36 冥界から続く道
ファリエム王国の王女、スノウリア・ティル・ファリエムは悪魔に呪われた魔女であった。正確に言えば人知れず本物の王女を殺害して成り代わっていた偽物であった。
彼女は呪術を用いて人心を操り、父王を含む多数の人間を殺し、その正体を見抜かれ処刑が決定。配下が奪還しようと戦闘に発展したが無事に鎮圧され、後日改めて火刑によって最期を遂げる事となった。
そして数日後に幼い王子の即位と、王に相応しい年になるまでは母であるセルフォーナが摂政を務める事が発表された。
それをもって先王の崩御から続いた国家の混乱は落ち着き、ファリエム王国は世界に誇る大国としてより一層の繁栄を極めていった――。
というこの内容が、国が後世へ残した公式な記録である。
爽やかな風が通り抜ける、初夏の夕暮れ。
国の中心である王城の整えられた通路を、二人の若い男が歩いていく。
一人は癖毛の黒髪と血のように赤黒い瞳を持つ死霊術師。デュレイン・グレイバース。
着ている服は防寒着ではなく、凝った意匠の上下と紋章が刺繍された外衣。
彼は宮廷魔術師となっていた。過去を乗り越え成長し、その実力を認められた結果である。
だが今は、それだけの地位があるように見えない。泣き出しそうな顔と情けない声が、凛々しくなったはずの姿を台無しにしていた。
「た、助かった……本当に助かった。お主は恩人だ、セオボルト」
「ならば面倒な時に己の名を出すな。余計な手間をかけさせるな。己は忙しいんだ」
不機嫌そうな顔で突き放したもう一人は、精悍な体格の、生々しい傷痕を残す騎士。セオボルト・ソーンザイク。
彼は彼でラングロード将軍に見込まれ、補佐の地位に着いていた。反対の声もあったが、生真面目な働きで納得させているらしい。
ただ、ラングロードは騒動後に将軍職の辞退や領地と財産の返納を申し出るなど、騎士の誇り故に国を騒がせた男でもある。その補佐となれば苦労も多いだろう。
それが特に窺える箇所が額。初めに会った時よりも更に視線を向けづらくなっている。そのおかげと言うべきか、デュレインは目を合わせての会話をしていた。
「……し、仕方ないであろう。門番が自分の顔を覚えておらんかったのだ」
デュレインがセオボルトに泣き付いたのは城門に入る際、その挙動不審さを疑われ止められていたからだ。
努力はしているが、未だに生者への苦手意識は完全に克服できていない。支障なく会話を成立させられるのは慣れた数人だけであった。
門番は仕事を全うしただけである。そもそも戦いの後は無茶をした反動で数日寝込んでおり、回復してからはすぐに森の屋敷へ向かったので、城における彼の認知度はまだ低かったのだ。
セオボルトは呆れ顔で溜め息を吐く。
「もっと宮廷魔術師としての自覚を持て。権力者らしい身だしなみを整えろ。そうすれば不審者扱いはされなかっただろう」
「じ、自分は帰ったばかりなのだぞ。身だしなみなど、乱れていて当然ではないか!」
「言い訳をするな。直属の部下の不手際は魔術大臣の評価にも関わる。それが貴様の望みなのか」
「ぐっ……ぬむ……それは、確かに直さねばならぬな……」
悩ましげに唸り、意気消沈して目を伏せる。弱い所を突かれ、デュレインは観念して口をつぐむしかなかった。
魔術大臣とは魔術に関わる案件を担当し、宮廷魔術師を監督する存在。騒動後に作られたばかりの、生まれて一月にも満たない新しい役職である。今まで宮廷魔術師は直接仕事を請け負う形式だったが、元筆頭の件もあって見直されたのだ。
初代大臣はデュレインにとって、上司である以上に頭が上がらない人物だった。
とても迷惑はかけられない。
粛々と反省し、とりあえず髪を撫で付けながら歩くデュレイン。
突然その足が止まる。ふと気にかかるものが視界に入ってきたせいだ。
「む?」
「今度は何だ」
「い、いや。あんな物、庭にあったか?」
刺々しいセオボルトに睨まれつつ、デュレインは窓から見える庭園を指差した。
そこにあったのは石碑。草花が美しい庭園に不釣り合いの、無機質な代物である。デュレインが城を離れる前には無かったはずであった。
