「にこにこ人形劇団」かく語りき
大学に入学していくばくか経って、私は人生初の告白というものをしてみた。
相手は三島さんという女性である。
三島さんは同じ学部の先輩である。
全く手入れしていないように見えるややぼさぼさの黒髪ショートヘアで、黒縁眼鏡をかけている。
周りの人からは地味であるとか根暗であるとか言われていたが、その小動物のような愛らしさに胸打たれ恋の峡谷に足を滑らせたのは何を隠そう私であった。
三島さんを見かけるときはいつも本を読んでおり、私はその都度ブックカバーから本の表紙が透けて見えないかと躍起になっていた。
そんな健気な私であるから、芽野から三島さんはどうやら私のことを素敵だと思っているらしいと聞いたときは柄にもなく飛び上がって喜んだ。
芽野はそんな私をまるで聖母のような笑顔で見つめていたが、今思えば自分の手のひらで踊っているコマを見るように笑っていたに違いない。
思い返せば悪魔か閻魔のような気持ちの悪い薄ら笑いだったような気もする。
おのれ芽野、地獄からの使者め。
三島さんの気持ちを聞いて、恥じらう乙女の気持ちをないがしろにしてはならないし、相手方から気持ちを言わすのは言語道断だと息巻いて私が告白することを決めたのも無理からぬ話だ。
浮かれる気持ちを抑え大学へ行くと、大講義室の前で階段に座り込んでタバコをふかしている男が目に入った。
古めかしくボロボロの浴衣を着ており、そのふてぶてしい顔はいかにもうさんくさかった。
人を見た目で判断しないというのが私の座右の銘だが、同じ座右の銘を持つ者を10人集めれば7人はうさんくさいと言い、3人は海馬に問題がある。
その男の前をそそくさと通り過ぎようとすると、その男がどっこいしょと立ち上がった。
「貴君、待ちたまえ」
「な、なんですか?急いでいるのですが」
「まあ待ちたまえ。君は人生を変える大勝負をするつもりらしいが、悪いことは言わない、やめたまえ」
この男は何を言っているのだ。
私のような未来溢れる学生を捕まえて、大勝負とやらをやめさせようとするとは。
自分は人生に失敗したからといって、前途ある学生の芽を摘もうとするとは悪逆非道の極み。
この怪しげな風貌で、通りかかる者全員に言って回っているに違いない。
繰り返し言うが、私は見た目で人を判断しないというのが座右の銘である。
ゆめゆめ疑うことなかれ。
「大勝負などする予定はありません。それでは」
しいて言うなら勝ちの決まった勝負をするようなものだ。
「白を切るつもりかね。まあいい、これを持っていけ」
そう言って男が懐から取り出したのは、埃まみれのくまのぬいぐるみであった。
誰がこんな汚いもの、と言おうと思ったが、これ以上長居したくなかったため、そのぬいぐるみをカバンに放り込んで足早に立ち去った。
すべての授業が終わり、私は下宿への帰路についていた。
結局、その日は三島さんに会えずじまいであった。
嗚呼、三島さん、あなたの思いを焦らしてしまうことをお許しください。
次会ったとき必ず、私たちは結ばれましょう。
まだ見ぬ栄光の未来に私は胸を膨らませるのだった。
次の日は土曜日であった。
二連休で三島さんへ思いを伝えるのが遠くなるとはいえ、身だしなみを整え気持ちを整理し、栄光の未来をより強固なものにするのも悪くない。
理想の告白シチュエーション、付き合い始めてからのシミュレーションのために、恋愛映画を借りに行くことにした。
下宿を出ると、いつもと同じ景色が全く違って見えた。
こんなにも空は青く、木はみずみずしいものだったか。
レンタルショップに行く途中、喫茶店が目に入る。
まだ午前中だし、喫茶店でブレイクタイムとしゃれこんでから行くのも悪くないな、と思った私は手のつけようのない阿呆だった。
店内に入ると、何やら聞き覚えのある笑い声がした。
その時点で私は回れ右をして立ち去るべきだったのだが、今日の私は浮かれに浮かれていたのだ。
その笑い声の源は、唾棄すべき友人、芽野であった。
芽野は何人かと雑談しているようだったが、店に入ってきた私を目ざとく見つけると、こちらを見て手を振ってきた。そしてこっちに座りなよという風なジェスチャーをした。
芽野と一緒に座っていたメンバーは芽野含め4人、「にこにこ人形劇団」の皆さんだった。
「にこにこ人形劇団」とは、大学に認識されないほど細々と活動していて、人数も5人と、ぱっとしないサークルである。
元々は大人数で活気あふれるサークルで、名を「劇団・塵積も」といった。
普通の劇に飽き足らず、人形劇やアニメーション、映画撮影などその活動内容は多岐に渡ったらしいが、当時芽野含むメンバー5人で女劇団員をレイプするという下衆極まりない人形劇をたわむれに行っていたところを目撃され破門にされたという。
そのまま5人で劇団を作って細々と運営しているらしい。それが「にこにこ人形劇団」である。
およそ同情すべきところが一つもない話である。
「昨日も田辺のホーム画面いじってやったぜ!我に解けぬ電子錠はない!」
そう声高に宣言し拍手喝さいを浴びているのはサークル長の高薮である。
彼は他人のケータイのパスワードを易々突破するというとんでもない特技を持っている。
去年の学祭では彼の出店「電子開錠店」に長蛇の列ができ、並んだ人たちのスマホのパスワードを解いて解いて解きまくった。
やがて学生たちは忘れてしまったサイトのログインパスワードを彼にあててもらい、ほくほくとした顔で帰っていった。
彼はあてずっぽうだと言うが、それが本当ならその確率はビックバンが起きる確率と肩を並べるという。
ある人は「彼は学内全員の個人情報を握っているのでは?」と言いまたある人は「いやそれ普通に犯罪では?」と言う。
彼のその特技は「劇団・塵積も」のサークル長田辺のケータイのホーム画面をAV女優の喘いでいる写真に変えることに浪費され、才能の無駄遣いに余念がない。
なんでも田辺は今まで15回パスワードを変えたが、どれも目を離したすきに突破されたという。
高薮さん本人は現場に行かず、工作員にメモを渡して変えさせているというのだから驚きだ。
彼にかかればアメリカの核兵器の発射までも可能だともっぱらの噂である。
苦いコーヒーをすすりながら聞いていた私だったが、ふと窓の外を見ると、交差点の向かいに昨日のうさんくさい浴衣の男が立っていた。
なんでこんなところに、と睨んでいると、浴衣男がこちらを向いた。
慌てて目をそらした拍子に、コーヒーをこぼしてしまい、横の椅子に置いていた私のカバンにかかった。
とっさにカバンを持ち上げると、カバンの中からテーブルの上に何かがころんと転がり出た。
浴衣男に貰ったぬいぐるみであった。
「にこにこ人形劇団」の面々は顔を見合わせると、誰かが言った。
「光明だ!!」