34 死霊と黄金
薄闇が濃くなり、近付いてくる夜。それを押し戻すかのように苛烈な熱気が渦巻く。
王都の広場では奇妙な戦闘が尚も激しく繰り広げられていた。
優勢である側は虚ろな瞳の呪われた兵士達。命令をこなそうとするだけの哀れな集団と成り果てているが、元は精鋭。一人一人高い実力を備えている。
立ち向かうのは一人の少年、デュレイン。息は切れ、脂汗が色の悪い顔中に滲む。足は幾度となくふらつき、もつれそうになっている。着ている防寒着はずたずたの有様。
それでも瞳はぎらぎらと、命を燃やして光らせる。
彼は持てる全てを使って懸命に立ち回りつつ、生屍との別れの時を思い返していた。
右側に幻覚の薬を流し、少しの足止め。その間に魔術を使用。正面に風を吹かせて矢を落とす。
そして左から駆けてくる兵士を引き連れ、幻覚を見る兵士とぶつかるように誘導。接触させ、更なる時間の猶予を作り出した。
『可愛い男の子との遊びは楽しい物でしたがぁ……良かったですよぉ。最後に凛々しい男が見られてぇ』
幻覚剤の調合。風の魔術の教示。
授けてくれたのは両親が亡くなってからの魔術の師であるクラミスだ。自由な言動や悪戯には困ったが、その賢さで時折的確な助言をしてくれた。気ままな浮き雲のような姉だった。
槍と鎧を腐蝕させ、集団全員を丸腰に。危険性を減らして僅かな隙間を潜り抜ける。それでも伸びてくる指先を弓で叩き、置き去りにして先へ。
重くなり言う事を聞かなくなる足。丸薬を飲み込み、苦痛と引き換えに力を得てひた走る。
『姫様を救う事は勿論ですっ。でもっ、ちゃんと、ご自身も幸せにならないと駄目ですよっ!』
触媒、薬。その原料となる多くの草花。
授けてくれたのは庭を管理してくれたサンドラだ。多少そそっかしいが、その元気で喪失感を晴らしてくれた。明るい太陽のような姉だった。
素早く狙いをつけ、前方にいた兵士の足を射って転ばす。並走していた数人も巻き込まれたところで反転。
開けた空間へ走り、遠くの射手の下へ小瓶を届ける。それから放つ、力を絞った弱めの光。目を潰し相手方の矢を封じた。
『無茶だったら逃げ出してもいいんです。それが普通ですから。でも、僕の教えた弓が役に立つなら、それ以上に嬉しい事はないですね。あはは』
正確な弓術。的確に動かせる体の使い方。
授けてくれたのは弓矢の師であるスタンダーだ。常にとぼけていて道も覚えられないが、強さや人の良さは目標にしていた。輝く星のような兄だった。
通常の限界を超え、様々な方法で引き伸ばした限界すら近い体。
そこへ更に痛みが加わる。投擲された鎧の破片が背中に当たったのだ。
歯を食い縛って悲鳴を殺し、倒れないよう踏ん張る。痛み止めや気付けで強引に底力を引き出し、体を動かしていく。
『最後に、よろしいでしょうか』
これだけの苦痛に堪えられているのは、彼女に鍛えられたからかもしれない。
最後に思い返したのは身の回りの雑事、ほぼ全てをこなしてくれていたブリジッドだ。今なら分かるがずっと精神的な成長を期待し、厳しく接してくれた。北風のような婆やだった。
『選ばなかったという事は、決して見捨てる事と同義ではありません。悲しみも寂しさも丸ごと抱え、背負い、一緒に歩む事なのです。それが人の生き方なのです。……だから。ワタクシ共は今、とても幸せでございます』
それが屍に戻る前の、最期の言葉だった。
先に言ってくれれば、楽に決断出来たのに。デュレイン自身の決断を促す為だろう。彼女らしい。
ブリジッドだけではない。クラミスもサンドラもスタンダーも、最期の最期まで本当に、家族だった。
それに、愛らしい動物達も。
狩りを助けてくれ、アリルを見つけてくれ、今も力強い獣として共に戦ってくれているグロン。
馬車を牽いてくれ、この場所まで連れてきてくれ、今もセオボルトの力にもなっているはずのセディ。
紛れもなく幸せをくれた、家族の一員だ。
誰もが何もせずとも居るだけで寂しさを解消してくれた。それ以上に授けられる事も、子供だからと当たり前に享受していた。
それがようやく。
ようやく、それこそ遅すぎたが、デュレインが恩を返す番だ。
明確な形にした思いを声に変え、世界へ表す。
「……分かっておる。お主らの為にも、自分は生きる。背負って進む。だから安心して、冥界より見守っておれ」
走る。走る。
森の木々を抜けるようにデュレインは進む。
兵士の間をすり抜けて、矢の降る中を駆け抜けて。弓と魔術を存分に活用して。意識して笑いを作り、死線を行ったり来たり。
それは単なる逃走ではなく、確かに前へと進む為の疾走。
「自分にはもう、新たな繋がりがあるのだからな」
デュレインはかつての子供ではない。過去は恐れていた生者も、その交流から得た経験は既に彼を形成する重要な一部だ。
例えばセオボルト。
初めは合わなかったが、今では将軍を担当してくれている頼もしい相棒である。
戦力だけではない。忠義や覚悟、見習うべき熱を持つ男だった。
なによりアリル。
初めは外からの強過ぎる刺激だった。だがその刺激が外を見るきっかけとなった。人間の素晴らしさを気づかせてくれた。
救われた。救いたいと思った。デュレインにとって非常に重要な人間だ。
