Line 21 魔術書の返却
テイマーの自室で作業をした翌日―――――――――昼間の講義を終えた夕刻、依頼した魔術書を受け取るために依頼人である蒙 佳庆がリーブロン魔術師学校を訪れていた。
「日本語・中国語・英語・フランス語・スペイン語等の言語で翻訳を実施し、そのデータはこちらのUSBメモリに入れています」
依頼人の向いに座るテイマーが、応接室のテーブル上に翻訳データの入ったUSBメモリを置いた。
「…拝見しまス」
そう口にした佳庆は、机の上に自身が持ってきたノートパソコンを置く。
パソコンの電源を入れてログインパスワードを入力する仕草は、流石出版社に勤めているからだろうか。とても手慣れた風に僕は見ていて感じていた。
USBメモリをパソコンに差し込んだ依頼人は、いくつかのWORDファイルを同時に展開し、中身を軽く一瞥する。
「ありがとうございました。全ての言語による翻訳データの閲覧ができたので、報酬の件に話を移りましょうカ」
その場で全内容を確認する事は難しいため、佳庆はWORDファイルが全て開くのを確認してから、僕達に向かって述べる。
「そうですね」
テイマーが、彼の台詞に対して、相槌を打つ。
その台詞を皮切りに、今回の依頼に対する報酬について話し合われる。僕は隣で話を聞いていただけだったが、依頼に対する報酬はお金か魔術師学校に有益になる物のいずれかが多いと、テイマーより事前に聞いていたのである。
出版社がリーブロン魔術師学校に有益になる“物”といえば…。やっぱり、紙やインクといった本に纏わる物とかかな…?
僕は、報酬の話を進める彼らの会話を聞きながら、内心ではそんな事を考えていた。
「では、明日までに指定の口座へ報酬金を振り込ませて戴きまスネ」
「了解しました。では、この後“入口”までお送りしますが…」
報酬の話がまとまって佳庆が魔術師学校を出る用意が出来た頃合いになり、テイマーは口を動かしながら僕の方へ視線を向ける。
「わたしは事務的な手続きを含めて、ここで退室させて戴きます。その代り、彼が“入口”まで蒙様をお送りしますので…」
テイマーがそう告げると、蒙 佳庆が僕の方に視線を向ける。
因みに、この場にいる3人の内、一番身長が高いのがテイマーで、僕が3人の中で一番低いといった具合だ。とはいえ、蒙 佳庆とはそこまで身長差がある訳ではないため、彼にとって僕は少しだけ視線を下げる程度の身長差といったところだろう。
「…わかりましタ。宜しくお願いしますネ」
「はぁ…」
僕を見た佳庆は、ほほ笑んだ表情で僕に軽く会釈した。
営業スマイルか…。情報システムの部署で勤務いていた僕には、縁のない表情だなぁ…
彼の台詞を聞いた途端、内心でそんな考えが芽生えていたのである。
応接室でテイマーと別れた僕達は、管理棟の廊下をゆっくりと進みながら“入口”がある学校のロビーともいえる場所へと向かい始める。
…どうか目的地まで、このままでいれますように…
僕は、歩きながらそんな事を考える。
テイマーみたいに社交的な人間であれば、このちょっとした時間でも何かしら話ながら見送りをするだろう。しかし、他人と話すのが元々得意でない僕にとっては、こういう時間は早く終わってほしいと願ってしまう方だ。そのため、僕らの間では沈黙が続く。
いや、日本だと会社訪問で案内される時は話さないのが普通だし…。兎に角、早く見送り終わらせたい…
そう強く願っていたが、応接室からロビーの方までは意外と距離がある。そのため、何か話をすべきかと僕は頭を巡らせていた。
「望木先生…でしたよネ。このリーブロン魔術師学校では、先生のように日本人の講師はいないのですカ?」
すると、黙ったままだった蒙 佳庆が後ろから声をかけてくる。
助かった…
僕は、相手が先に話しかけてくれた事で、少しだけ安堵していた。
とはいえ、企業人同様、社内の事をあまり話過ぎるのは禁止とされている。
「全職員の中でいえば、あともう一人だけいますね。最も、この学校は人種も国籍も関係なく、色々な人間がいますがね」
僕は、当たり障りのない返答を返す。
