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トイトニー隊長の去った会議室で、シルヴェイン王子は席を立ってこちらに向かって来ます。
そして側まで来ると、徐に目の前で膝をついて座りました。
「レイカ殿。私の力が及ばず申し訳ない。貴女を私の事情に巻き込んでしまった。この上はどうか私に貴女に降り掛かる全てから守らせて欲しい。」
大変有り難いお話しですが、それって具体的に?
と、そんな考えが顔に出ていたのか、シルヴェイン王子がこちらを見詰める目に更に力が込もります。
「レイカルディナ・セリダイン殿、私と結婚して欲しい。」
それは、今の状況を乗り切るまでの取り敢えず婚約って事でいいでしょうか?
と、目を瞬かせていると、シルヴェイン王子が何処かもどかしそうな顔になって手を伸ばして来ました。
所在なく膝の上に置かれていた右手を取られて引き寄せられると、手の甲にキスされました。
ギョッとして引っ込めようとした手は思いの外しっかりと握り込まれていて、びくともしません。
「一度纏まってしまえば、途中で破棄は難しい。私も覚悟を決めてランバスティス伯爵に君を頂きたいと頭を下げに行くし。君を丸ごと愛する努力をしたいと思う。幸い君の事は、少し破天荒なところはあるが考え方も外見も性格も好ましいと思い始めている。」
これにはちょっと驚いてしまいました。
そんな好ましいと思えるようなところ、何処かにありましたでしょうか?
あ、万人受けしそうな外見以外。
そんな訳で黙って固まっているこちらに、シルヴェイン王子は少しだけ口元を苦く緩めました。
「急な話しで戸惑っているかとは思うが、前向きに考えて欲しい。結婚するなら、形ばかりではなくきちんと愛のある家庭を築きたいと思っている。許して貰えるなら、君を振り向かせる努力もする。余所見をさせないくらいには君に心を砕くと誓おう。」
どうやら本気で口説かれ始めているとは分かるのですが、ズキリと胸の奥が痛んで、シルヴェイン王子から目を逸らしてしまいました。
「あの、済みません。ちょっとそういうの待って下さい。心の準備が。てゆうか、無理です、今は。ほんと、少し待って貰えませんか?」
動揺して支離滅裂になりながら、手を引っ込めようとしていると、漸くするりと王子の手の中から抜け出せました。
チラリと反応を窺うようにシルヴェイン王子に目を向け直すと、真面目な顔で目を眇めているのが見えました。
「余り待ってあげられない。私の方はその気になったので、全力で口説き落とす事にしよう。後悔はさせないから、早く私の手に落ちて来なさい。」
久々にドSが顔を出したシルヴェイン王子に、こちらの顔は思いっきり引きつります。
「いや待って。それって、そもそもこっちに許可取る気なんかないんじゃ。」
溢してみた言葉には、にっこりと押しの強い作り笑顔が返って来ました。
俺様王子に攻略されそうになってる美少女とか、他人事なら面白く見てられますが、身に降り掛かるのは是非ともご遠慮願いたいです。
ここは、戦略的撤退を試みて、策を練って対処しようと思います。
「あーえっと。そろそろヒヨコちゃんの次の餌の時間じゃないかなぁ? 夕方の夜会の準備もしなきゃいけないし。そろそろお開きで良いですか?」
「夜会、か。今夜のは流石に間に合わないが、次の夜会からは、私がドレスや装飾品を贈るので楽しみにしておいて欲しい。」
いやいや待って!
本当に完全包囲網に掛けられてませんか?
「ちょっと! お父さんにまだ許可貰ってないでしょ! その前に私も返事してませんからね!」
あれ?その意味ありげな笑みは何でしょう?
絶対の勝算があるとでも?
