山小屋
山のてっぺんに茶吉の家が持っている小さい畑がある。もう長い間、誰も行っていないが、大昔に植えたみかんやキウイの木が時期になれば今だに実をつける。誰かに貸して耕してもらっていたこともあったが、今はもう借りてくれる人もいない。すみのほうには誰かがバラックの掘っ建て小屋を建て、陶芸をつくる工房として使っていたようで焼き窯もある。見晴らしが良く空気は美味しいし、少し上に登った所にある泉の湧き水が小川になって流れ込んでいる。そこより上には誰も住んでいないので、水はきれいで飲むことができる。ササ美はひと目見るなりこの山小屋のある光景がすっかり気に入り、「わたし陶芸家になってもいい?」とすっかりその気になっているので茶吉は「好きなようにしていいよ。」と答えると、ササ美は注意深く小屋を見て回り、「念のため聞くけど、この小屋、電気は通ってる?」と聞く。そんなものあるわけ無い。水道だってガスだって電気だって、通っていないよ。と答えると、「えええ〜!じゃあ夜はどおすればいいのよ?」とササ美。夜は家に帰ってくればいいよ。夕ご飯を食べてお風呂に入って布団で寝て、朝になったらまたここに登って来ればいいよ。と茶吉はやけに基本的なことを答えただけのつもりだったが、ササ美は断固として「いいえわたしは陶芸にはちょっと詳しいんだけどね、プロの陶芸家ともなると、三日三晩寝ないで窯の世話をするらしいわ。だからわたしもここに住むの。電気がないのなら早寝早起きをすればいいわ。じゃあ3日経ったら迎えに来てね。」と言う。こうなったら何を言っても無駄なのを知っているので、茶吉はひとり家に帰ってきた。半日が経過したころ、携帯がリンリン鳴るので出てみるとササ美だ。気が済んでもう飽きたのかと思って、電話に出ると、「出来上がったから迎えに来てもいいよ」という。大自然のなか時計も無くひとりきりで没頭していてハッと気づくと、ササ美的にはもう三日くらい経ったような気がしたのだそうだ。茶吉がクルマで迎えに行ったら、大きな皿が1枚出来ていた。次はこれを売らなきゃ、とササ美にはビジョンがちゃんとあるようで、大事に抱えて持って帰って来た皿んのサイズを計ってぴったりの桐の箱を買ってきて、「残月」などと皿に命名して筆で箱の蓋に書いた。皿の写真をパチパチ撮ってネットのオークションサイトに載せた。それきりパソコンの前に座ったまま画面をじっと見つめて動かない。「でもおかしいわ、誰も入札して来ないなんて変よねえ」と言っているところを見ると、落札されるまで、パソコンに付きっきりになって飲まず食わずお風呂にも入らずのつもりなのだろうか。それから1日が経過したが、どうやらそのつもりの様子だ。これは困った。困った時にはフミカちゃんに電話だ。ササ美の妹のフミカちゃんは元モデルで超かわいい40歳。フットワークが軽く頼りになるので、こういう困った時にはフミカちゃんと決まっている。事情をすぐ理解してくれて、「落札すればいいのね。任しといて〜」と引き受けてくれた。すぐにピコリン!と鳴って「3万円で落札されましたってさ〜」と落着した。ササ美は大喜び。ササ美は売れさえすれば自己顕示欲が満たされ大満足したようで、「もっともっと作るわ」と、また山小屋に登って行ってしまった。茶吉はフミカちゃんにお金を振り込んだ。それからオークションサイトに電話をして、ワレモノは受け付けが終了したとうちにメールを送ってくれるように頼んだ。オークションサイトも、ワレモノは保険をかけなくてはならない割には高値がつかずに取引が成立しなくてもめたりすることが多いので、自称陶芸家には困っているそうだ。茶吉に言われた通りの内容のメールをササ美宛に送ってくれるそうだ。
一方、ササ美は一日かけて、今度は皿が10枚出来上がった。「なんかメールが来ているみたいだよ」と茶吉に言われてメールを読んだササ美は、「大変!販売ルートがなくなっちゃった。」と一瞬だけへこんだようだったが、すぐに立ち直り、「そうだ!父がよく行く骨董屋さんに私のお皿を置いてもらえばいいのよ。見る人が見ればきっとこの価値が分かるはずだもの」と、皿を梱包してリュックに入れて背負うと出かけて行った。茶吉はすかさずフミカちゃんに電話だ。お父さんのよく行く骨董屋さんってどの骨董屋さん?ササ美が一方的に失礼な話を持ちかけてその店ともめたりして、そのせいでお父さんまでもが出入り禁止なんて事になったら申し訳が無いから、電話番号かなんか連絡方法があるかなぁ?」と調べてもらい、ササ美が着く前に骨董屋さんの店主と話を取り付けることができた。暫くして骨董屋さんから電話が来た。「ササ美さんがたった今お帰りになりましたが、1枚3万円で、合計30万円で買い取らせていただきました。」というのでさっそく銀行へ行って31万円を手数料を1万円上乗せして振り込んだ。次はササ美のお父さんに電話をして、「いつもの骨董屋だけど、店主が亡くなって、店を閉めるそうだよ。といってください。」とお願いした。お父さんがササ美にそう電話をしてくれたので、またもや販売ルートを断たれたササ美は残念がった。そこで茶吉は、「ピカソもモネも、巨匠と呼ばれる芸術家はみんな死後に再評価されるものなんだよ。作った作品を急いで売りさばく必要は無いんだよ。良いものは置いておけば骨董としての付加価値もつくんだから芸術家は作品を作ることに熱中していればいいんだよ。娘やその孫たちが祖先の作って残してくれたお宝を家宝としてくれたら素敵じゃないか。」と、説得を試み、フミカちゃんもメールで、「ホンモノの人間国宝って、一年に1作品しか出さなかったりするじゃない。気に入らない作品は割っちゃうそうよ。それで、もっと価値が出て値が上がるみたいね」と援護射撃をしてくれて、どうにかササ美の今すぐ売りさばきたい衝動はおさまった様子だ。
それからというもの、ササ美はせっせと皿を作り、それをキッチンの床下収納に収めている。何千年後の未来に、この地下収納を掘り当ててしまったひとは、大量に出土する土器を令和式土器と呼んで発掘するだろう。