27 死を待つ者は笑う
人影が、薄闇にぽつんと浮かぶ。
小さな窓から差し込む細い光が狭い空間を照らしていた。冷たい石壁、最低限の粗末な家具と布、全体的に殺風景でかび臭い環境だ。
現在スノウリアがいるのは懐かしき、かつて幽閉されていた王城の片隅。
冥界の森より急ぎの旅路を経て、彼女はまたこの場所へと戻ってきた。
無実の囚人。哀れな扱いに痩せ衰えた、ただ死を待つだけの身。一度脱出する前と変わらない状況である。
しかしそのやつれた顔に、かつてあった絶望はない。
受ける印象は不気味さよりも、逆境に屈せぬ高貴さだ。本人すら認めた死人らしさが打ち消された、毅然とした表情で凛々しく座っている。
結末は同じだろうと、自らが望んだもの。唯一の救済でなく、満足感すら抱いての死であるからだ。
残り僅かだろう刑までの時間。怖れず、求めず、ただ安らかに過ごしていた。
そんな時に届いたのが、反響する幾人もの足音。
姿勢を正し、音の主を待つ。すると間もなく粘着質な女の声が聞こえた。
「……忌々しい顔つきだね」
突然の悪意がスノウリアを刺し、思わず息を呑んでしまう。
発言と容貌に満ちるのは、嫌悪と侮蔑と不快感。暗がりにも埋もれず主を飾るのは、豪奢な衣装と装飾品。酷薄な来訪者は鋭い刃めいた雰囲気の美人だった。
彼女こそスノウリアを陥れた継母――セルフォーナその人である。
その抱える敵意は以前より減じず、むしろ増してすらいた。
マルギィスや高い地位の貴族、兵士達を後ろに引き連れてのやけに仰々しい訪問。だが彼らの方はと言えば顔色が妙に悪い物も少なくなく、乗り気でないらしかった。
誰にしも複雑な事情はある。罪悪感があっても逆らえないのか。こんな立場であるのに同情してしまう。
そもそも継母の性格からすると来たくもない汚ならしい場所である。なのに公式な場に呼びたてなかったのは、この囚われの姿を見下し配下にも見せつける為か。やはり随分と嫌われている。
だから当てが外れて機嫌がすこぶる悪いのだろう。彼女は嘲笑と悪意を重ねてくる。
「こんな境遇で笑えるだなんて、まともな神経じゃあないね。全く気味が悪い。おぞましい。まさしく呪いの子だよ」
「……ええ、継母上が見抜いた通りです」
一息吸い、整えて一言。心の底に刻まれた恐れを振り払い、スノウリアはうすら寒い微笑みを返した。
今更怖じ気付いていられない。心の準備はとうに出来ているのだ。
その覚悟、継母にとって利点となる証拠を提示する。
「私は破滅と混沌を願う呪いの魔女。父である王を呪い殺した帳本人。ですが、救国の英雄たる継母上の前に敗北を認め、潔く散りましょう」
顔には不気味に影を落とし。声には偽りの悪意を潜ませ。スノウリアが空気を支配し、強張らさせた。
演出は充分。事実を知っているはずの継母側の人間さえ、息を呑み頬をひきつらせている。
自ら内側を酷く傷つけつつ、スノウリアは役目を果たした。
セルフォーナは連れを見回してその影響を確かめ、口角を裂けたように高く吊り上げる。それから機嫌が良さそうに大きく笑った。
「言ったね。ああ、しっかり聞いたよ。お前は正真正銘おぞましい大罪人。そして私は正当な勝利者。そうだろう、マルギィス」
「はい、正しく。セルフォーナ様の名は偉大な王族として歴史に残るでしょうな」
下卑た笑顔でへつらうマルギィス。全身で媚びに取り組んでおり、関係性がよく分かる。それに比べると他の取り巻き達は同調しつつも大人しめではあった。
継母は上機嫌で指示を出していく。
「おぞましい悪はすぐに罰さなければならないね。準備を早めな。それから大罪人を庇った連中も同罪だ。全員火刑に――」
「それは考え直す事を進言致します」
聞き捨てならない台詞にスノウリアが割り込んだ。
途端に消える上機嫌な笑み。苛立ちをその顔に表出させたセルフォーナが高圧的に睨む。
「はああ? 罪人の立場で何を言うんだい」
