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コルステアくんと共に帰り着いた宿舎玄関は、少しざわ付いた空気が漂っていました。
その中からこちらに駆け寄って来たのは、クイズナー隊長です。
「戻ったね。今、従者や侍女が荷造りを始めているから、支度が整ったらまた殿下の宮に移動になる。」
決定事項として告げられたクイズナー隊長の言葉に、えっと目を瞬かせます。
「いつの間にそんな話しに?」
問い返してみると、少しだけ咎めるような目で見返されました。
「後から殿下よりご説明があるけどね。例の来賓がいらっしゃる間は、レイカくんは殿下の暫定婚約者として離宮住まいをして貰う事になったよ。」
「はい?」
疑問と共に反論しようとした言葉を、クイズナー隊長が手を挙げて制して来ます。
「勿論、離宮の一室というだけで殿下とも部屋は離すし、今は特に呪詛の件があるからどうこうということもないだろう。だが、あの両殿下方からお二人共を守るとなると、纏めておくのが良策と判断されたんですよ。」
「・・・誰が?」
「・・・殿下が、ですよ。」
これには、少しだけホッとしますね。
国王がそう決めたなら、それは正式決定に移行しそうですからね。
「そですか。じゃ、支度手伝って来ます。」
ここは反論せずに従っておくことにしましょう。
そんな訳で踏み込んだ宿舎玄関で、騎士さん達の視線がザッとこちらに向きます。
フード越しに感じる視線は、何か訝るようなもので、向けられて気持ちの良い視線ではありません。
と、それを割ってこちらに近寄って来るのは、ケインズさんとオンサーさんですね。
「俺達も手伝うから、行こうか。」
他の騎士さん達を遮るように立って誘導してくれるお二人には感謝です。
お言葉に甘えつつ、宿舎の階段を登って自室に向かうことにしました。
部屋に入ると、モレナさんとカドラさんとハイドナーがバタバタと動き回って荷造りしています。
その中でも手を付けづらそうにしているコルちゃんの荷物纏めに取り掛かる事にします。
トイレと餌のトレイ、檻の簡単な掃除を始めると、コルちゃんが寄って来て興味深げに覗き込んで来ます。
「コルちゃん、お引越しだよ? 少しの間だけ、王子様のお家にお泊まりするんだよ?」
希望も込めてそう説明してみると、コルちゃんはコテンと首を傾げたようでした。
と、オンサーさんと一緒にハイドナーを手伝ってくれていた様子のケインズさんが、こちらに手伝いに来てくれたようです。
「レイカさん手伝うよ。重い物は運ぶから。」
フードを落として作業をしているので、完全に外見はレイナードに見える筈ですが、ケインズさんは変わらずレイカとして気遣ってくれるようで、有難いです。
「ケインズさん済みません、助かります。」
にこりと笑顔でお礼を言ってみると、こちらを向いたケインズさんがふと苦めの笑みを返して来ました。
「何だか、不思議だな。外見は完全にレイナードに見えて、でも中身はやっぱりレイカさんで。どんな外見でも、もう以前のレイナードとは別人にしか思えないんだなって。自分でもそれが不思議で、さ。」
そう言ってくれたケインズさんには嬉しいようなくすぐったいような気持ちになります。
「有難うございます。そう言って貰えると、ホッとするというか、嬉しいです。」
こちらも素直にそう言葉に出来て、でも照れ臭くなりますね。
と、少し俯き気味にケインズさんから視線を外したところで、いつの間にかやけに静かになっている室内に気付きました。
パタンと静かに部屋の扉が閉まる音が聞こえて、そちらを見ようとしたところで、ケインズさんが小さく咳払いして強い視線を感じます。
「あの、さ。レイカさん俺、言おうかどうしようかずっと迷ってたんだけどな、言えなくなる前にやっぱり言っておこうと思うんだ。迷惑かもしれないけど、言わずにおくのはやっぱり卑怯な気がして。」
言葉を切ったケインズさんは真剣な目をこちらに向けていて、こちらも何を言われるやら緊張して来ます。
頭の中では、言われそうな言葉のリストがずらずらと流れてきますが、そのどれとも断定出来なくて、ただひたすらドキドキと心拍数が上がります。
