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「レイカくん! まだ今の君の手には負えないから、下がってなさい。」
クイズナー隊長の厳しめの声も、荒い息で紙のように真っ白なケインズさんの顔を見て、意識から締め出されてしまいました。
「神殿の高位の治療師が来たら、助かるんですか?」
「それは、」
言い澱むシルヴェイン王子の言葉で、また頭が白くなり掛けます。
「君がそこを退いたら、毒の回りを遅らせる処置をする! 退きなさい!」
先程よりも強い口調のクイズナー隊長の言葉に、これまた反射的に首を振っていました。
理屈じゃないんです。
ここから今退いたらケインズさんが助からない事だけは、何故かはっきりと分かってしまいました。
そっと手を触れたケインズさんの肩の辺りから、人体模型のように全身を巡る血管と臓器が透けて見えるようになりました。
「何を、しようと?」
シルヴェイン王子がハッとしたように言葉を溢しています。
「せっかく見えても、医学知識はないんだけど。」
焦ったように呟くと、リムニィ医師がはっと息を呑んだようです。
「血管の動きが変、かも。色がおかしいし、流れる程臓器の動きが弱くなったり痙攣し始めてる。」
「毒よ、回って来ちゃってるんだわ。」
リムニィ医師の言葉に更に目を凝らすと、血液の中に混ざる異物が見えました。
「血清、なんかないわよね? これを取り去るには? ええと、血液だけ還元して戻す? いや、それじゃダメよね? でも臓器に手を入れると、タイミングによっては危険? てゆうか全身還元は多分根本的にNGよね?」
ブツブツ呟きながら、聖なる魔法だけの治療に頼るのは無理と判断しました。
「うん、ここはやっちゃいましょう。中身がバレなきゃ何とか後から言い訳作れば良いし。」
という訳で、部屋全体に結界魔法を張ります。
これだけは聖なる魔法じゃないと気付かれるでしょうけど、中でこれから使う魔法は見せない魔法不透過結界です。
ちゃちゃっと張った結界の中で、まず毒素らしきものを結晶化させてコーティングして血管壁に貼り付ける事にします。
血栓になりかねないので応急処置ですが、毒をこれ以上取り込まないようにするならこれしかないでしょう。
臓器に入って分解して他の物質に置き換わっているものは取り除けませんが、そこは他で手を打つしかないですね。
とにかくこの結晶をどう取り除くかですが、気長に排泄まで待っていられる気がしないので、直ぐにどうにかしましょう。
「転移魔法、とか? ミクロで生命体じゃないなら、そんなに難しくないよね?」
ブツブツ言いながら魔法構築の為に想像してみようとしていると、ポッと手元に小さな影が現れました。
「我が君、我が君。私めがお手伝い致します。」
ここで都合よく現れた指人形、何気に勉強熱心で知識も持っている魔人のこの子ならば、確かに役に立つかもしれません。
「分かった、お願い。」
頷いてみせると、指人形はくいくいっと何かを手招きするような仕草をしました。
「神獣化したサークマイトは、聖なる魔法をお使いになる時はお側に置かれた方が何かと便利です。術の精度も上がりますし、魔力消費も抑えられる場合がありますので。」
言った側から、ヒヨコちゃんを背中に乗せたコルちゃんが虚空から飛び出して来ました。
そう言えば、ケインズさんの事を聞いて走り出した時、ヒヨコちゃんとコルちゃんを置き去りにしてしまったんでした。
「サークマイトとハザインバースの雛鶏! どうやって?」
クイズナー隊長の呆然とした声が聞こえますが、これも聞き流す方向で。
「ヒヨコちゃんは部屋の隅に待機、コルちゃんは側に居て。」
何故か従ってくれる2匹を他所目に、まずは毒素の転移です。
「指人形、転移魔法で気を付ける事は?」
「あの毒素を体外排出ですか?」
「そうだけど、促進でケインズさんに負担を掛けたくないから、強制的に転移魔法で取り出したいの。」
「転移魔法で取り除く事自体は我が君であれば難しくないでしょうが、それに伴って血流が悪くなります。血圧が下がれば今のこの方の場合、お命に関わるかもしれません。」
そう言われると、何も手の施しようがないように感じます。
「毒素のこれ以上の取り込みは防げたから、神殿から治療師が来るのを待つべき? でも、臓器がそれまで保たないかも。造血って、骨髄の造血幹細胞が細胞分裂を繰り返していくんだよね? 骨髄だけに促進かけるのは? やっぱり負担だよね?」
ブツブツ溢していると、リムニィ医師が一歩こちらに寄って来ました。
「造血剤、あるわよ?」
「指人形、造血剤って骨髄に促進かけるよりも負担にならない?」
「造血剤というのは、貧血を補うものですので、血の成分の内の一部を作り出す作用を起こすもののようです。本来の造血とは少々異なるようですが、この方に促進魔法を掛けるよりは、もしかしたら負担が少ないかもしれません。」
指人形のこの知識量、侮れません。
ヤンデレ化の懸念がないなら、即契約を宣言したいくらいですね。
「じゃ、リムニィ医師今すぐ造血剤用意して下さい!」
毒素転移させたら即行で造血剤を?
「我が君、青い血の方に入れて下さい。」
「了解! 静脈のほうね!」
打てば響くこのやり取り、凄いかもしれません。
リムニィ医師が大急ぎで薬品棚から液体を持ち出して来ます。
「一回の使用量ってどれくらいですか?」
「これくらい、飲ませるんだけど、意識がないから難しいかも。」
成る程、これも静脈に転移させるとして、やっぱり飲ませるのとでは必要量が違いそうです。
「スプーン一杯を目安にいってみましょう。」
これには指人形も確信が無さそうです。
「医学、真面目に学ぼうかな。」
ポツリと溢しながら、余計な事は頭から締め出すことにします。
このやり取りの間、シルヴェイン王子とクイズナー隊長は黙ってこちらを見守ってくれることにしてくれたようです。
少しずつ毒素の転移を始めます。
その辺りに置かれていた金属トレイに結晶化させてコーティング済みの毒素が微かにコロンコロンと音を立てながら転移し始めます。
大きいものでも直径1から2ミリ程度ですが、ハードコーティングをイメージしたので、ガラスかプラスチック樹脂的な何かに覆われているのでしょう。
ある程度進んだところで、造血剤を一滴ずつのイメージで青く見える血管内に転移させて行きます。
血流が一時乱れるような動きを見せましたが、毒素の転移が完了した頃には、流れは一先ず一定に戻っているようでした。
ですが、それで臓器の動きが劇的に良くなったようには見えません。
このままではダメな事は明白です。
「ここからは、やっぱり促進を使うしかないんだよね?」
指人形に目を向けて問い掛けると、少し躊躇いがちに頷き返されました。
「分かった、腹括る。動きのおかしい臓器から範囲を広げながら少しずつ自己修復の促進魔法掛けるね。」
これ以上は、医学知識のない身で臓器の働きを考えながら正しい治療を行うのは無理です。
「リムニィ医師、聖なる魔法の促進を掛けていくので、ケインズさんの状態確認してて下さい。」
「・・・まあ、ちょっと乱暴なやり方だけど、レイカちゃんなりに根拠のある処置だったって信じるわよ?」
「そこ、今掘り下げないで下さい。神殿の治療師がまだ来ない以上、今やらなきゃ悪くなる一方でしょう?」
リムニィ医師が肩を竦めて反論をやめたのを確認してから、深呼吸を一つ。
ケインズさんの時折痙攣を起こしている臓器にそっと手を当てました。




