28 雄弁なる赤の色
「呪いの姫君よ。お迎えにあがりました」
窓から見える小さな空が薄闇に染まり出した頃。スノウリアの過ごす王城の片隅を、ラングロードが二人の兵士を連れて訪れた。
泰然としている将軍とは違って、兵士の顔は若干青ざめている。そこに見えるのは恐れ、それから同情めいた哀れみ。
予想より早かったが、用件は一つだ。
「もう時間ですか」
「はい。準備は整いました。間もなく姫君は裁きを受ける事となります」
淡々と告げられた、終わりの時。
改めて死を認識させられ、全身が冷たくなる。光も音も臭いも消えたよう。心臓すら動きを忘れたかのような感覚。
それでも、既に心は決まっているのだ。
瞑目し一呼吸で平常心を取り戻す。そしてあくまで穏やかに、場違いに軽やかな笑みすら浮かべてスノウリアは立ち上がった。
「では、参りましょう」
「……流石ですな。肝を据えておられる」
「ええ。この期に及んで見苦しい真似は致しません」
虚勢でない決意を示して部屋を出ると、前に立つラングロードと後ろについた兵士に挟まれた。圧迫感も意に介さず、淀みのない足取りで薄暗い廊下を進んでいく。
「……少々、気にかかる報告がありましてな」
その途中。ふと思い出したような、何気無い口調でラングロードが言った。
何故罪人に報告を聞かせるのか。不思議に思いつつも無言で促すと、彼は静かな語り口で続ける。
「関所を強引に突破した者がいるようです。不気味な馬に騎乗しており、衛兵を振り切ってここ王都へ向かっている、若い男の二人組だとか」
「……それが、どうかしましたか?」
「心当たりはありませんか。私はあの森に残した、二人の死人が勝手に蘇ったのだと考えているのですが」
ラングロードは反応を見る為か振り返った。見定めるような鋭い目つきに射抜かれるも、スノウリアは全く動じなかった。澄ました顔で見つめ返す。
心当たりは当然、ある。
デュレインやセオボルトが救出に来る。今まで考えなくはなかった。むしろ彼らならば必ずそうするだろうと確信していた。どれだけ望んでも、大人しく自己犠牲を尊重する人間ではないのだ。誰もが、自身の事は棚に置いて。
だから、スノウリアの返答は既に決まっている。
「そうだとしても、今更意思を翻すつもりはありません。悪足掻きの時間稼ぎもするつもりはありません。私は呪いの魔女として死にます」
読み上げるように流暢な調子で断言。
時間、戦力、様々な要素を考えれば失敗の可能性の方が高い。ならば確実に、より多くが助かる道を選ぶ。
望みは捨てた。捨てたからこそ、彼女の言葉は説得力を有したのだ。
道連れは望まない。
願わくば、どうか彼らが辿り着く前に全てが済んでいますように。
揺らがなかった答えが納得のいくものだったか。将軍は満足げに笑い、前方に向き直る。
「やはり器が違いますな。呪いの姫君よ、巡り合わせ次第では喜んで剣を捧げていたでしょう」
堂々とした背中を通しての称賛。
世辞や皮肉とは思えない。森での行動といい、本心からスノウリアを認めているようだ。
しかし、解せない。
訝ったスノウリアは背後を見やる。二人の兵士は過剰な程に顔を引きつらせている。同意見と思われては堪らない、そんな表情だ。
わざわざ立場を危うくして意味があるのか。この極限の状況下でも、妙に引っ掛かった。
「……貴方の言動は少々ちぐはぐに聞こえます。継母上に従っているのではないのですか」
「私は戦により出世し、地位も財産も得ました。戦が無ければ平凡な下級貴族として一生を過ごしていたでしょう。……しかし、出世の機会が無くなろうと、戦などは起こらぬ方がよいのです」
「内乱を起こさず穏便に事態を収める為、ですか」
「はい。国の為、民の為、犠牲となる。非情なれどそれが姫君としての運命だったのでしょう」
ラングロードは静かに厳しく言い切った。
それに異論は無い。スノウリアが受け入れた定め。上に立つ人間の責務なのだ。
これが実現出来るのも、ラングロードの理解と協力あってこそ。膝を着いて提案を飲んでくれた彼に、改めて感謝した。
ところが、少しの間を置いて、彼は厳格な雰囲気をあっさりと崩した。
「……それが正しいのだと、あの森に行くまでは信じていたのですが」
「ですが? なんでしょうか」
肩をすくめながらの発言に、またも興味をそそられて問い返す。
恐らくはラングロードが仕掛けた通りに。
「夢から覚めた感覚と申しましょうか。姫君の交渉を聞いて以来、自分の考えが正しいのか疑うようになりましてな。さりとて私は口出しする立場にありません。故に、国の行く末は公平に、天へ委ねようと考えた次第です」
「……戦いが公平な判断手段だと。やはり武人なのですね」
「はい。運命を覆したければ、それに見合うだけの力量と覚悟を示さねばなりませんからな。……残念です。姫君と屍のそれには、期待をしていましたが」
不謹慎でもあるが有り難い、将軍の言葉。
思わせ振りな台詞を言い続けたラングロードだったが、これが最後。以降彼は口を開かず、無言で歩を進めていた。
足音だけが反響する中、スノウリアは無意識に考えてしまう。
様々な人間の思惑。そしてあり得るかもしれない未来を。
