25 暗闇の分かれ道
トン、と硬質な小気味良い音が鳴った。
場所は森深くに建つ屋敷の前、開けた空間。木の枝に吊るされた板に矢が刺さったのだ。
それを成したのは黒髪の幼い少年。彼は後ろで見ていた三人に、子供らしい実に嬉しそうな顔で自慢する。
『当たった! ほら当たったよ、ねえ見てたよね!? 凄いよね!?』
『すごいです若様っ! もうそんなにお上手なんですねっ!』
『あはは。僕としても教え甲斐がありますね』
『お見事ですねぇ。ひょっとしたら魔術よりも才能があるのではありませんかぁ?』
口々に誉める若者達。拍手の音を響かせ、子供の上達を温かく祝福していた。
それを受けた少年は得意気に胸を張っていたが、最後の言葉には頬を膨らませて抗議する。
『違うよ、ぼく魔術の才能の方があるよ! 将来は父様と母様みたいな凄い魔術師になるんだから!』
『あらぁ。では弓はただのお遊びなのですかぁ? スタンダーも不憫ですねぇ』
『ちっ、違うよスタンダー! ぼくそんな事思ってないよ! 大好きだよ!』
『あはは。若様大丈夫です。僕は分かってますし、気にしてないですよ』
『もうっ! どうしてそう意地悪を言うんですかっ、クラミスさんっ!』
ゆるゆるとした素振りでなだめたり、大袈裟な動作と共に口を尖らせたり、たしなめられても反省の色が見えなかったり。個性的な彼らのやり取りにより、少年の表情は焦りから安堵を経由し、最後には無邪気な笑顔になった。
感情表現の豊かな彼を中心とした、賑やかなひととき。どこにでもあるような幸せがそこにあった。
そんな場にもう一人の人物が現れる。
『騒々しいですよ、あなた達。坊ちゃまの遊び相手だからといって節度は守りなさい』
使用人姿の老女はその厳しい口調によって若者達を萎縮させた。
しかし少年はものともしない。むしろ彼女に向かって、元気よく駆け寄っていく。
『婆や! あのね、ぼくの矢がちゃんと的に当たったんだよ!』
『それはようございました。練習に励んだのならさぞかし疲れたでしょう。お食事の用意が出来ておりますよ。参りましょうか』
『うん!』
元気な返事を合図に、五人は連れ立って屋敷の中へ。
そして集まったのは食堂。広い食卓に彼らは着いた。
並べられた料理に我慢出来なかったか、少年は席に着くなり行儀よく食べ始める。しかしその途中、不思議そうに首を傾げる。
『どうしたの? なんで皆は食べないの?』
沈黙が訪れた。
それも先程までと一変した、痛々しい程の静寂が。
その空気を作った当人以外の者は皆、強張った顔をしている。それも生気の欠けた異様な姿だ。互いに顔を見合わせ、言いかけては口を閉じる。居たたまれない辛い環境。
だが、厳格な婆やは動く。静かに、諭すように、ハッキリと理由を告げた。
『……坊ちゃま。ワタクシ共は、生屍なのですよ』
「がはっ! ごふ、ごふっ!」
胸を焼く刺激にデュレインは飛び起き、激しくむせた。
心当たりのあるこの感覚は、気付けの術。強引に覚醒させられ、気分は悪いが頭は冴えていた。
辺りでは地面が抉れ、多数の矢が散らばる。馴染み深い屋敷の前が戦闘の跡により変貌していた。
そして目に入るのが、変わり果てた愛しき面々。
「あ……」
あまりの惨状に言葉を失った。
婆やもクラミスもスタンダーも、片腕であったり胴に穴が開いていたりと、多くの欠損が見られたのだ。胸が抉られたように嘆きが満ちる。
「待っておれ今すぐ――」
触媒の小袋を取り出そうとしたデュレイン。だが、その手を強く掴まれ邪魔された。
「っ! 何をするのだっ!?」
「貴様こそ落ち着け。思い出せ。また倒れられたら困る」
激昂したデュレインに、握力と声音で冷や水を浴びせたのはセオボルト。
少し冷静になった頭で、意識を失う直前の出来事を正確に思い出した。そして状況を理解し、か細く呟く。
「……そう、だな」
婆やに解呪をかけられたのを皮切りに形勢が崩れ、敗北も同然の状況に陥った。そこにスノウリア王女が現れ、デュレインを眠らせたのだ。
そして彼女と敵方の二人は今、この場にいない。
「……あの後の話、詳しく話せ」
「はい。ワタクシがご報告しましょう」
悲惨な見た目に反して凛然と、全て見聞きしていたという婆やが顛末を語った。
静かな語りにより、冷気の存在感が増した。
聞き終えて蒼白になったデュレインの顔が大きく歪む。抱いた思いは数あれど、心の多くを占める感情はたった一つだ。
「情けない……っ!」
「同感だ。護るべき殿下に身を切らせて生き延びるなど、己を許せん」
二人は揃って悔しさに歯噛みし、拳を震わせる。自責の強さが見える行動となって表れていた。
ある程度は察せられていたが、改めて突きつけられたのだ。懸念していた王女の危うさが最悪の形で発揮されたのは、敗北の結果だという事を。
命を救われた彼らに、彼女を責められる道理は無い。
惨めな敗者達の前に、おずおずとサンドラが進み出てきた。