それにセオボルトは目を向け、そして険しかった表情を和らげた。
「あれは慰霊碑だ。魔女の魂を鎮める為の、な。完成したのは二日前だ」
「鎮魂の儀式……それは、魔術の領域だな」
「ああ。魔術大臣閣下が全てを指揮し、刻む文言も考えられた。ちなみにあそこはセルフォーナ様の自室からよく見える場所だ」
不思議と機嫌の良さそうなセオボルトの説明。
デュレインはそれを聞いて――込み上げる笑いを抑えきれなかった。
「は、ははっ……ああ……閣下は、本当に強くなったな」
「ああ、まさしく。貴様はついていけるか?」
「……追いかける努力は、惜しまぬつもりだ」
「ならば、言う事は無い」
試すような問いかけに、デュレインは偽らざる本心を語った。
その表情は眩しい憧れを見るようなもの。眺めるだけでなく手を伸ばそうとする、気概を感じさせる顔つきだった。
かつて身も心も死にかけていた彼女は、その足で先へ先へと進んでいる。必死に歩調を合わせなければ遅れてしまう程に――。
「私がどうかしましたか?」
思案に耽っていたところ、件の女性の声が飛び込んできた。
「……へぁっ? ……か、閣下!?」
「これは魔術大臣閣下」
動揺するデュレイン、冷静なセオボルト。
二人が対照的な対応をした相手は、赤茶の髪と青い瞳の、まだ若い二十歳にも満たない女性だった。
国の政治に関わる要職には珍しい年齢と性別のはずだが、気品と威厳を備えており不釣り合いである印象は薄い。
だがそれはある意味当然。
それらは王女として身に付けたのだから。
「お二人とも、そう畏まらないで下さい。私はもう、王女ではないのですから」
死んだ事になっているスノウリア王女は、思い出の偽名と変装姿を借りて生きていた。
現在の肩書きはアリル魔術大臣。国家の上層部においての公然の秘密である。
セルフォーナの呪いの件を公表しては、王家の信頼が失われ国が荒れる要因となる。もしくは王位継承者にその資格無しと見なされ、有力貴族達の泥沼の権力闘争へ発展する。あるいは他国が付け入る隙となる。
だから彼女はスノウリア王女を捨てた。
異例の人事は、才能を求められて、また罪滅ぼしやセルフォーナの監視を兼ねてのものであった。
頼みを受け多少雰囲気を崩したセオボルトが、後退りしていたデュレインの背中を軽く突き飛ばす。
「アリル閣下。お待ちかねの右腕です。どうぞお引き取り下さい」
「話はもうよいのですか?」
「はい。元々不審者の世話をしていただけです。私は急ぎの用がありますので失礼させて頂きます」
「……そうですか。残念ですが、またの機会に話をしましょう」
「はい。また次の機会に」
堅苦しく敬礼し、騎士はそそくさと去っていった。
その場に残され、デュレインとアリルは二人きりである。
久方ぶりの再会。
緊張して顔もろくに合わせられない。
デュレインは心の準備が出来ていなかった。城門において彼女でなくセオボルトの名を出したのは、少しでも時間を稼ぐ為だったのだ。
ただ、出会ってしまった以上は仕方がない。
とりあえず例の石碑へと顔を向ける。
「……また、大仰な墓を作ったな」
「ええ。スノウリア王女は死にました。もう蘇る事はありません。……しかしデュレイン殿。話題にする物を見ているからといって、相手の顔を見なくても許される訳ではありませんからね」
思惑は完全に見抜かれていた。ピシャリと断じられ、デュレインはばつの悪い顔をするしかない。
観念し、心臓の荒くなった動きを感じつつ視線をアリルの方――少しずれた箇所に向ける。
「……おお主、なんだか厳しくなったな」
「ええ。私はもう客人ではなく、貴方の上司なのですから」
「……あ、その、そうだな……」
頭が上がらない。
二人の上下関係は決して揺るがない。
これ以上無駄な話をしても立場が悪くなるだけなので、実のある話へ切り替える。
「……そうだ、仕事の話だ。必要な物は持ち帰ってきたぞ」
「ありがとうございます。希少薬草畑、魔術師薬師の育成、冷却食料庫……全て会議を通して予算と人員は確保出来ていますよ」