だが彼女の決心は揺らがない。意識してあくまで無心に、余計な思考を頭から追い出すのだった。
「これより罪人への刑を執り行う!」
高らかな声が響いた終わりの舞台、その光景をスノウリアは冷めた目で見渡した。
王城のすぐ前、城下町で一番大きな広場だ。普段は市や見世物が行われているその場所に、現在は火刑台が設置されていた。
用意された特別席で待機する継母を始めに、要職に就く貴族から下級の役人、警備の騎士や兵士、一般の民衆までが集まる。愉悦、恐怖、同情、憤怒、それぞれの顔にそれぞれの感情を浮かべて。
広場の中央、火刑台にてスノウリアは縛られ、身動きのとれない状態。裁かれる悪の魔女として、重圧的な視線を浴びている。
感じる圧力は、まさに人間が持つ見えない熱量そのものだった。
「貴女には国王陛下暗殺、他一般市民の殺害、呪術による洗脳の疑いがかけられている。間違いはないか?」
緊張した面持ちの役人が堅苦しく言った。
これはあくまで形のみ、問いではなく決定事項。偽りを事実に変換する為の大袈裟な表現行為だ。
だからスノウリアは心を冷やす。内にある闇を呼び起こす。
平坦な声音を作り、薄笑いを整え、破滅を望むおぞましい魔女を演出する為に。
「間違いありません。私が父上を呪い殺しました。他の罪も、同じく」
瞬間、群衆がざわめいた。半信半疑だった者は疑の割合が大きくなり、抗議していた者は逆に押し黙る。
目論見通りの変化。
継母を信じ、今抱いた感情を信じ、真実を探ろうなどと考えもしない。それでいい。
民衆の心変わりを完全にするべく、演技をとことん貫く。
「私は破滅を望む魔女。この国を混沌に落とせなかったのは残念でしたが、せめてこの愉快な光景を冥界へと持ち込みましょう」
嫌な静寂が広場を満たす。心を抉る、失望や憎悪の視線が突き刺さる。人々に広まるのは、根元からの恐れ。
集まった表情は、最早罪人より化け物を見るそれに近い。
ふと、遠くの継母と目が合った。彼女は悪趣味な愉悦と深い満足により、大きく歪んでいた唇を開く。
「汚らわしい罪人に刑を執行せよ!」
権力者の号令により、時が動く。
執行人が手早く仕事をし、足下にに火がつけられた。
まずは上ってきた煙にむせ、次に熱を感じた。布が焦げる臭いが鼻をつく。
炎は徐々に勢いを増し、灼熱へ。広場の光景が赤に染まる。焼かれる苦しみは過去に負った火傷とは比べ物にならない。
熱い。熱い。苦しい。
それでも悲鳴はあげてやらない。堪えて、薄く笑う。残された意地で不気味な魔女を演じ続ける。
段々と死が近付く中、赤い壁の向こうで民衆の声が大きくなった。彼らにもスノウリアの死は歓迎されているのだ。
「ああ……」
かすれた声は何を言いたかったのか。自分でもよく分からない。
それだけでなく、既に現在の自分の状態もよく分からない。
感覚が消えていく。
冥界へ、死人へと近づいていく。
だが、まだだ。
まだ望みは、叶っていない。
早く。
早く。
この身よ、燃えよ。燃え尽きよ。
無謀な勇者が到着するその前に。
炎に呑まれ、薄く笑う。
群衆のどよめきが遠くなる。炎の熱も感じられなくなる。
何事も無く火刑は進み、人生の幕が降りていく。
意識も、五感も、存在全てが薄まり消えて――
いや、
薄まったはずの、人々の声がよく聞こえる。
もう死霊になったのか。それで感覚が鮮明になったのか。
違う。単にどよめきが、叫びへと名前が変わる程に大きくなったのだ。
その、理由は。
「誰かそいつを止めろぉっ!」
耳を突き抜けた刺激が意識を叩き起こす。
悲鳴に怒号。甲高い金属音や鈍い衝突音、軽快な蹄の音。
赤一面で役に立たない視覚の代わりに、聴覚が情報を拾う。判断するには圧倒的に足りない。だが予想はつく。
まさか――
「っ!?」
突然の風に思考を遮られた。それも身を刺すような冷気を纏う、冬の風だ。
瞬く間に火刑台の炎が消える。視界を覆っていた煙も吹き散らされた。一瞬にして死が遠退く。
しかし、今度は寒さに襲われ、自然と体が震える。歯の根も合わずに音を立てる。
しかし、それがむしろ心地よい。あの森の体験を思い出させてくれるから。
「懐かしいか?」
騒ぎと冷気を突き抜け、優しい声が届いた。
予想はしていたが、その瞬間にはっとなる。次いで嘆息。寒さも忘れ、危地に飛び込んできてしまった彼を心中でなじった。
そんな思いを余所に、声の主は足早に近付いてくる。
「お主は死んだ。それだけの覚悟が無ければ出来ぬ芸当をやってのけた。だから自分が」
煙と炎で潰れていた目が視力を取り戻し、防寒着を身に付けた少年の姿を見せてくれた。
「……よっ、よ蘇らせに来たぞ……ア、アリル」
あえて偽名を呼んだのは、紛れもなくデュレイン。
視線は上の方にずれ、声は上擦っていた。心なしか震えているようにも見える。
姫を助けに来た英雄。それにしてはなんとも格好のつかない、気の抜けるような登場である。
しかしスノウリアは胸が熱くなり、息が詰まった。返すべき言葉も表情も分からず、ただ堅く唇を引き結ぶばかり。
泣き腫らして赤くなった彼の目元が、下した決断の重さを何よりも雄弁に示していたから。




