31 武勇の在り処
死霊術により兵が乱れラングロードが進み出てきたこの時、セオボルトは馬上で意思を研ぎ澄ませていた。
最優先は勝利。その条件はスノウリア王女を完全に救い出す事。それが果たせるならば、己の身の安全や名誉は全て捨て置く。
森での敗北から気がついた時、彼はそう決意していた。
だから容易く受け入れられた。
あの森から幾つかの戦闘を挟みながら王都まで走り通すという強行軍も。
消耗を僅かな休息と薬で誤魔化さなければならない苦労も。
寒さで凍えている無力な内に兵士を打ち倒す卑劣も。
将軍と手を合わせる機会に他人の手を借りなければならない無念も。
そもそも、これしきの苦痛では、王女の尊い精神には遥かに及ばない。騎士たるもの、戦において主君を上回らないでどうする。
「ぐう!」
眼前には、目を見開くラングロード。目論見通りに死霊が取り憑いた馬が竿立ちになり、これ以上ない隙を見せている。
死霊術師は仕事をした。次は己の番。
大役を前に緊張したのか、セオボルトは唾を飲み込んだ。
本調子でないにしろ魔術の劇薬で体は動く。手綱を握る左手、騎槍を握る右手、その指先まで意識を巡らせる。気力を奮わせ相棒の腹を蹴る。
今持てる全てを込めて、ラングロードへ一撃を見舞った。
「ッ!」
重く鈍い振動。
馬の力が十全に伝わった理想の突きが、右肩の鎧を砕き肉を穿った。
しかし落馬した将軍の横を通過しつつ、セオボルトは顔をしかめる。体をひねられ、狙いがずらされたからだ。
そこでセオボルトは突撃の勢いを上手く操り、方向転換。再度攻撃を仕掛ける。
ラングロードの状態を確認すれば、彼は既に長柄斧を構えていた。出血はあるが傷は浅く動作に異常はない。片膝立ちという不充分な姿勢ながら、臨戦体勢。
流石の強者。遠慮や容赦は、むしろ無礼になる相手だ。
一息に駆け抜け、再攻撃。
甲高い音が派手に鳴った。
しかしラングロードの体勢を崩すだけに終わる。柄を上手く使い受け流されてしまった。負傷した腕とは思えない。
「良い動きだ。よく鍛練を積んでおるな」
余裕綽々な態度に歯噛みしつつセオボルトは反転し、三度目の突進。
衝撃が走った。
だが、先程より上手く、体勢を大して崩さずにかわされる。力だけでなく、技術で。それこそ長年の鍛練の成せる技。
そして四度目。
ラングロードは隙の無い姿勢で、大幅な時間的猶予を持って待ち構えていた。
「疲れもせず、凍えもせず、怯えもしない。確かに優れた軍馬よ。……だが」
悠々と滑らかに。平時のようにラングロードは言葉を紡ぐ。
しかし発する気迫は業火の如く。ただ構えるだけで他者を圧する、英雄の姿。
セオボルトも一瞬呑まれ、しかし歯を食い縛って持ち直す。突進する彼に対し、長柄斧を振りかぶるラングロード。空気が固く険しく張り詰める。
そして両者は衝突した。
「息が合っておらぬ」
「が、は……ッ!?」
結果、セオボルトが飛んだ。
石畳を跳ね、転がり、滑る。セオボルトの全身に傷が作られており、騎槍はひしゃげている。
騎兵を上回る膂力でもって、ラングロードは重い馬ごと突進を跳ね返したのだ。
でたらめな一撃。英雄の名に恥じぬ、常人を超えた武。
将軍は得物を構え直す。
「鋼鉄の異名を頂いた、このラングロード。若騎士相手に幾らかの不利は被ろう。魔術も騎馬も結構。だが最低でも……せめて人馬一体とならねば話にならぬぞ」
騎兵と歩兵。その差をたった一人で覆す、理不尽な強さ。
まだ、足りない。この差を埋めるには、まだ捨て足りない。
セオボルトは痛みを振り払ってセディを起こし、飛び乗った。
しかし今度はすぐに突撃せず、様子見をしつつ広場を巡る。空間を活かし、隙を窺う戦法。恐れた訳ではないが、考え無しの戦いでは敗北しか見えないのだ。
死霊術師はマルギィスや兵士達の相手をしている。むしろこちらが手助けすべき戦力差。頼る訳にはいかない。
ラングロードは油断無く構えを維持している。鋭い警戒の視線が、決して侮らない事を示していた。
「随分と逃げ腰になったな。何か企みがあるようだが」
「将軍には不利を被って頂きたい」
「いや、容易に諦めぬのは良い事だ」
「では、お言葉に甘えて」
決意したセオボルトは再び馬首を将軍に向ける。
真っ直ぐ走らせ、速度を上げて距離を縮める。
ただし手前で進路を変えた。至近距離で迎撃の斧をかわし、通り過ぎる。
そして右後方から小瓶を投げた。
死霊術師から渡されていた触媒である。中身が装備に付着すれば、術をかける準備が整う。発動すれば勝利に近付くはずだ。