「……その、姫様から言伝てと品物を預かっています……」
戦闘に参加していなかったので無傷だが、内面はそうもいかない。固いが充分に悲痛な面持ちの彼女にもまた、自責の念が窺えた。
「『これまでありがとうございました。残る人生はせめてあの優しい方々とお過ごし下さい』。それと、これは今日まで匿っていた事の報酬だと……」
差し出されたのは美麗な細工が施された、金の指輪。
手に取ったデュレインはぼうっと眺め、それから強く握りこんだ。掌に痕が残る程強く。
「騎士様には『決して無謀な考えを実行しないように。今後は私の代わりに、デュレイン殿への恩を返して下さい』と……」
「ぐっ……殿下……」
歪みの大きくなった顔を俯かせ、声を絞り出すセオボルト。
考えを見透かした上で無茶を封じる。最後まで王女は他人の心配ばかりだった。
「どうされますか、坊ちゃま」
「……どう、だと?」
「王女様の言伝て通り、余命をこの森で使い尽くしますか。それとも、王女様を救う事に尽くしますか」
婆やが提示した、二つの選択肢。
一つは安全な、王女を客人として迎える前と同じ生活。
一つは危険な、折角永らえた命を、そして彼女の覚悟を無駄にする戦い。
不思議と、すんなり答えは出た。
「……当然救いに行く。自分は、ここで投げ出すような恥知らずではないっ!」
迷わず、言い切る。
顔つきは勇ましく、立姿は堂々と。まるでひとかどの戦士。デュレイン自身も驚く程に熱くなっていた。
「恩を返す。殿下のお言葉に従い、己も力を尽くそう」
「……そ、うか。言い訳を考えるのも、大変だな。忠義者め」
重い声で宣言したセオボルトと向き合う。
反射的に逸らしそうになるも腹に力を込めて堪え、視線を重ねる。 目的と意志が重なった瞬間でもあった。
「では、具体的な作戦を話し合いましょう」
決意がまとまったところで婆やが手を打ち、作戦会議を促した。
幾ら思いが強くとも、気合いや精神論でどうにかなる話ではないのだ。
「……まず……は、そもそも王女の処刑までにどうやって追いつくか、が問題だな」
「はい。ただでさえ目覚めるまでの遅れがありますし、話を聞いた限り例の王妃は一刻も早く済ませようとするでしょう」
「領地に帰り兵を連れて王都へ攻め込む……それだけの猶予は無いだろうな。魔術を用いれば可能か?」
「……ふ、不可能だ。強い魔術は、それだけ大掛かりな準備がいる。到底間に合わぬ、だろうな」
「戦力はともかく、戦いすら起こせんとはな」
状況を整理した事で絶望的な事実が明らかになった。
セオボルトも自嘲顔で無念そうに呟く。それが現実を実感させ、デュレインにも重くのしかかる。
だが、どんな時にも光明はあるのだ。
「セディに頼るしかないでしょうか。生屍ですので疲れ知らず。王都まで衰えず、馬を替える手間もありません。それでも賭けですし、お二人の疲労もありますが、間に合う可能性がある唯一の手段でしょう」
婆やが示す解決策は、無謀を叶えるのに相応しい無茶な方策。
だがそんなことは問題にならない。挑戦者は躊躇無く、前向きに掴み取る。
「そう言えば馬車があったな。この六人を乗せられそうだが、生屍と言えど牽けば速度は落ちるか?」
「はい。速度を第一に考えるならば二人が限度……あとは猟犬程度でしょうね」
「……更に数が減りおったか。笑えてくるな」
「ああ。相手には将軍と筆頭魔術師だけでなく、王城仕えの兵士が加わるはず。それを二人で、だ。まともにぶつかる訳にいかんな」
そう言って、セオボルトは委ねるように森の主を見た。騎士の武力では騎士の務めを果たせない。必要なのは死霊術師や生屍の尋常ならざる力なのだから。
「……冷気と毒で撹乱し、出来る限り戦いを避けて速やかに王女を連れて逃げる……それでも難しいが、妥当なところか」
「何を仰いますか。処刑を止めるとなれば、刑場がそのまま戦場となります。坊ちゃまの力を活かす絶好の戦場ではないですか」
「……む? ……そう、か。確かに。それならば勝機はある、か」
婆やの助言にデュレインははっとして顔を上げる。着想の浸透に伴い、瞳が明るい希望に輝いていった。
話から置いていかれ、専門外のセオボルトは疑問符を浮かべるばかり。それでも口を挟まず、信頼すら滲ませて見守っていた。
しかし突如一転。ある事に思い至ったデュレインの顔色が、瞬く間にどんよりと曇る。
「……いや待て。しかしそれでは体が持たぬ。今の自分が扱える数は精々が十程度。到底勝てるとは……」
「ですから魔力の消費を抑えればよいのです。不要な上に消耗の大きい術の維持を廃して」
婆やの言わんとする内容をデュレインは即座に理解し、目を見開いた。
彼が維持している消耗の大きい術――つまりは死霊術を解く。
それはつまり。
「お主らか王女か……どちらかを選べと言うのか!?」
痛々しく叫ぶデュレインの言葉を、無言の婆やが強く深く首肯した。
死霊術師の前に用意されたそれは、命の選択。




