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H.O.P.E.  作者: 杜崎ハルト
12/26

未来

「おー、今日もまたまたお早い出勤じゃないか。サボりか?」

「その、またってやつです」

バイト先であるagio――イタリア語で安らぎを意味する名を持った古びた喫茶店、その扉を開けた綾人にエプロン姿の男がいつものように挨拶代わりの声をかける。店内に客の姿が見えないのも悲しいかな、これまたいつも通りである。

綾人は不思議な少女・詩音と別れた後、結局大学には行かなかった。サボり癖がついてるのを自覚しつつ、かといってコンビニで缶コーヒーを買って飲む以外どこかに寄るでもなく、遠回りだけをして結局行きつく先はここであった。

「遼さんこそなんだかんだでいつもいますよね。やっぱここのマスターなんじゃないですか?」

「だから俺はマスターじゃねぇって」

「いやいや。そのエプロン姿もすっかり板についてますし、そのままこの店もらっちゃえばいいじゃないですか」

「確かに、それも悪くはないが……。ってフリーターからかってないでとっとと着替えてこい!」

綾人なりのジョークは投げ渡されたエプロンという形で返ってきた。

――毎回柔軟剤のいい香りが漂ってくるけど、この人が洗ってくれているんだろうか。つくづくマメな先輩だなぁ。

と綾人は感謝半分感心半分の面持ちでバックヤードに入り、バッグを放り投げエプロンを着用し手を洗う。ここまで1分弱、すっかり慣れたものだ。

仕事支度を整えカウンターに出ると、マメな先輩――速水遼は珍しく業務以外のことに熱中しているようであった。

「なに読んでいるんです?」

綾人が肩越しに覗きこもうとすると、遼は無言のまま見えやすいように冊子の表紙をヒラヒラと翻す。

「求人誌?」

「ああ。見てのとおりさ」

「え、この店辞めちゃうんですか!?」

思いもしなかった展開に綾人は身を乗り出し、遼に詰め寄る。

「バカバカ、近いって。まあ落ち着け。ここを辞めるわけじゃない」

「よかった……。だったらなんで求人誌なんか見てるんですか?」

安堵も束の間、純粋に疑問だけが残る。

「金欠の後輩に紹介するつもりなんだよ。あと、在宅ワークで何かよさそうなのあればここでの暇つぶしにもいいかなぁ、ってな具合よ」

「何か入用ですか? ここでのシフト増やせばいいような気もしますが」

「うん、まあ、その……。車検なんだよ、XJRの車検が近くなっててさ!」

妙に歯切れが悪かったことが気がかりだが、確かにバイクの車検ともなれば10万近くかかる話なわけで特段おかしな話ではない。ちょっとした違和感はあっという間に消え去った。

「そういえば遼さんは400ccでしたもんね。俺のバンディットは250ccだから車検なくて助かりますよ」

「そうそう。だが車検なくてもメンテナンスはきっちりやれよ。真尋の原チャリじゃねえんだから」

「ハハハ、あいつ結局廃車ですもんね。気を付けます」

自分の愛車は不調の兆しなど一切ないので、綾人は話半分に遼が読んでた求人誌をパラパラとめくる。広告代理店、飲食店マネージャー、ウェブデザイナー、自動車販売……ありとあらゆる求人が所狭しと紙面を飾ってはいるが、どれもピンとこない。どこか遠くの自分とは関係のない世界のものにしか見えなかった。