日本人の職員がもう一人いるのは本当だが、技術員である下松 光三郎の事までは掘り下げずに答えたつもりだ。僕の後ろにいるのでこの時は解らなかったが、納得したような表情になった佳庆は続けて口を開いた。
「話が飛んで、先生の苗字は何て書くのですか?」
「苗字…?」
「何故そんな事を訊くのだろうか?」と疑問に感じたが、その理由は何となく解った。
相手は中国人で、漢字を使う事が多い。イギリス人であるテイマー相手だったら、まず訊かない質問だろうと感じたからだ。
「望む草木の“木”…ですね」
「“你想要的樹 ”… 進展 …」
この時、彼は中国語で呟く。
当然の事ながら、彼が告げた台詞の意味はわからない。
「望木先生。貴方は、ご自身の姓がどういった由来なのかを知っていまスか?」
「由来…?」
我に返ったような表情になった蒙 佳庆は、続けざまに質問をしてくる。
それがあまりにも予想外な質問だったため、僕はすぐに答える事ができなかった。そうこうしている内に、学校の“入口”がある場所へと辿り着く。
「…では、わたしはここで」
日本へ向かう出入口まで案内した僕は、その場で軽く会釈する。
「ありがとうございましタ」
僕に対して会釈をした蒙 佳庆は、日本の新宿へ繋がっている出入口の方へ歩き出す。
僕は、彼の後姿を一瞬見つめた後、その姿が視えなくなるまでその場でお辞儀をしていた。
「これで、動き出せそうですね…」
出入口を歩いていく途中、彼は誰にも聴こえないくらいの声でボソッと呟く。
その時には既に僕とも距離が離れてきていたため、その台詞を耳にする事はなかったのである。
「あー疲れたー!!」
依頼人の見送りを終えた後、僕は宿泊棟にある自室へ戻ってきていた。
部屋にはライブリーやイーズ以外の存在はいないため、声量を気にせずにそのままベッドへ寝転ぶ。
『朝夫、お疲れ様』
「あぁ」
すると、Mウォッチに宿っているライブリーが僕に労いの台詞をかけてくれた。
その後僕は、ベッドで仰向け状態のまま自身のスマートフォンを取り出す。メッセージの受信等のスマートフォンでしかできない事を、その場でやっていた。
『なぁ、朝夫』
「イーズ…どうした?」
スマートフォンの操作を始めてから数分後、僕のスマートフォンに宿るイーズが声をかけてくる。
『あの蒙 佳庆っていう人間…。どうにも胡散臭い雰囲気を感じたのは、俺だけかな?』
『あ!それ、あたしも同じ事感じていたわ!』
イーズが話を切り出すと、それにライブリーも話に入ってくる。
「まぁ、言われてみれば確かに…。といっても、魔術師学校の人間ではないし、もう顔を合わす事はほとんどないだろ…」
僕は、スマートフォンを操作しながらイーズの問いに答えた。
『だといいが…』
それに対し、イーズはその場でポツリと呟く。
イーズはその台詞を口にした後、「少し休む」と告げて僕の端末から声を発せずに黙り始めてしまう。
『胡散臭いのはもちろんだけど…。今後、あの依頼人とは関わらない方が良い気がする』
「…ひとまず、僕自身は特に接点もないし、こちらから接触する事はまずないと思うよ」
ライブリーが心配そうな声で話す中、僕は彼女にそう告げた。
同時に僕は、疲労のせいか睡魔に襲われる。
イーズやライブリーが懸念するように、雰囲気があまり好ましくないというか…あの男、変なかんじがしたな…。ともあれ、今は深く考えるのも面倒くさいし…。ひとまず、寝るか…
寝ぼけ眼になっていた僕は、操作していたスマートフォンをベッドの頭側にある物置的な場所に置き、そのまま寝付く事となる。
その後、僕は数時間ほど爆睡をする。おかげで、夜中に目を覚ましてお風呂に入っていない事を思い出し、慌てふためく事になるのであった。
いかがでしたか。
ひとまず、ここでこの章は終了となります。
作中で蒙 佳庆が使っていた中国語ですが、日本語の漢字に近いというのもあって繁体字を使用しています。中国本土では、繁体字よりも簡体字を使用するらしいですが、小説での記載もあって前者を使用しています。尚、その台詞でのルピは、日本語訳になりますので、読み仮名でないのはあしからず。
さて、今後は何か不穏な動きがありそうな気がしますが、どうなるか…次回をお楽しみに★
ご意見・ご感想があれば、宜しくお願い致します。