「私を庇った方々は皆、私の呪いにより考えを改めたのです。であるのに彼らを罰すれば、民衆にはあまり印象が良くないでしょう。ここは義母上の寛大なお心を示した方がよろしいかと」
「……利用した駒の心配かい? 破滅を願う魔女らしくないねえ」
「いえ、心配ではありません。もう不必要な駒です。そんな方々に、折角の華々しい散り様を邪魔されたくないのです」
道連れは望まない。死への道はたった一人で。
そこだけは譲れない。
堂々と語る嘘。スノウリアは偽りを、悪の微笑をたたえて真実らしく装う。
ただし相手も容易くはない。セルフォーナは厳めしく拒絶してきた。
「呪われた方が悪い。罪人は罪人だ。一人足りとも見逃す訳にはいかないね」
「では呪いを解きましょうか。優秀な方々ばかりです。正気に戻りさえすれば継母上の助けになりましょう」
「……わざわざ私を助けるって? 企みには乗らないよ」
「私は既に敗者の身。である以上は勝者に尽くす事が礼儀というものです。そもそも最低限の仕事は済んでいますからね」
すらすらと。あまりにも自然に。
その様子に起きる、どよめき。演技だと分かっているはずの相手方に動揺が走る。それを無視出来ないと判断したか、セルフォーナはマルギィスと目を合わせた。
そして彼女は集団から離れて歩を進め、スノウリアだけに聞こえるように囁く。
「口を慎みな。あんたの態度次第で大勢死ぬんだよ」
強烈な悪意に再確認。
罰も利益も建前。継母はわざわざスノウリアを苦しめる為だけに行動しようとしているのだ。
ならば負けられない。
己の矜恃、それから森での思い出を頼りに立ち向かう。
「敗者の身でありながら見苦しい真似はしたくありません。ですが継母上次第では、刑の執行の際、私は無実だと命乞いをするかもしれません」
「はん。大罪人の話なんて誰も聞かないよ」
「お忘れですか。私は魔女です。呪いを込めた言葉ならば、民草は信じ継母上に不信感を抱くでしょう。国は荒れます。国中が血と怨嗟に満ちます。そのような素敵な惨状に至るかもしれませんね」
言葉を選び、表情を作る。不気味な魔女の演出を、力の限りに。
「それをするつもりがないのは、自ら見る事が出来ないのなら意味が無いからです」
それは脅迫。
勿論呪いで信じさせる事など出来ないが、決して下手には出ず強気で。単純に抵抗するだけでも安定した政権を握るには不都合だろうから。
目論見は上手くいった。
セルフォーナはともかく、後ろの重鎮や兵士達は戦慄している。少しやり過ぎたか、本気で信じてしまっているように見える。
継母も彼らの変化を考慮したか、苦い顔で折れた。ただしスノウリアを苦しめようとする点は貫いたままで。
「そうだね。許そうじゃないか。ただし、全ての罪はあんた一人が背負うんだ。いいかい、死ぬからって楽じゃないよ。この先、名も魂も蔑まれるんだ。本当に分かっているのかい?」
「ええ。それが、私の義務ですから」
身を粉にして他者に尽くす。それが上に立つ人間の生き様。
魂に染み付いた誇りを実行すべく、堂々と言い切ったスノウリア。折れない意思の強靭さを示していた。
それで話はついた。
背後の腹心と目配せし、継母は引き返す。ただしその前に置き土産を残して。
「……忌ま忌ましいぃ……っ!」
他の者には聞こえない程に小さな、しかし激しい独り言。
彼女が踵を返す直前に見えたのは、業火のように爛々と輝く瞳と、荒波のように歪んだ唇。醜い人間の形相だった。目に見える程の、激しい負の感情を宿していた。
それはスノウリアの強かった意思すら揺さぶった。
けれど彼女は深呼吸し、腹に力を込めて堪える。そして落ち着きを取り戻すと、あれだけの憎悪が他人ではなく自分一人だけに向けられた事に安堵するのだ。
「……ええ。これでいいのです」
セルフォーナ達が去った静かな空間で一人呟いた。
ただ安らかな思いで、スノウリアは終わりの時を待つ。