「話は戻るが、綾人こそ来年どうするんだ?」

「来年?」

胡散臭い営業マンがガッツポーズを決めた写真を載せてるマンション販売会社の求人を鼻で笑っていたところ、突如遼から尋ねられた。

「お前来年3回生だろ。就活はじまるんだぞ」

「あー、そういうことですか」

考えてもみなかった。

綾人にとって未来とは、何もない過去以上に向き合うことを避けてきた問題である。

このままではいけないことはわかっていても、現在を生きることで精いっぱいでどうすることもできないのだ。

「今のうちからある程度業種や業界絞っていかねえとあっという間だからな」

「そうは言いますけどねぇ。そもそも進級できるほど単位もないんですよ」

「お前なぁ…………」

遼は心底呆れているようだった。大きな溜息をひとつ、さらに困ったように髪を掻いている。

こんな自分のために真剣に将来を心配してくれることに綾人は少し嬉しく思うが、それ以上に申し訳なさでいっぱいになる。

「何か興味のある分野はないのか?」

「うーん、そうですねぇ……」

再び求人誌をめくるが、やはり関心を持てるものが見つからない。かといってこの親身な先輩を無下にするのは気が引けたので、綾人は逆に尋ねた。

「遼さんのオススメとかあります? なんかしっくりこなくて」

「俺の薦めあてにしてどうすんだよ。自分のことだろ」

言葉ではそんなことを言うが、それでも遼は迷える後輩のためにいくつかの候補や方向性を示す。

「ここらへんだと大きなところは大体片倉グループ直系の会社だな。俗世に疎い綾人でもさすがに聞いたことはあるだろ?」

片倉グループ。片倉財閥を母体とし海運や金融、エネルギーを中心に医療やIT、農林水産までも傘下に治めるこの街で知らぬものはいない巨大企業体のことだ。特定の分野においては世界でも圧倒的なシェア・技術力を持ち、国内外を問わずエントリーが殺到するのだという。しかしそこは巨大企業、黒い噂も絶えない。専門の産業スパイ部隊がいるだとか、政治家への並外れた贈賄だとか、果ては孤児を強制労働させている、なんてものまでバリエーションに事欠かない。良くも悪くもバブル崩壊後からこの国の産業界の話題の中心であった。

「綾人の大学ではどの分野にしたってキャリア採用は厳しいだろうな。となれば、地味だが発展性のあるどれかの子会社の地元採用枠に転がり込むのが鉄板だろう。その後グループ内でうまいこと転職できれば出世も夢じゃないぞ」

「なるほど。出世と言われてもあまり興味はありませんが、プランとしては堅実ですねえ」

「そうだろ?」

「でも……、その地味だが発展性のあるグループ子会社が漠然としすぎていてわかりませんよ」

「むっ、さすがに突っ込まれるか。正直、俺自身が就活してたわけじゃないからあまり確証のある会社名は出せないんだよ。バイトの合間に新聞やラジオ、地元ニューズで得た情報と知り合いの話、そこにネットで見聞きした情報を補足して俺なりに整理しただけのものだから」

世間へのアンテナがほぼ閉じている綾人にしてみれば元となる雑多な情報がないので、その整理するだけのことですら非常に難しい。現に、片倉グループ内で地元採用があることも、グループ間転職ができることも何一つ知らなかった。

自分が就職活動を行っているわけでもないのにこういったことをサラッとやってのけるところが、綾人が遼を尊敬する理由の一つである。

「俺、まともに就職できるか自信なくなってきました……」

端から自信も将来像もない。ついでに言えば単位もない。

「そう言うなって。一応気になる会社が一つだけある。聞きたいか?」

「ええ、是非」

気持ちばかりしたり顔の遼がスマホの画面を見せてくる。そこに表示されていたのは、シンプルでモダンな色使いのとある企業のホームページだった。

「HOPE?」

「そう、ホープ。片倉グループの投資ファンド会社のひとつなんだが、投資先は中小企業やベンチャー、地元企業を中心とした事業みたいだ。ファンドとは言っても市場から資金を調達しているわけじゃなくグループ内の資金を元に事業投資という名の還元をしている印象だな」

「それってやる側は意味なくないですか?」

「傍目から見たら慈善事業みたくもあるが、そうとも言い切れんぞ」

ニヤリ、と笑った遼が解説を始める。これは長くなりそうだ、と直感した綾人は悟られるようできるだけ楽な姿勢の模索をはじめた。

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