表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

幼少期の頃の記憶。

私が七歳のときだったか。

普段、昔の記憶は覚束ない私だが、これははっきりと覚えている。

理由は単純で、それが七五三というイベント…。イベント? 風習と言うべきか。まあ、七五三の写真を撮影した日だったので、よく覚えている。

慣れない晴れ着姿で親族に囲まれ、窮屈な思いをしながら愛想を振りまいていたあの日。

思えばあの頃から私は捻くれていて、それでいて嫌に(さか)しかったので、窮屈だし、早く帰りたいと思いながらも、両親とその親族の機嫌を損ねないよう、精一杯の子供らしい笑顔で振舞っていたのだった。

そこで貰った棒状の飴、あれは確か千歳飴というのだったか。ゆうに三十センチはあろうかという細長い棒状の飴を、私を含めた少年少女は、年頃の子どもらしく、みんなにこにこと頬張っていた。

子どもらしい腕白さで、親戚の少年が飴の先を尖らせて遊んでいた。槍だ。飴の槍だと言って。

口を切るのでやめなさいと、その子が親に叱られているとき、私も口の中で槍を作っていた。

その時の私は、子供の輪に溶け込もうとしていたわけではなく。

飴で槍を作りたい、という純粋さに支配されたわけでもなかった。

純粋な好奇心ではあったのだけど。

それは子どもらしい純粋さではなく。

もっと原始的で。

とても単純な好奇心。

これを。

この先端が槍のように尖った飴を。

そのまま喉に突き刺したら。

私はどうなるのだろう。

当然、死ぬことになるだろう。

そんなことは当時の私でもわかる。

飴の槍で、そのまま喉を貫く勇気は私にはないけれど。

もし、仮に。

誰かがぶつかってきて、勢いのままに、喉を貫いたなら。

石畳に躓いて、衝撃で喉をぶち抜いたなら。

何かの拍子に、手元が狂ったなら。

もし。もし。もし。

人間は、本当にそんなに簡単に死ねるのだろうか。

そんな考えが頭を巡る。

そんな消極的な自殺志願者のようなこと考えておいて、今生きていることが、結局そんな妄想は実現せず、私が死ななかった証明にはなっているのだけれど。

でも未だ、そんな考えだけは捨てられないでいて。

今になっても思う。

私はきっと、この時には終わっていたんだな、って。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