24 死人のように白く
『全く、主の立場で情けない』
『ご自分の立場をお考え下さい』
『王女殿下』
――私には、何が出来る?
安全の為退避した先。馬小屋の前に佇むスノウリアの脳内では、様々な言葉が駆け巡る。
離れた場所の光景が写る鏡。離れた場所の音声を発する鳥の頭骨。王女はサンドラと共に、魔術によりデュレイン達の戦いを見守っていた。
その表情は、感情が読み取れない程に真剣。無心で集中している様子である。
戦況は悪い。それどころか敗北寸前だった。
だからこその、思考。
この状況で己が出来る事を、経験の中――頼れる人々や敵対する人々の言葉から探す。
そしてスノウリアは遂に決断した。よりよい未来を求め、考え抜いた上での、重大な選択を。
彼女は今も戦いが繰り広げられている玄関先へと足を向ける。強い意志の炎を瞳に宿して。
「駄目ですよ姫様っ! 危ないですっ! 急いで逃げましょうっ!」
とはいえ、すぐにサンドラが腕を掴んで制止してくる。それもかなり必死な態度で。当然の、予想された反応だ。
生屍だらか、見た目より遥かに力が強い。到底振り払いは出来そうもない。
だとしても、スノウリアは折れなかった。前を見たまま、対抗の言葉を向ける。
「逃げても無意味ですよ、サンドラさん。貴女も聞いていたでしょう? 探知の魔術ですぐに見つかってしまいます」
「だとしても駄目ですよっ! 諦めるのはいけませんっ!」
「ええ、その通りです。諦めてはいけません。私はその為に行くのです」
「若様達に任せましょうよっ!」
「……以前、婆やさんが仰っていました。上に立つ人間には責任があるのだと」
慌てるサンドラに対し、あくまで落ち着いてスノウリアは振り返る。
その表情は微笑。ほの暗い月夜のような、透き通った氷のような、儚い危うさを持つ微笑みだった。
「私も、父上からそう教わりました。王族たる者、国民を守る為に生きる事が責務なのだと」
思いが伝わったのか。意志の固さに諦めたのか。
サンドラが掴む力は徐々に弱くなり、やがて離れた。気落ちしたように項垂れる。
それに後ろ髪を引かれつつも、スノウリアは厚意に甘える。これが最後、別れの時だからと。
「ありがとうございます。それでは、ついでに言伝てをお願い出来ますか?」
「本当に……役に立たない人でしたね」
そしてスノウリアは戦場となった玄関先で、デュレインと対面した。
悲痛な表情で思ってもいない言葉を吐き、その毒で自分自身を傷つけつけながら。
「…………お、お主、まさか……止めるのだ!」
これからしようとした事を察したか、彼の顔色がさっと変わった。怒りに支配されていたような激しいものから、恐ろしい出来事に見舞われたような蒼白なものへと。
だがスノウリアは止まらない。手早く必要な物を取り出す。
それは護身用にと渡された、眠り薬。それをデュレインの顔にぶちまける。
「お、あ……」
がくりと崩れ落ち、地面に伏す彼。避けざるを得なかったが、伸ばされた腕には最後まで厚意が感じられた。
次いで婆やとクラミスに目配せすれば、彼女らは少しの迷いを見せた後に自ら横になった。スノウリアの意向を尊重してくれたのだ。
舞台は整った。後はこれからの戦いに備え、心の準備。
デュレインから渡された物は他にもある。
心を落ち着ける御守り、木製の装飾品だ。それを掴み、力を得る。
先程の仕打ちをしておきながら、頼るのは彼。勝手な行為に自己嫌悪を感じつつも、邪魔になる感情を無理矢理追い出していく。
そこに、馬上から鋭い問いかけが投げられた。
「はて、姫君。一体何のつもりかの」
「死人に戻しました」
冷たく即答。改めて向き直れば、マルギィスの顔に深い疑念の色が浮かんでいた。
「はて。そやつは生きておったはずだが?」
「そう見えましたか? いえ、生屍でしたよ。ですが無理もありませんね。なにしろ私がこの手で術をかけた、三流の術師には真似できない生屍ですから」
スノウリアは平然としているように嘘を吐いた。あまりにも分かりやすい嘘を。
だからこそ未だ狙いを測りかねるのか、マルギィスは慎重に問いを重ねてくる。
「……姫自ら生屍にしたと?」
「ええ。この場所を提供するよう頼んだのですが、面倒事に巻き込まれたくないと仰られたので仕方なく。……ああ。それと、騎士の方も生屍でしたね。逃亡の手はずを整えて頂く為に、仕方なく」
「死霊術師はそこの男の方ではないかの」
「何を仰いますやら」
疑念を嘲るように、スノウリアは歪んだ笑みを形作った。暗く不気味な、悪い魔女の顔だ。
それもまた今後に必要な要素。王宮で培った技術で表情と心情を制御する。
周囲の環境よりも冷たく、頭と心と声を冷やして。
