第八話 おっぱいを清潔にしよう。いや牛の話。
相談された農家の家に着く。
ユーリゲくんに待っておくように伝えると、ボッグが「おでが担ぐ」と言う。
ひょいと持ち上げて肩車に。
おお、この二人って名コンビじゃない?
ユーリゲとボッグに農家の人がおどろいく。
おれの助手と伝えると安心したようだ。
問題の牛は、牛舎でぐったりとしていた。
スキルを見られて調教師と思われるのは避けよう。
おれたち三人だけにしてもらった。
牛と会話したところ、身体が熱いと言う。
「ユーリゲくん、どう思う?」
「ナガレ様、牛と話ができるので?」
「ああ、特殊スキルでね。調教師って評判悪いらしいから、これ内緒ね」
「う、牛神様……」
手を合わせようとしたのをやめさせ、見立てを聞く。
「その牛のフンが、そこにありますが下痢しているようです。乳房が痛いか聞けますか?」
牛に聞くと、痛いと言う。
「乳房炎、ではないでしょうか?」
なるほど。人間のママでも起きるやつか。
たしか雑菌が入るんだっけ。
「対処法は?」
「たしか、乳房を清潔にすることと、安静にさせること。文献ではそう書いてあったと思います」
そうか、この世界、抗生物質はなさそうだ。
清潔にするんならアルコールが欲しいとこだがなぁ。
ワインは見たけどウイスキーとかあるんだろうか?
蒸留酒が作れないと、高い度数のアルコールは作れない。
それにしても、ユーリゲくん、すげえな。天才めっけ!
ユーリゲから聞いた話を農夫にも伝える。
ちょっぴりドヤ顔で説明した。
農夫から熱い感謝の言葉を受け、家路に着く。
帰りは走らずに歩くようにとボッグに言った。
「我が家もそうですが、不潔なのがいけないのですね」
隣に座るユーリゲが、沈んだ声で言った。
「そう、それな。あと適度な運動も。人間と変わらないんじゃない?」
「はい。そう思います」
ユーリゲを家に送り、明日に領主の図書室へ案内すると約束する。
こいつに本を渡したら、どこまでも徹夜しそうだ。
図書室で勉強したほうがいいだろう。
ボッグに家まで送ってもらい、明日にユーリゲを迎えに行って欲しいと伝える。
明日も仕事があるのが嬉しいようで、飛ぶように帰っていった。
なんつう体力。
この二人がいれば、おれはぐうたらできる。
その予想は甘かった。
牛の相談は二日に一度ぐらいだ。
だが時刻に関係なく呼ばれる突発的イベント、そう「出産」だ!
夜中だろうが夜明け前だろうが関係ない。
おかまいなしに「牛神様!」と助けを求められる。
おれにできる事などないのだが、牛に話しかけるだけで落ち着きは違うようだ。
ユーリゲは現場に紙とペンを持ち込み、メモに余念がない。
肩車をしたボッグの頭頂部は「歩く机」になってしまった。
こうなると、三人が別々に住んでいるのは不便以外のなにものでもない。
爺さまに客室を使えないかと願い出てみる。
「それはいいが、ナガレよ、ふたりの労賃はどうしておるのだ?」
おれら三人が夕食に招かれた席での指摘だ。
「あっ!」と思わず声が出る。
こんなに忙しくなるとは思ってなかった。
昼夜問わずで日当10Gになっている。
ブラックすぎる職場だわ。
「領主様」
右手で食事をしていたユーリゲが手を止め、居住まいを正した。
「私は拾われ、ナガレ様に学ばせてもらっている身。俸給をいただくには値しません」
はきはきとしゃべる姿は、どこぞの文官のようだ。
変わったなぁユーリゲは。
「お、おでは走ってるだけで仕事じゃねえ」
ボッグは変わらない。
そこが好きだけど。
「うむ。まあ、先々に考えるか」
爺さまはそう言って話題を変えた。
食事が済んだ後、おれだけが残るように言われた。
「ナガレよ」
「はい」
「弱きものを助けるのは尊いこと。しかし彼らの人生を背負うことはできん。期待させれば失望を生むことにもなるぞ」
「……気をつけます」
自室に戻った。
ベッドに寝転がり、爺さまの言葉を考える。
その通りだ。
くそっ! でもなんとかしてぇなぁ。
考えてると、ぜんぜん寝れない。
ベッドから出て、隣の客室をノックした。
「どうぞ」と返事があり入る。
ユーリゲが客人用の寝間着に着替えていた。
手伝いながら、想いを口にしてみる。
「なあ、ユーリゲ、おれはいつまでここにいるのか、わからない男だ。お前は今後について、どう思ってるんだ?」
「さて、今が手一杯で、先のことなどとても」
「でもなぁ、お前も将来があるしなぁ。いつまでも、おれを手伝ってもらうのも悪いし」
「ああ、なるほど」
ユーリゲは何かに気づいたかのように、おれを見た。
「ナガレ様、ご自身がいなくなった後の私とボッグの身を案じているので?」
はっきりと言われて「う、うん、まあな」と相づちを打つ。
「私とボッグは、いつでも元の生活に戻るだけです。気に病まれることはないのでは?」
うーん、と思わず唸った。
「ちなみに、私と、おそらくボッグも、明日から要らないと言われても、おどろきはありませんよ」
「そ、そんなもんか? それでよく、おれについてくるなぁ」
「それを言うなら、よく私らなんぞを使うなぁ、でございますよ」
「ユーリゲ、自分を過小評価しすぎだ。お前、たぶん天才だぞ?」
「それも逆です。ご自身を過小評価しすぎです」
おれ? 首をひねった。
「私の着替えを手伝ってくれた人は何人だと思われます? 人生で二人、母親とナガレ様だけです。忠誠という言葉で言うなら、私もボッグも命を賭けるでしょう」
急に腹が痛くなった。
忠誠。こんなに重い言葉なのか?
予想外の言葉に、どう受け止めればいいのか。
「まあ、それはどうでもいいとして」
どうでもええんかい! おれの衝撃は軽く流された。
「いつか、お聞きしたかったのですが、ナガレ様が思う理想の酪農とは、どういうものですか?」
理想か。
「実現できるかは置いておくとなると……」
おれはユーリゲに今までに思ったことを全て話した。
ユーリゲも思うことは多いようで、どこまでも話は尽きない。
結局、朝まで話し込み、その勢いのまま爺さまの扉をノックした。
「牧場ギルド?」
領主の執務室でパンをかじろうとした爺さまは手を止め、いつも温和な顔が真剣なまなざしになった。