光と影
校舎が朝日に照らされ、窓を通して、部屋にも光が差し込む。
その窓からは、ちらほらと登校してくる生徒の姿が見えた。その光景に、今日も一日が始まることを実感し、少し憂鬱になる。
研究室の中には、研究に使う怪しげな液体。見る人が見たらトラウマになりそうな生物標本などの素材に溢れている。
それらの中には光に晒してはならない物も多く、部屋のカーテンは常に半閉じ状態で、電灯にも光は灯していない。そのため研究室はいつだって薄暗い。
そんな中に引きこもっていると、普段から自分の心も暗くなっているような気がしてならない。
それに比べて・・・、外を歩く生徒たちの姿は、希望に溢れているようで、俺にとっては眩しくて仕方ない。
「あうちゃっ!」
ばっ!とカーテンの外に顔を出すと、思ったより強い光が網膜を突き刺し、怯んでしまった。
人とは過去に戻れぬ生物なれば、1度大人になってしまった俺は、学生にも大人になりゆく過程にも戻ることは出来ない。
精神的には希望に満ちた若者を直視できず、肉体的には強烈な光を直視できない。どうやら明るすぎるものは、今の俺には直視できないらしい。
「うぎぎ・・・・・・」
頑張って目を開いてみようと思うが、全然無理。
人間誰しも、永遠に若くはいられない。
この世界には光も影も溢れていて、否が応にも、人は日常の中の良いこと悪いことを吸収したり、影響されたりして成長していく。
だから人には「知らなくていいこと」がある。
そして希望に溢れた若者たちは、知らなくていいことは知らないままで真っ直ぐ愚直に育ってもらえばいいと思う。嫌味じゃない、紛れもなく本心だ。
俺たち「教師」の仕事は、いかに生徒が曲がらないようにこの世界を教えていくかだ。
それは都合の悪いことを隠蔽する、という事ではないが。
干渉はしすぎずしなさすぎず。その塩梅は難しいけれど。
キーンコーンカーン・・・。
鐘の音が始業の時を告げた。
窓の外に映る生徒ももう居ない。
やれやれと重たい腰を上げて立ち上がる。椅子はキシキシと軋み、座り続けで頼りない足腰も軋んだ。
椅子にかけていた教師用のコートを羽織り、研究室の戸に手をかける。
その時、棚においてあった、研究用に瓶の中に収めた蛇の双眼と目が合った。もちろん生きてはいない。
「あらゆる生命に感謝を。汝の成すことは、禁忌なり・・・・・・か・・・・・・・・・」
その目はまるで、「逃れられると思うな」と蛇睨みで釘を刺しているようだ。
────────
研究室を1歩出て校舎を歩き回れば、さすがにたくさんの生徒がいて、校舎は喧騒に包まれている。
教員の身なので、すれ違う生徒は必ず挨拶をしてくる。名門校ともなれば生徒たちには名家の出が多く、挨拶ひとつにも気品が宿る。
名家出身でもなんでもないこちらからすれば、堅苦しくて仕方ない。無視するわけにもいかず、名家や貴族の振る舞い方の教養もないので、引きつった作り笑いで返すことしかできない。
すれ違う生徒もいなくなった頃に、ようやく教室にたどり着いた。
「「おはようございまーす」」
「はい、おはよー」
木製の引き戸を引けば、すでに全員着席した様子のクラス全員が気だるげに挨拶をしてくる。
「委員長、健康観察終わった?」
「はい。全員出席かつ体調も問題ありません」
「それはよろしい」
俺が担任を受け持つこのクラスは、なんだかんだで出席率が高い。それは校長からもお褒めの言葉を授かるほどに。
「はい、じゃあ皆おはよう。今日も何かにかけて後輩を威嚇したい先輩方が押しかけてくるかもしれないけど、なんか問題あったらすぐに先生を呼んでくださいー。じゃ、今日も頑張れ、新入生!」
「「はい!」」
はい、この言葉やり取りもう三日目。
学校なんて登校日のほとんどが何もない。それは高等部に入学してまだ1ヶ月しか経たない1年生の彼らも同じこと。
むしろ1ヶ月目の彼らはまだ色のある学校生活を送っている方だろう。その内容は時間割の立て方ミスった〜やら、やたらプライドの鼻だけが伸びた先輩方が威嚇しに教室にやってきた〜やら、可愛い子いないか先輩がナンパしに来た〜やらロクなものじゃないが。ほんと先輩方ロクでもないな。本当にここって名門校?
ともあれ、まだ刺激的な学校生活を送りそうな彼らにかける言葉なら少しはあるが、2年3年ともなるとマジで言うことがないらしい。毎朝、朝の話で何を言おうか軽く頭を悩ませる先生もいるくらい。
と、まぁもう学校にも慣れだした彼らも、そこそこに形成され出したグループで教室移動を始めた。
ちなみに一限の予定がない俺先生は、教壇にもたれてだらしなく彼らを眺めている。
そのだらしなく前にもたげた首を横に向ければ、窓の外に咲き乱れる桜が見えた。
「春は出会いの季節・・・ねぇ・・・・・・・・・」
桜はそこに咲いているだけで絵になる。しかし人は変化のない生活の中にいれば、色を失い、朽ちてしまう。
担任教師として、ほんの1ヶ月前に彼らに出会ったが、その刺激ももう無くなってきた。
彼らも俺に話しかけてきてはくれるし、他愛ない話もよくするが、それが何かを満たしてくれるなんてことはなかった。
結局、平穏な日々は変わらない。
「あー、今日も平和だなぁ〜・・・・・・」
誰もいなくなった教室でそう呟いた。
その声はもちろん自分にしか届かない。
人間は今の自分が置かれている状況とは真逆の状況に憧れるもの。だからどんな環境に行ったって、いつかは飽きて、また求め出す。
以前は夢見ていたこの平穏さも、数年が経って飽きるに至ってしまった。
「あ、暇そうな人発見!」
開きっぱなしになっていた教室の戸の外から、禿頭の初老の男性がひょっこりと顔を出す。
この学院の学院長先生でした。
「ちょっと頼み事があるんだけどいいかね、メヴィウス君?」
「この確信犯め。絶対、端から俺目がけて来たんでしょう?」
「もちろんさ」
じゃあ最初の暇そうな人を無作為に目掛けたような前置きはなんだったのか・・・。
「まぁここじゃなんだから、とりあえず学院長室に・・・」
「待ってください。それが本当に『ちょっと』の頼み事ならここでもいいですよね? なんでそっぽを向くんですか? どうせ絶対面倒なことなんでしょう?」
「メヴィウス君、あんまり他人の事情は詮索するものじゃないよ? あと老人が若者に尋問されている構図は、印象も良くない」
まったく筋の通っていない理論をさも正論のように言える、俺の恩師は多分すごい人・・・。
とりあえず学院長室に連行が決まった。