淡々と、白々しく――感情の無い死人のように、彼女は進む。
「私は世に破滅を撒き散らす呪いの子。その正体を見抜いていたからこそ、継母上は私を追い詰め、処刑しようとしたのでしょう?」
嘘により、忌まわしい虚偽を肯定。
それは継母の大義を証明し、自らの身を正式に罪人へ落とす事を意味する。
「…………カカ。それを認める、か。では投降と受け取ってよいのかの。何故、今更?」
「見苦しく足掻いてきましたが、もう限界なようなので。どうせ敗けなら華々しく、歴史に刻まれるような死に様を演出しようかと」
「それが、姫の望みだと?」
「信じていた民衆に真実を明かし、怨嗟の怒号に囲まれながら火刑台にて散る。……どうでしょう、素敵だと思いませんか?」
演じる台詞は、言外に交換条件を示していた。
つまりデュレイン達を見逃しさえすれば、政権を磐石にする手助けをするのだと。
冤罪だと訴えず、積極的に従い継母の脚本を民衆に信じさせる。本来の味方さえも欺き信用させる、討つべき悪を提供する。それがスノウリアにとって唯一の手札。
相手の利益を提示し、望みを得る。交渉の基本であった。
しかし身一つしか持たないスノウリア。見逃してもらうには、それだけでは足りない。だから死後の名誉を差し出す事を選んだ。
命を失っても、残る物は多い。生屍から学び、実感した事実だ。
それもこれも、デュレインとセオボルトの為。
スノウリアは道連れは望まない。敗けるとしても、彼女一人が犠牲になるだけならば、それが最善の未来なのだ。
わざわざ演技をしたのは、予行実演であると同時に交渉の駆け引き。
恐怖も焦りも、見せてはいけない。感じてはいけない。
交渉の主導権を握るのは、有利な立場にいる者ではなく、相手にそう思わせられた者なのだから。絶対に言い負かせないと、心を折ってしまえば勝ちなのだから。
傷ついていく心を見ない振りして、一心で狂った呪いの子を演じる。
これだけの演技を成してのける彼女は、あるいは本当に。
意図をようやく完全に理解したマルギィスが、スノウリアの雰囲気に怯みつつも反撃してくる。
「……華々しさが望みならば、そこの騎士や死霊術師も一緒に火にくべてもよいが?」
「よいのですか? 罪無き死体への侮辱は、継母の正義に泥を塗りますよ」
「魔女に与した死体だ。罪が無くはなかろう」
「折角の散り際を邪魔されたくないのですが……そこまで仰るのでしたら考え直しましょうか」
スノウリアはデュレインの矢筒から一本の矢を取り出し、くるくると弄び始めた。不吉な使い方を示唆するように、時折危うげに首元へ近づける。
あの継母なら目の前で最期を見たいはず。それを踏まえての、これは脅迫。
世話になった彼らの命を繋ぐ。その一点は譲らない。
提案ではいけない。懇願や嘆願でもいけない。無理を通すには、常識外れの要求が必要なのだ。
呑まれまいとしてか、利点と危険性を比べ決めかねるのか、きつく歯ぎしりする魔術師。静かな空間にその音だけが異様に響く。
しばし続く膠着状態。
そこに入ってきたのが、三人目。冷たい沈黙を野太い声が破る。
「全く。極悪の大罪人ですな。本性を見抜けなかった己が嘆かわしい」
「将軍?」
ずっと黙っていたラングロードの発言だ。立場を考えれば、マルギィス以上の決定権があるとは思えない。
その意図が読めなかった。スノウリアは顔に出さずに警戒し、味方のマルギィスも不審がる。
そんな中で彼は悠々と剣を鞘に納めた。兜も外し、戦闘体勢を解く。
兜を脇に抱え、一歩一歩ゆっくりと近付いてくる。
そして、スノウリアの目の前で、彼は予想外の行動を取った。
「姫君よ。その選択に、敬意を表しましょう」
膝を着き、頭を垂れたのだ。忠誠心の証。騎士として、武人として、認めたという事だろうか。
ただ、予想外なのは彼の味方も同じ。顔を赤くしてマルギィスが怒鳴った。
「おい、何をしておる!? そんな事をせずとも……!」
怒り喚きつつ、スノウリアに杖を向ける。
しかしそれだけで何もせず、顔を歪めて舌打ち。苛立ちを隠さぬまま、八つ当たりするように鞭を打って馬首を巡らせた。
「……もうよい。姫一人で充分だ」
ぞんざいに吐き捨て、さっさと進み出す。背中からでも憤慨が見てとれた。
交渉も説得も諦め、黙認したのだ。それを確認したラングロードは立ち上がり、恭しく王女を促す。
「では参りましょうか、呪いの姫君」
「ええ。お願いします、正義の英雄殿」
不気味な程の白い笑顔で応じ、そうしてスノウリアは罪人の身の上となった。内心では満足げに、本当に心からの喜びを噛み締めながら。
そして屋敷前の空間に四体の「死体」を残し、三人は森の道に消えていったのだった。