何だか物凄く腹立つんですけど。
「と、とにかく、これで一旦失礼しますね!」
椅子を思いっきりシルヴェイン王子と逆に下げて席を立つと、何やら空気を読んでいる様子のヒヨコちゃんとコルちゃんを連れて逃げるように会議室を出ました。
と、すれ違ったクイズナー隊長がキョトンとした顔をしています。
「どうしたんです? これから神殿から神官が来ますからそのまま会議室待機で良かったんですよ?」
「来るまでしばらく掛かりますよね? その前にちょっと気分転換してから部屋に戻って夜会の準備とか、ヒヨコちゃんの餌やりとか。」
ちょっとだけ目を逸らしてもごもごと言い訳してみると、何か察したのかクイズナー隊長は優しい笑顔になりました。
「ああ、その真っ赤な顔を冷まして来るんですね。レイカくんにも普通の女の子なところがあってホッとしましたよ。いってらっしゃい。」
優しいふりしてそっとしておいてくれない空気の読めなさは、がっかりです。
きっと睨み返してから、無言で通り過ぎてやりました。
そのまま部屋に戻るのも気が乗らず、ぶらぶらと歩いて訓練場に向かうと、午後はほぼ無人の筈の訓練場に数人人がいるのが見えました。
誰か自主訓練でもしているのでしょう。
邪魔にならないように訓練場端のベンチに座りに行きます。
部屋に缶詰状態に飽きた頃、ヒヨコちゃんの羽ばたき練習にかこつけて朝の訓練にお邪魔した時座ったのがここでした。
あの時はハイドナーがヒヨコちゃんとコルちゃんを見ててくれたんでした。
と思ったところで、訓練場で自主訓練していた人達の話す声が聞こえて来ました。
「と、このくらい出来れば相手の初手くらいは防げる。」
「成る程、護衛任務の騎士様がたはそういった配慮をされていたんですね。」
その二つの声の両方に聞き覚えがあって、ん?としっかり身体を向けて目を凝らしました。
と、あちらもこちらに気付いたようで、ハッとしたようにこちらに注目しつつ近付いて来てくれました。
「あれ? レイカさん?」
「レイカお嬢様!」
ケインズさんと何とハイドナーです。
「あれ? ケインズさんもう復帰ですか? で、ハイドナーは何で訓練場? 騎士になるの?」
ケインズさんは明日以降復帰だと聞いていたのですが、早まったんでしょうか?
「ああ、身体慣らしかな? ちょっとなら良いってリムニィ医師に言われたんだ。」
「そこで、私が護衛の為の武術の手解きをお願いしていまして。」
ケインズさんに続くハイドナーの発言はイマイチ趣旨が分かりませんでした。
「ふうん? 従者辞めるの?」
貴女の従者ハイドナーのキャッチコピーは即行で捨てられることになるんでしょうか?
「はい? いえいえ、私は一生レイカお嬢様の従者でございますよ? この機にレイカお嬢様をお守りする護衛術を磨こうと思っておりましたところ、それならとケインズ様が快くご教授を引き受けて下さいました。」
目を瞬かせるこちらに、ケインズさんが少し照れ臭そうに笑い、ハイドナーは従者スマイルを浮かべて返してくれました。
「あーそうなの。ケインズさん有難うございます。それからハイドナー、あんまり気合い入れて頑張り過ぎなくて良いからね。従者が過労死とか寝覚め悪いし。イオラートお兄様の明らかやり過ぎな再教育にも真面目に付き合わなくて良いからね。」
ついそんな突っ込みを入れてしまうと、ハイドナーが目を瞬かせています。
「まあでも、イオラート様とハイドナーの気持ちも分かるけどな。レイカさんの従者だから、ごく普通の従者くらいでは務まらないだろうからな。」
と、少し苦い口調で口を挟んだのはケインズさんでした。
「えーっと、中身が異世界の人間だから、それはまあ色々非常識なところもあると思うけど、そこはそれなりに私自身が頑張るので。」
少しまた落ち込むような気がしながら言葉にすると、ケインズさんとハイドナーが慌てたような顔になりました。
「レイカさん? 何かあった?」
つい深々と溜息が出てしまっていたようで、ケインズさんからそんな問い掛けをされてしまいました。
「あー、えーっと。まあ?」
曖昧に誤魔化したところで、ケインズさんが真面目な顔付きでベンチの隣に座り、ハイドナーも深刻な顔付きで斜め前に立ちました。
何故か、ここでも誤魔化せずに包囲網を築かれている気がします。
「あーあのね。まあちょっとだけ落ち込むって言うか、色々自分が情けなくなるというか。そういう事あるでしょ? 今そのループにハマってるところなんだよねぇ。」
そう言葉を濁して終わらせようとしたのですが、それで?というケインズさんとハイドナーの圧の篭った視線が返ってきて、尋問のお時間は終了に出来そうにありませんでした。




