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シルヴェイン王子の宮の一室に荷物を運び入れて一段落したところで、部屋に侍従さんが訪れて、シルヴェイン王子が執務室でお待ちですと伝えられました。
今日も朝から散々な騒ぎの後、シルヴェイン王子を振り回した自覚はあります。
まあ、こちらの所為ばかりとは思いませんが。
お仕事、滞って大変なのでしょう。
執務室への呼び出しには素直に応じようと思います。
そんな訳で、お引越しを手伝ってくれた皆様にはお礼を言って解散することになりました。
因みに、こちらの離宮にはメイドさん達とハイドナーは常時出入りを許されている状態です。
ランバスティス伯爵家の皆さんは、玄関から入って侍従さんに声を掛ければ出入り可能とのことですが、お父さんとイオラート兄が乗り込んで来そうな予感がしますね。
侍従さんに案内されるまま向かったシルヴェイン王子の執務室ですが、扉の前には護衛騎士さんが2名詰めていて、今更ながらシルヴェイン王子が王族だったのだと再認識してしまいました。
侍従さんに促されるまま扉を叩いて来訪を告げると、扉を開けたランフォードさんが迎えてくれました。
通された執務室の奥で、難しい顔で書類と向き合っているシルヴェイン王子の姿が目に入りました。
「あの通り、殿下は一段落までもうしばらく時間が掛かりそうなので、しばらくあちらのテーブルでお待ち頂けますか?」
ランフォードさんに応接テーブルの長椅子に案内されて座っている事になりました。
今後のこと、特に呪詛絡みの神殿に行く話しなど、気になることは沢山ありますが、忙しそうなシルヴェイン王子の実情を目の当たりにすると、何も問わずにそっとしておいてあげたいような気もしてきます。
一先ず隣の国の迷惑な殿下達が帰るまでは、暫定婚約者のふりくらいはしても良いかと思っています。
ランフォードさんが淹れてくれたお茶と茶菓子をゆっくりと頂きながら待つ間、先程ケインズさんにされた告白のことを考えていました。
あちらの世界で陥れてくれた最低男と並べては失礼な程、中身も外身もイケメンなケインズさんからの告白は、冷静なフリをしていましたが、かなり衝撃的でした。
女性化したレイナードの外見がいくらその辺に落ちてないレベルの美少女?美女?だとしても、ケインズさんにそこまで思って貰える程のものだろうかと思ってしまいます。
特に今はレイナードにしか見えない外見に認識阻害されていて、それでもあの温かい言葉を貰えるというのは凄い事だと思います。
シルヴェイン王子ですら、レイナードの外見に変わったことが受け入れられないとはっきりと言われた程ですからね。
ケインズさんの目には今の自分はどんな風に移っているのだろうと気になりますが、とにかく呪いの解呪が済まない事には、どこにも進めないのが実情です。
しばらくは、それに甘えていて許されるでしょうか?
と、そこでランフォードさんが何か書類を持って近付いて来るのに気付いて目を上げます。
「レイカ嬢、退屈なさっているなら、こちらに目を通しておいて頂けますか?」
言われてランフォードさんの持って来た書類に目を移すと、人の名前がズラッとリスト化されているのが目に入りました。
「えっと、何ですか、これ?」
問い掛けてみると、良い笑顔を返されました。
「今現在名前が上がっている、シルヴェイン王子殿下の婚約者候補一覧です。」
ん?と小首を傾げてみせると、これまたランフォードさんの笑みが深くなりました。
「家柄から外見の簡単な特徴など、列挙しておきましたので、これを頭に入れておいて頂ければ、何処かでお会いになってもそれと気付ける筈ですから。」
「・・・はあ。でも、何故に?」
レイナードの外見の内は、迂闊に誰にも会わない方が良い筈なのですが、何か方針変更でもあったのでしょうか?
