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神殿からやって来た神官には、会議室やヒヨコちゃんの側で呪詛の気配を見付けてもらうことは出来ませんでした。
ただ、会議室でコルちゃんと力を合わせて使った聖なる魔法の形跡ははっきりと確認出来たとのことで、そのくっきりと残る痕跡には感心されてしまいました。
還元魔法で完全に解呪しきってしまったことで、呪詛の形跡が完全に消えているのだろうという見立てでした。
何だか悔しいような気もしますが、ほんの少しでもヒヨコちゃんに影響が残らなくて良かったと思うべきでしょう。
さて、ここではっきりとぶち上げてしまった宣戦布告の所為で、恐らく呪詛の主だろうエセ賢者がどう出るか気になるところですが、覚えておけと捨て台詞を吐いて下さったファーバー公の反撃も怖いですね。
「今夜の夜会で、一悶着あるかもしれないな。」
と呟いて下さったシルヴェイン王子が、何故かやる気満々なのも不安要素の一つでしょうか。
本日最後の餌やりに来たお母さんがスリスリして来るのに、こちらからもスリスリ頬を寄せて癒しを求めてしまったのは、ちょっと見逃して欲しいと思います。
お母さん、いつもよりスリスリ時間を長く取ってくれて、ちょっと喜んでいたような気もします。
とはいえ、お母さんと意思疎通が出来ているとか間違っても思ったりはしませんから、大丈夫ですよ?
そんな訳で、自室に戻って夜会の着替えやら身支度やらの準備が始まって、出来上がった頃に訪ねて来たケインズさんとランバスティス伯爵家のお母さんと兄弟達二人が、例の話しを始めたようです。
「レイカちゃんを騙して陥れて振った??」
イオラート兄、語尾が震えてますね。
握った拳がプルプルしてます。
「何処のどいつだ!」
「・・・えっと、レイカさんの元の世界の人ですよね?」
胸倉掴まれ掛けてるケインズさんですが、ちょっと申し訳ないですね。
「ぐっ! レイナードは今そっちに居るんだろう? 当然そいつのことは何とかしたんだろうな?」
そんな事を言い出す兄に、近付いて行く事にします。
「レイナードさんと完全にさよならする前にちょっとだけ話した時に、再起不能になるまでめり込ませといたから安心しろって言ってました。」
ちょっと乾いた口調で口を挟んでおくと、兄が肩で息を吐いて、少し怒りを収めたようでした。
「まあ、その男に関しては、私の見る目がなかった事もあったと思いますし、レイナードさんがきっちり方を付けてくれたと言った以上、割り切ろうとは思ってるんです。私もこっちでレイナードさんの敵と戦いつつ生きて行くしかない訳ですし。でも、それと今すぐ誰かと恋愛しなさいっていうのは話しが別で。」
この主張って、理解して貰える類のものなんでしょうか?と不安になって来ました。
「それってやっぱりアイツが元凶なんじゃないの?」
ここで口を挟んだのは、コルステアくんです。
「おねー様があっちで相手の男をギャフンと言わせる前に連れて来たから、消化不良気味で割り切れないんでしょう?」
正にその通りですが、コルステアくんって相変わらずレイナード嫌いなんですね。
「でもまあ、過ぎたことは取り返しようがないし。おねー様は政略結婚だって割り切れば? 少なくとも利害が一致してる間は裏切られることもないし。シルヴェイン王子に我が家を敵に回す危険性をしっかり教え込んでおけば良いんでしょ?」
おっとコルステアくん、お貴族様的な思考回路全開発言ですね。
「まあ、殿下ならば問題ないだろうが、その内レイカちゃんが気持ちが落ち着いた頃に殿下とも向き合って仲を深めて行けば良いことではあるが。」
イオラート兄も少し不本意そうにしながらもそう続けて来ます。
「あら、二人とも女心が分かってないわね。レイカちゃんは、それでは殿下に対して不誠実だと思っているのよね?」
うーん、そうなんでしょうか?
「殿下は、レイカさんを本気で口説き落とすと宣言されたみたいで、でもレイカさんは気持ちがついて行かないからそれは待って欲しいそうで。それを上手く伝えられないのだと。ですから、ご家族から殿下にそれとなく伝えて頂くのが良いのではないかと。」
ケインズさんがそこで代弁を入れてくれて、ランバスティス伯爵家の3人の視線がこちらに来ます。
「まあ、殿下がおねー様に落ちるのは時間の問題だと思ってたけど。ファーバー公の件が引き金になった訳だ。」
流石と言うべきか、ファーバー公との今日のトラブルの事は、兄弟の二人にも正確に伝わっていたようです。
「殿下から父上に即行で謝罪があったくらいだからな。殿下も腹を括られたというわけだ。こうなっては、レイカちゃんを離す方が危ないからと。」
それで、イオラート兄もシルヴェイン王子の正式求婚を容認する空気だったんですね。
不味い気がしますね。
完全に外堀埋められてます。
この短時間で、シルヴェイン王子仕事早過ぎですよ?