「俺、ごめん、レイカさんの事が好きになった。レイカさんは恋愛はしばらくいいって言ってたのも知ってるし、言われても困るんだろうと思うけど。好きだって気持ちは隠せないし、言わずに下心付きで側にいるのは卑怯だと思って。」
その正直過ぎる告白に、困ったような嬉しいような複雑な心境になります。
泣きたいような笑いたいような、どんな顔をしていいのかさえ分からなくて。
眉を下げて俯いて、それでも足らずに手で顔を覆ってしまいました。
「・・・ごめん、返事が欲しいとか、応えて欲しいとか、そういう事じゃないんだ。ただ、レイカさんはこれから殿下の宮に移って、もしかしたらしばらく会えないかもしれない。それに、その間に殿下との婚約が本決まりしてしまうかもしれないだろ? 殿下とのことは、上の事情も絡むような話しで、レイカさん達の気持ちよりも国の都合で決められてしまうかもしれない。」
だから、今このタイミングでケインズさんは告白してくれたんですね。
「でも、もしもレイカさんがどうしてもそういう無理やりな婚約が嫌なら。俺、レイカさんと逃げても良いと思ってる。それだけ、覚えておいて欲しい。」
本当に、嫌になる程のケインズさんのイケメンっぷりに、涙が出そうになりました。
いえ、本当はちょっとだけ目元が潤んでしまったのは内緒です。
それをぐっと堪えて、息を吸い込みます。
俯いていた顔を上げて、ケインズさんを真っ直ぐ見つめ返します。
「ダメですよ。国家に喧嘩売るとか、簡単に口にしちゃ。でも、お気持ち嬉しいです。私、容認出来ないような不本意な事を押し付けられて、どうしても納得出来なくなったら、自力で逃げるって決めてます。でも、その時にどうしてもケインズさんと離れ難くなってたら、もしかしたら攫っていくかもしれないので、その時は諦めて付き合って下さいね。」
精一杯の笑顔付きで返すと、ケインズさんが驚いた顔になってから、少し視線を外して口元を歪めて笑ってくれました。
「・・・分かった。そうなったら、精々攫って貰えるように色々頑張っとく。」
そう言ってからこちらに熱の篭った笑みをくれたケインズさんからは、男の色気がダダ漏れでした。
それを真正面から目撃してしまって、否応なく赤くなる頰に手を当てて冷ましながら、視線を逸らして室内を見渡してみると、図ったように見事に誰も居なくなっていました。
「もしかしてみんな、ケインズさんの気持ち知ってた?」
つい溢してしまうと、ケインズさんが苦笑したようです。
「気付いてくれなかったの、レイカさんだけだな。」
そう言われると、色々と腑に落ちることもあるかもしれません。
「あれ、もしかしてシルヴェイン王子も知ってた?」
時折妙なタイミングで出て来るケインズさんの名前は、そういう事だったんですね。
「うん。だから、結構牽制されてたと思う。俺の方も分かってて噛み付いたりしてたから、目障りだったんじゃないかな?」
あっけらかんと言ってくれたケインズさんの言葉には、こちらが冷や汗が出る気がしました。
「ちょ、ケインズさん、良い度胸過ぎですよ? 権力者に無闇に楯突いちゃダメですって。」
失うものが無くて、いざとなれば全部捨てて実力行使で何とでも出来る魔力持ちのこちらはともかく、ケインズさんには手堅く生きてもらいたいものです。
「だったらレイカさんも、色んな意味でもう少し自分を大事にして欲しい。」
真面目な顔付きでそんな言葉が来たところで、部屋の扉が開きました。
と、戸口に立ったコルステアくんが腕を組んで中々の威圧感の篭った睨みをこちらに、というかケインズさんに向けています。
「おねー様、いつまでやってるの? 聖獣様セット次運ぶよ? 荷物持ちもちゃんと働いてくれる?」
こちらとケインズさんに向けて、中々の冷ための視線をくれるコルステアくん、弟としてケインズさんを牽制中なんでしょうね。
「あ、はーい。ごめんごめん。」
取り敢えず流して、作業に戻る事にします。
この間、大人しくこちらにもたれて寛いでいたコルちゃんも漸く身を離して大きく伸びをして尻尾をふわりと振りました。
「じゃレイカさん、こっち運ぶね。」
ケインズさんも何事もなかったように重い荷物を持って運びに掛かりますが、こちらに向ける笑みに遠慮なく糖度を込めていて、それに渋い顔になっているコルステアくんがいたりして、小さく肩を竦めてしまいました。




