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第44話 ただまっすぐに前を見て

 三つの黒い頭が雄叫びを上げる。それはあまりにもおどろおどろしく空間が揺れるほど恐ろしいものだ。

 対峙するディラルは睨みつけてくるヒュドラを眺めた。どれもこれも恐怖というものを微塵に感じておらず、むしろ口元を舌で舐め回している。

 どうやって蹂躙しようかと考えているのだろう。ディラルは余裕を持つヒュドラを見て、楽しげに頬を上げた。


「強者とはいかなる時であれ、先を見据えねばならん。お前はどうやら、わかっておらんようだな」


 持っていた白き盾を構え、激突に備えるとヒュドラの顔つきが変わった。

 グレアムもまた、息を呑む。かつてギルドマスターと戦い、勝てなかった相手。それがどのように戦うのか見てみたいと思っていた。

 まさかこのような形で、共闘するとは思ってもいなかった。だからこそ、グレアムもまた騎士として剣を構える。

 隣に立ってくれているディラルに、恥ずかしい姿を見せないようにと。


「ギャオォォォォォ!」


 ヒュドラが叫ぶと、グレアムよりも先にディラルが動いた。

 まるで風の如く駆け抜けていき、あっという間に懐へ入る。遅れてヒュドラが顔を覗き込ませようとした瞬間、持っていたそれに向けた。


「ギャオォォォォォッッッ」


 突然、覗き込んでいたヒュドラの頭が爆発する。力なく一つの頭が垂れ下がると、今度は違う頭がディラルを睨んだ。

 口が赤く輝き始めると、すぐにその灼熱が吐き出される。ディラルは空いていた右手で持ちてを押し込むと、さらに盾は大きく広がった。

 降り注ぐ灼熱は盾を灰にしようと燃えるが、一向にその気配はない。先にヒュドラの息が切れ、一気に炎は消え去った。


「この程度のものか?」


 声がした瞬間、ヒュドラの二つの目の首が跳ね飛ばされる。鮮血が舞う中、音を散らして回転する盾があった。

 ヒュドラは悲鳴を上げる。まるで歯が立たない相手に、恐れを抱いているようだった。


「ふむ……」


 圧倒的優勢に、ディラルは奇妙な感覚を抱いていた。確かに相手の不意を突き、そうなるように動いたとはいえここまで戦況が傾くものなのか。

 相手は伝説に残るモンスターだ。油断できる相手ではないはず、と考える。

 いささか手応えがなさすぎることに、ディラルは違和感を覚えていた。


「ディラル様!」


 考えごとをしていると、最後の首が飛んだ。

 振り返ると先ほどやっと立ち上がった若き騎士の姿がある。

 どうやら残っていたヒュドラの首を跳ね飛ばしたようだ。


「すまぬな。少し考えていた」

「いえ。それよりもこれで終わるのですか?」

「伝説の通りならばな」


 ディラルとグレアムは全ての首を失ったヒュドラを見た。本来ならばそのまま事切れるはずだが、おかしなことにまだ暴れ回っている。

 建物を壊し、整備された地面を壊し、苦しそうに蠢いては叫んでいた。


「あれは──」


 暴れ回っていたヒュドラは、バランスを崩して倒れた瞬間だった。首があった場所に黒く蠢く宝石らしきものがある。

 まるで心臓のように鼓動するそれは、あまりにも不気味だった。だからこそディラルは一つの確信を持つ。


「やはりか」


 そもそもおかしな話だった。

 伝説のモンスターがなぜ今になってここに現れたのか。そもそもどうしてこんなタイミングなのか。

 目の前にいるこれは、ヒュドラではない。ヒュドラを模った〈偽物〉だ。


「ヒュドラ・フェイクとでも呼ぼうか。本来ならばすでに終わるものだが、そうでない。終わらせるには、あの黒い宝石を壊さなければならないか」

「では、あれさえ壊せば!」

「我々の勝利だ」


 勝機が見えた。ディラル、そしてグレアムが一気に勝負を決めようとした。

 だがその瞬間、黒く染まっていた宝石に嫌な輝きが放たれる。


「下がれ、愚か者ども!」


 黒い輝きが解き放たれようとした瞬間、何かが舞い降りてきた。それがヒュドラ・フェイクを包み込むように白い光を放つ。

 ヒュドラ・フェイクはそれでも黒い輝きを解き放った。まるで自身を包み込んでいる白い光を食い破ろうとしているかのように暴れていた。


「チィッ!」


 舞い降りたそれは、険しい顔をしていた。芳しくないのは明らかである。

 だからこそ、その男は叫んだ。


「早く逃げろ! 死ぬぞ!」


 だがディラルは男の言葉を聞かず、むしろ勇ましく前に出る。

 男は思いもしない行動に、思わず声を荒げた。


「何をしている! 死ぬ気か!?」

「みすみす好機を逃すのはもったいない。相手は生き残るための悪あがきをしているだけだ。そうだろ、マギア?」


 名を呼ばれたマギアは、思わず目を大きくする。

 思わず「なぜ、俺の名を」と訊ねたその時、黒い輝きがさらに強まった。

 咄嗟に力を込め、抑え込むが予想以上に強い。このままでは最悪の事態に陥る。