「うーん。だが、レイカちゃんの気持ちが追い付かないのでという理由で、殿下からの求婚に対する返事を先延ばしにしているというのは、案外悪くない手かもしれないな。中立派の立場を取って来た我が家としても、色々と根回しする時間稼ぎに丁度良い。」
あ、ランバスティス伯爵家の皆さんの方が腹黒かったかもしれません。
シルヴェイン王子ごめんなさい。
と、心の中で謝っていたところで、扉が叩かれて当のご本人様が訪ねていらっしゃいました。
「こんばんはレイカ嬢。お迎えに上がりました。」
全開の王子様スマイルが眩しいです。
団長としてのお仕事中とは違い、夜会仕様の王子様の衣装も流石にサマになっています。
青銀色の髪は一糸の乱れもなく後ろに流して、赤味の強い紫と珍しい色の瞳は甘く優しく細められて、口元も優しく綻んでいます。
この人、絶対モテまくってる筈です。
そんなシルヴェイン王子に熱量多めに求婚されて待ったを掛けてるなんてことが知れ渡ったら、間違いなく女性の敵を量産しそうですね。
「私の平凡平穏敵なし人生返せ。」
ボソッと溢してしまったところで、いつの間にか右手を握っていたシルヴェイン王子が小首を傾げています。
「今宵の美しい君は、何処にも埋没出来ないと思うが?」
でしょうね、貴方が隣でその熱視線を向けて下さる限り。
心の中で皮肉ったところで、気を取り直して抜かりなくキスされた手を引っ込めます。
「殿下、今宵はレイカのエスコートをお引き受け下さりありがとうございます。が、ランバスティス伯爵家としましては、殿下のご提案にまだお返事は差し上げておりませんので、くれぐれも節度をもってお願い致します。」
イオラート兄が早速牽制球を投げています。
「成る程、確かにまだ許可は頂いていないが、いずれは家族になる間柄。余り構え過ぎるのもどうだろうか。」
それでも強気でやり返すシルヴェイン王子、流石貴族社会の真ん中で生きる人ですね。
「はあ。」
思わず思いっきり吐いてしまった溜息に、皆の視線が集まって来ます。
「取り敢えず今日は、私がランバスティス伯爵家の娘だと顔を見せてくれば良いんですよね? それが済んだらさっさと帰って来て良いですか?」
「・・・まあ、程々で切り上げて来るのは構わないだろう。」
イオラート兄から許可が出ました。
「レイカは、夜会や華やかな場に着飾って出るのは、好きではないのか?」
シルヴェイン王子がそう気遣わしげに問い掛けて来ます。
「それはそうです。私、庶民仕様ですから。お金持ちの社交の場に馴染みはないですよ。王子の嫁として社交界を牽引して行くとか、正直向いているとも思えません。まあ、仕事だと言われれば出来ない事はないでしょうけど。」
冷たくそう返しておくと、シルヴェイン王子が少しだけ眉を寄せました。
「ランバスティス伯爵家にはお世話になるので、その恩返しとして社交が必要と言われれば頑張ります。社交界っていう戦場での戦略にも従いますよ? でも、申し訳ないんですけど、最後まで駒の一つとして生きるつもりはないですし、生き方は選ばせて貰います。今は、エセ賢者潰しの為に共闘関係だからこの立場に身を置きますけど、いずれカタがついた時にここが居場所ではないと思ったら、独立も考えます。」
言い切ってしまうと、場の空気が一気に重くなってしまいました。
「・・・つまり、私にしろランバスティス伯爵家にしろ、君を手に入れたければ、君の心ごと手に入れろという事だな。」
シルヴェイン王子が心憎い事を言ってくれましたね。
「・・・そこは、ドン引いて下さいよ。ドライな関係の方が楽な時もあるじゃないですか?」
そう混ぜっ返すように口にしてみると、シルヴェイン王子には溜息を吐かれました。
「いや、無理もない事だと気付いていて然るべきだった。まだここは、君にとって安心出来る場所でも信じられる環境でも無かったのだな。それを、こちらの都合で囲い込もうとした事は申し訳ないと思う。だが、手を緩めてあげることは出来ない。この手を取ってくれるなら、君の居場所は私の隣に作る。居心地良く暮らせるように整えて何時如何なる時も君を守ると誓おう。」
予想に反して物凄く重い宣言が返ってきて、溜息混じりに目を逸らしてしまいました。
とそこに扉を叩く音がもう一つ来ました。