デュレインが持ち帰った物は、両親や屋敷の者達が残していた様々な資料だ。魔術の修練法、薬の製法、草花の育成法。
彼らの生きた証を、デュレインが宮廷魔術師として活かす。世界に残す。これが今掲げている、生きる理由だ。
ただし実現するのは難しいはずだった。アリルはさらりと言ってのけたが、それは異常な事である。
「む……全てか? よく通したものだな」
「ええ。疫病や飢饉への備え、国民の命を守る為の事業ですからね。セルフォーナ様も進んで支持して下さいましたよ」
にこやかに笑うアリル。
だがその裏にはなにか寒々しいものを感じる。今や名ばかりで実権がほぼ無い立場とはいえ、あのセルフォーナが進んで彼女を支持する訳がないのだから。
会議の場でどんな話し合いが行われたのか。デュレインは知るのが恐かった。
が、すぐに思い直す。
簡単な仕事ではない。持てる力を尽くし、重鎮達と議論を戦わせたのだ。
改めて、頭の下がる思いを感じる。
「その……悪いな。自分の我が儘で苦労をさせて」
多くの事業はデュレインが彼の事情から提案したものだ。
自由になった彼女が無理に付き合う理由はない。それこそ重責のない気楽な生を謳歌してもいいはずなのだ。
しかし彼女は、それをよしとしない人物だった。
アリルはあくまで自然に、朗らかな微笑みを見せてくる。
「何を仰いますやら。大切な家族が亡くなる心配の少なくなった世界。素晴らしい事ではありませんか」
嘘偽り無い、心からの同意。
温かい肯定にデュレインの心臓は熱く脈打つ。
「私は父から受け継いだ責務を果たし、国をより良くしていく為に。貴方は世話になった方々へ恩を返し、その生の証を世界へ証明する為に。私達は持ちつ持たれつ。互いに協力していくと誓ったではありませんか」
「……そ、そうで、ああったな……」
それは目覚めた直後、今後の身の振り方を相談した際の言葉。それがあったからこそ、二人は宮廷魔術師と魔術大臣になった。
忘れていた訳ではない。だが、互いに協力、ではなく一方的に力を借りているように感じて申し訳なかったのだ。
それなのに、彼女は真っ直ぐで眩しい表情をする。本当に強く、気高い。
それが、とても美しい。
どうしようもなく照れてしまう。
動揺する。口ごもる。輝かしい目を直視出来ず、視線が額の方へずれていく。
そこに、
ひょこっ、と。
大きな瞳が視界に入ってきた。
「ほふぅっ!」
驚き、珍妙な声をあげて飛び上がったデュレイン。
なんの事はない。単純に背伸びをし、アリルの方から視線の方に合わせに来ただけである。
雰囲気を変え、彼女は悪戯っぽくクスクスと笑った。
「ふふっ。これだけ会っているのに、まだ足りないのですか」
「……うるさいぞ。いきなりでは心臓に悪いであろうが!」
「この程度では動じるようではまだまだですね。早く慣れて下さらないと。仕事をする上で支障が出てしまいますよ」
優しい忠告と、軽やかな笑い声が耳を撫でていった。
何度目かも分からないが、どきりとする。
デュレインは彼女を好いている。再確認するまでもない事実だ。
だが、まだ彼女の隣には相応しくない。程遠い。デュレイン自身がよく知っている。
十年自分だけの為に磨いた力を、知恵を、人の役に立てるべく伸ばし続けろ。
先を行く彼女を、追いかける努力は惜しむな。
だが、いつか。追いついた、その時は――
「……っと、いつまでも立ち話はしていられませんね。仕事に取り掛からないと」
「……そう、だな」
「ですから」
未だ落ち着かぬデュレインに、アリルは細い手を差し出してくる。
「とりあえずは執務室まで……エスコートして下さいませんか?」
「……ぬ……お、お望みとあらば、喜んで」
どもり震えつつも、デュレインは精一杯の澄まし顔で望みに応じる。目を真っ直ぐ見て、顔を赤くしながら、手の温もりに心地よさを感じながら。
並んで。手を取って。向き合って。支え合って。
過去に共感し、目的を共有した二人は歩んでいくのだ。
悲劇の物語から始まり、長く険しく続く、輝かしい人生の上を。