しかし、ラングロードは即座に反応。武器を手放し、身を翻し空いた手で瓶を掴んだ。
そして豪腕でもって投げ返した。戦場での投石が凶器となるように、破壊力を伴ってセオボルトを襲う。
「……っ!」
慌てて体を捻ったが、脇腹に命中。
激痛が体内へ響く。それでも漏れかけた声を飲み下し、馬上から落ちないよう気合いを入れた。
瓶はまだあるが、限りはある。下手に扱えば利用される。当てる手段を工夫しなくてはならない。
デュレインからは他にもまだ触媒を預かっている。
その一つは灯りの魔術。
セオボルトの実力では本職の光に及ばないだろうが、夕刻の薄闇に慣れた目なら目潰しとしては役に立つはず。そして視界を奪えば触媒を当てられる可能性はある。
方針を決めた彼は将軍へ向かってセディを走らせた。視今回は阻止されないよう、手前をめがけて瓶を投げる。
「甘いな」
対応は強烈な踏み込み。足元の石を割り砕き、瞬く間に巨体が進む。
瓶まではまだ遠い。届かない。それでも振るわれた武器が、唸る烈風を巻き起こす。
突進を押し留める程の風圧。瓶をセオボルトの背後へ軽々吹き飛ばし、そこで発生した光が淡くラングロードを照らした。
驚嘆し、硬直。手綱捌きが遅れてしまった。
「死なぬ生屍といえど、これならばどうか」
悪寒が正気を呼び戻す。切り返された長柄斧を見て慌てて回避しようとするも、ラングロードはその動きを読んでいた。
刃は下方、セディの右前肢を通過。半ばから切断していったのだ。
突然支えが減り、為す術も無く横倒し。またも石畳に転がった。
今まで支えてくれた相棒は最早立つ事もままならない。
折角あった有利な点が失われてしまった。死霊術ならば治せるのだろうが、兵士達の相手をする今の彼にそんな余裕は無い。
ここからは、セオボルト一人でラングロードに立ち向かうのだ。
「こんなものか」
鼓膜が強く震えた。
顔を上げれば、獣のような瞳が見下ろしていた。
「その程度の実力で、姫君の命を懸けた献身を愚弄したのか」
感じられるのは濃密な、怒りに似た感情。
敵ながら王女を認めているのか。
だとしても彼には将軍という立場、事情があるのだ。その内心は推し量れない。
挑戦的な目つきで、ラングロードは続ける。
「自己満足の無謀な戦いだった……と、そんな戯言は言ってくれるな」
「確かに。この体たらくでは殿下の覚悟を無駄にするだけです」
痛みを締め出し、膝で立ち上がる。自身で意識する不様に、侮辱ともとれる発言を肯定した。
このままでは勝てない。救えない。
だからセオボルトは、暗闇の底で、心を決めた。
「それでは、死んでも死にきれません」
変化を感じ取ったか、ラングロードの目つきもまた変わった。目を細め興味深そうに観察している。
今にして思えば、初めは薄い使命感だけしかなかった。
王女を救い、国を変える。
大恩があるといっても、親の世代の話。騎士の矜恃といっても真なる忠誠心でなく、そうあるべきだからそうしているというだけの、張りぼてめいた代物だった。中身の無い、借り物だった。
間違っても手を抜いていた事はないが、あるべき芯が欠けていたのだ。
だが今は違う。
確かな忠義がある。自分が覚悟を抱いて決めた。何を犠牲にしても必ずスノウリア王女の力になると。
ここまでの思いになったのは、上に立つ者の高潔な責務を思い知らされたから。
もしくは。
別れてから初めて見かけたあの街で、逃走中には見られなかった笑顔を見た時。自分が守るべき物はこれなのだと、理屈抜きに感じ取った時からか。
己が救えなかった部分を救ってくれた死霊術師に、心の内で感謝する。
己の血を掌に塗りたくり、切断されたセディの前肢を掴む。
それは、触媒。
「思い上がりが負けに繋がった。始めから考えが軽かった。それが為に殿下に身を切らせた。そんな弱い自分自身を――」
セオボルトは自らの過ちを確認するように語る。内側に熱を伴う、夏の闇夜めいた瞳で。
死霊術師は、呪術を扱うには闇に近い方が望ましいと言った。人の感情は醜いものの方が強いとも。
今なら真に理解出来る。
途方もない無力感。魂を焼きつける苦しみ。不甲斐ない己への怒り。
確かにこの暗闇は深く濃く耐え難いものだ。
ならばその溢れ出さんばかりの思いを利用するまで。目的は違っていたが、その為の修練は積んできたのだ。
死んでしまえ。
死んでしまえ。
死んでしまえ。
「己は、呪う」
死んでしまえ。何も護れぬ役に立たずならば。