「早く逃げろ!」

「好機を逃さないと言ったろう?」

「状況がわかっているのか!?」

「わかっているから言っている。確かに戦況はよろしくない。だがそれは、あやつも同じよ。だからこそ今叩く。でなければ、我々は死ぬ」


 確かにその通りだった。ここで叩かなければヒュドラ・フェイクは完全回復し元通りの状態になる。

 だが、叩き潰すには戦力が足りない。

 兵士達はモンスターの対処に忙しいうえ、こちらを助ける余裕はないだろう。かといって傷ついたグレアムでは決定打になり得ない。


「引くぞ! でなければ──」

「いや、引かん。それにもうすぐ来るのだろう? 我が愛しき孫が」


 それは思いもしない言葉だった。

 確かにいち早く戦場へ駆けつけるために置いてきたが、それがこのタイミングで来るとは思えなかった。来たとしても、戦力になるとは思えない。

 しかし、マギアの予想は簡単に裏切られる。


「やっと追いつきましたわ!」


 声がして、思わず顔を向けるとそこにはアーニャの姿があった。マギアはさらに驚いた顔をすると、ディラルが楽しげに笑った。

 それはまさにイタズラを成功させた悪ガキのようなものだ。


「お前、一体……」

「後で話そう。やっと覆せるだけの役者がそろったのだ。ならば、やるしかなかろう」


 そう、もう引く理由がない。だからこそマギアは全てを懸けることにした。

 ドリーの帰る場所。

 ドリーの大切な場所。

 ドリーの新しい居場所。

 そこを守るために。


「任せたぞ!」


 膨れ上がる黒い輝きを、マギアは抑えつける。

 ディラルはその間に懐へと入り込み、暴れるヒュドラ・フェイクを叩いた。

 衝撃のためか僅かに動きが鈍ると、待機していたグレアムが身体を切りつける。

 途端に凍てつき、ヒュドラ・フェイクの動きが完全に止まった。


「アーニャよ、トドメを刺せ!」


 ディラルの叫び声に、アーニャは驚いた。

 だが、すぐに身体が反応し期待に応えようと動いた。


「はい、おじい様!」


 アーニャはポーチから〈水玉ザラシ〉を取り出し、ヒュドラ・フェイクの剥き出しとなっている黒い宝石へ投げつけた。

 勇ましく、まっすぐと飛んでいくそれはただ力強く雄叫びを上げる。


──キュキュウゥウウゥゥゥゥゥ!


 ドガガーンと炸裂する音が響いた。

 黒い宝石はその炸裂を受け、大きな亀裂が入る。

 次第にそれは大きくなると、ヒュドラ・フェイクは悲鳴を上げた。


「アァアアァアアアァァァァァッッッ!」


 断末魔と呼べる声が響く。

 それに伴い、暴れていたモンスター達の動きが鈍くなると戦っていた兵士達は一気に押し始め、戦況が傾いた。

 勝利が近い。そう確信できるほど優勢になった瞬間、ヒュドラ・フェイクが牙を剥いた。


「ディラル様!」


 最後のあがきと言えばいいだろう。ディラルの不意を突き、ヒュドラ・フェイクはその身体を叩き潰そうと尾を高々に上げた。

 しかし、ディラルは笑う。楽しげに、楽しげに、戯れるかのように笑っていた。


「いくら何でも油断しすぎです」


 尾が振り下ろされた瞬間、それは木っ端みじんに切り刻まれた。

 思いもしないことに、ディラル以外の全員が仰天する。


「それともそんなに衰えたのですか?」


 小さな影があった。

 それはヒュドラ・フェイクの懐へ容易く入ると右手を固く握った。そのまま拳を叩きつけると、ヒュドラ・フェイクの身体が浮かんだ。


「私も長く生きた。あなたほどではないがな」


 ディラルは言い返すように言葉を放つと、飛んできたヒュドラ・フェイクを弾き返した。

 高く宙へと舞ったヒュドラ・フェイクを見ながら、それもまた言い返す。


「もう年齢のことはいいです!」


 持っていた身体よりも遥かに大きい斧を振り上げ、ギルドマスターは叫んだ。

 そのまま剥き出しになっている黒い宝石を叩き割ると、ヒュドラ・フェイクは大地を揺らすほどの悲鳴を上げた。

 直後、モンスター達の統率がなくなる。一気に崩れ、その目から赤い輝きが消えた。


「今だ! 押し返せ!」


 完全に均衡が崩れた瞬間だった。

 騎士団、エルミア公国の大隊、そして迷宮探索者(ラビリンスチェイサー)の全員がモンスター達を撃破していく。

 勝負は決したのだ。

 そんな中、ギルドマスターはディラルに飛びかかっていた。


「ディラルぅー! お前とは絶交なのです!」

「すまんすまん。ほれ、飴玉をやろう」

「そんなので誤魔化されないですー!」


 と言いつつも、ギルドマスターは飴玉を口の中に放り込んで頬張っていた。

 大きな、あまりにも大きな騒動が終わろうとしていた。

 だが、まだ本当の戦いは終わっていない。

 ユルディアの上空で、その戦いは続いていた。


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