他にも、あの町で出会った人達。
亡き両親への思いを抱き続け、その後の十年ずっと良くしてくれていた。知らず知らずの内に、世話になっていた。
その事を知って、デュレインは理解した。
人は他人と関わらなくては生きていけない。だからその関わりを大切にするのだ。
「……自分は、自分が携わった全ての者に」
デュレインは逃走を終え、広場の中心付近で足を止めた。
敵勢が迫る前で無防備に、しかし背筋を伸ばして凛と立つ。そしてこれまで脳裏に浮かべた全ての者へ、敬意を込めた神妙な笑顔で言葉を送る。
「感謝する……っ!」
これを含めた今までの発言は全て、ある種の呪文。魔術を完成させる為の手段でもあった。
手の中にあるのは金の指輪と、木工の装飾。
それらの触媒が光を放つ。
今までのどの光よりも一際強い、しかし適度に温かく柔らかな輝き。春の昼下がりめいたそれが戦場全域へと広がっていく。
それは解呪の灯り。
触れた者全てを清らかに浄化した。駆け回る素手の者達、マルギィスの傍に控える弓手と守り手、兵士達の動きが止まる。生気が戻り人間らしく呆け、寒さに凍えて震え出す。
そこへ更に死霊を憑かせ、恐怖に染めさせてもらった。
開戦直後の再現。壊滅状態である。
「そやつを仕留めろっ! 仕留めさえすれば、これが望むだけ手に入るぞ!」
反応し、金貨の音を響かせるマルギィス。
前に解呪を使った時と同じ。再び呪いを強化しようというのだろう。
だが、無駄だ。
既にそんな物ではどうにもならない。事実どれだけ金貨の音が鳴っても、兵士の寒さや恐れはそのままだ。
あの呪いはもう、二度とかからないのだ。
それが認められないのか。マルギィスは顔色を変えて喚き散らし、金貨の音がより一層激しくなった。
しかし結局何も起きず、無駄に無為に終わる。
「……何故だ。何故だ何故だ、貴様何をした!?」
これだけの強化を成功させた理由は、指輪に加わったもう一つの触媒。木工の装飾である。
それを渡してくれた人が教えてくれた。
『感謝の気持ちはそんなものに代えられませんから』
人の欲と対になるのは、人の情。
意識して呼び起こした感謝の念は、金の亡者の呪いへの指向性を与え完全に打ち消す鍵となり得る。それがデュレインの気づいた勝利への糸口であった。
負の感情は呪術に最適だが、それは強い力を持つからだ。逆に言えば、強い力を持つ感情ならば触媒として使え得るという事なのだ。
とはいえ手間は要る。漠然とした思いを言葉――触媒となる形にする必要があった。逃げ続けていたのはその時間を稼ぐ為だ。
それに指輪にもアリルの思いが込められている。自身の命を引き換えにしてまで他人に尽くす彼女の思いが、だ。十全に力となってくれただろう。
必ず成功する確証は無かったが、分の悪い賭けではないと信じていた。
「は。何故、だと?」
デュレインは高ぶる胸を落ち着かせ、素早く滑らかに、意識を奪う毒矢をつがえる。
「自分を救ってくれた大勢の人生に、単なる個人の欲望が敵う訳が無い……ただ、それだけの話だ」
兵士は死霊術により護衛を放棄。うずくまり、魔術師の姿が晒されている。最後の容易い仕事だ。
しなった弓が小気味良く音を放つ。
冷たい風を一直線に貫いて――無防備なマルギィスへと、決着の一矢が突き刺さった。
「ぐ、がぐぅ……」
情けなく顔を歪め、しかし往生際は悪く。毒を癒やそうとしてか杖を掲げる筆頭魔術師。
が、それは二の矢で射抜いて弾き飛ばした。デュレインは油断無く、次の狙いも定める。
睨み合いはほんの一時。やがて毒が回ったか、マルギィスは白目を剥いて石畳にどっと倒れた。
魔術師は全滅。兵士はもう死霊術に抗えない。
制圧の完了。
消耗を抑えるべく、広場を覆う冷気の術を解除。心地よく涼やかな、自然の風が火照った肌を撫でていく。
緊張から解放され、デュレインはだらりと弓を下げる。
しかしその顔には色濃い疲労が表れている。気を抜けば倒れてしまいそうだった。魔力不足で薄れゆく意識も、数々の薬による副作用がそうさせてくれない。
とても勝者とはいえない状態だった。
そんな状態の男が、もう一人。重い足取りで歩いてきた。
「そちらも終わったか」
「……む、ああ。……っかなり、無茶をしたな」
「お互い様だろう」
「それもそうだ、が。本題はまだ、これからだ。倒れる前に治さねばな」
セオボルトに返答つつ、慌ててデュレインは弓を放って薬や触媒を取り出した。
顔には痣、右手は折れ、左手は二つに裂け、流れる血が通った跡を赤く染めている。今すぐ手当てが必要な重傷だった。
多少の無理を重ねて魔術で傷を塞ぎ、薬を渡して手早く処置を済ませる。全てが済んだ後で本格的な治療をする必要はあるが、当面の命の危機は去っただろう。
と、そこに。
処置の完了を見計らっていたか、直後に凛とした声がかかった。
「お二人とも」
足早に寄ってくるのはアリル。兵士はデュレインが引き付けていたおかげか、火刑台から救い出して以降の傷は無い。苦労に見合う、美しい姿だ。
その美しさに、強さが加わる。
彼女は決意を秘めた強い眼差しを――護られる者ではなく戦い護る者の眼差しをしていた。
「お話があります」
来週、残りの二話を投稿して完結します。