「今回の件で、暫定でも婚約者と殿下が口にされましたので、レイカ嬢は婚約者候補のお一人と認識される事になるでしょう。そうなりますと、他の候補者や関係者から何かしら探りが入ったり接触がある可能性が濃厚です。ですので、そうなった場合の対処も含め、これから私の方からご説明させて頂ければと思っております。」
成る程、という説明が来ましたが、正直言って何でそんな面倒臭いことになった? というのが本音ですね。
「あの、ランフォードさんにも私、レイナードに見えていますよね?」
念の為に訊いてみると、にっこり笑顔で躊躇う事なく頷き返されました。
「元があれ程お可愛らしいレイカ嬢ですから、本当にお気の毒ですが、見た目の認識齟齬なのですから、呪いが解ければ何ら問題がない事ですし。解呪の方は頑張って頂くとして、殿下との婚約問題はそれとは別次元で進行して行きそうですからね。」
「・・・進行、していくんですか? 私、お返事していませんけど?」
半眼で返すと、ランフォードさんは一瞬だけ笑顔を引き攣らせたものの、直ぐに立て直して来ました。
「そこは、殿下の頑張りに期待しましょう。せっかくお側に来られた事ですし。これからは、ご一緒に過ごして相互理解を深める時間も前よりは取りやすくなるでしょうし。」
この側近、ブレませんね。
中々の強引さです。
流石は王族の秘書官ってところでしょうか?
それとも、主人がシルヴェイン王子だからでしょうか?
「後々家庭崩壊したくなければ、始まりが肝心だと思いますけど? なし崩し戦法とか、絶対に受け入れませんからね。」
こちらもしっかりはっきり口にしておくと、ランフォードさんの笑みがまた一瞬崩れ掛けました。
「ははは。本当に手強くていらっしゃる。」
「それはどうも? でも、一生が掛かった選択を適当に済ませるつもりはないので。しかも、一度心なくもへし折られてる人生なので。」
これには、流石にランフォードさんの笑顔も歪みます。
「うーん。流石は捻くれ殿下の好みのど真ん中を貫く人ですよねぇ。私の手には余りそう。」
言って下さるランフォードさんには半眼で睨みをくれておきます。
「放っておいて頂けます? 殿下のど真ん中とか全く興味ありませんけど、一々気の迷いに振り回されたくありません。平和に静かに安穏と暮らす生活を手に入れるのが、今のところの私の目標ですから。」
「・・・・・・」
賢明にも口に出して反論して来なかったランフォードさんですが、内心を色々と飲み込んだ微妙な顔をしていました。
「ランフォード、代われ。」
とそこへ、シルヴェイン王子の微妙に不機嫌そうな声が掛かります。
執務机の方からこちらに向かって来る顔は、疲れが滲んでいるように見えます。
「はい。」
言いながら、流れるような動作でシルヴェイン王子のお茶を用意に掛かるランフォードさん、有能な秘書官さんなんでしょうね。
「ランフォードの話しにも一理なくはないが、今は気にしなくて良い。もし仮に誰かに婚約の事を何か問われても、今は答える段階ではないと返しておいてくれれば良い。」
一刀両断してくれたシルヴェイン王子のお言葉は、ちょっと有難いです。
分かってくれているのだとホッとしてしまいますね。
「だが、せっかくこの宮にしばらく一緒に住むのだから、交流を持って互いを知る機会は積極的に設けるべきだと思っている。そこは、付き合って欲しい。」
こう真っ直ぐに頼まれると、断る理由もなくなってしまいます。
「あー、はい。それは、勿論構いませんけど。」
曖昧に返してしまったこちらに、シルヴェイン王子はふっと表情を緩めて微笑み返して来ました。
が、その笑顔はちょっと反則ですね。
いつも厳しめイケメンのふわりと緩んだ嬉しそうな笑顔とか、目の毒以外の何ものでもありませんから。
思わず目を逸らしてしまった上に、耳が熱いってことは、ちょっと赤くなってしまったかもしれません。
「よし! 頑張れば、レイカが照れてる可愛い顔に脳内変換出来てる! その調子だ!」
目の前で拳を握ってそんな言葉を溢してくれたシルヴェイン王子には、直後ドン引いてしまった訳ですが。




