険なのだと何度言ったら分かる!」
久々の本気のお説教に耳が痛いです。
「はい、ごめんなさいです。ノリと格好良さより堅実さ、大事でしたね。」
へらへらっと返してしまうと、更にシルヴェイン王子の顔付きが怖くなりました。
「格好良さだと? お前には何を言えば伝わるんだ? 禁じても守らないし無茶ばかり繰り返して! その内命まで失ったらどうするつもりだ! 断じて許さないぞ!」
言い切ったシルヴェイン王子が心配そうに眉下がりになって目が少しだけ潤んでいるのに気付いて、こちらが慌ててしまいます。
「あ、えっと。ほんとにごめんなさい! 未検証の魔法をノリで使うの自粛しますから!」
言い募るこちらに、シルヴェイン王子がふいと目を逸らしました。
「あれ? そこで、もう心配させるなよ?とか言って顎に手を添えて顔を近付けてキス、じゃないの?」
と、呑気な言葉がサヴィスティン王子が倒れている辺りから割り込んで、シルヴェイン王子と2人キッと睨むような目を向けてしまいました。
「こんばんは〜、良い夜ね。これ、引き取るわ。」
その視線を流しつつ続けたのは、クリステル王女ですね。
「あら、寝言まで言いながら良い夢見てるみたいね。何々? シルヴェイン待ってろ? ほんと、我が兄ながらほんと空気読まないダメ人間ねぇ。」
容赦ない言葉でぶった斬ったクリステル王女ですが、どうしても一言言っておきたくて口を開きました。
「その王子様に言っといて下さい。今私には強力な呪詛が掛かってて、その反作用で私にキスした人は死にますからって。」
「・・・凄い呪いね。事故が起こらないように言い聞かせとくわ。」
引き気味に返してくれたクリステル王女ですが、ふと口元を緩めるとこちらを見てにっこり一言。
「美形は女装しても綺麗よ? ネグリジェ、良く似合ってるわ。」
兄妹ですね。
もう色々突っ込むのは止めようと思います。
慣れた手付きでサヴィスティン王子を背負って引きずったクリステル王女は、寝室の扉に向かって行きました。




