17 対極の師弟
長年変わらなかった厳冬の屋敷に訪れた、立て続けの来客。それらは確実に住人達の生活を変化させる。色が付き音が添えられ、まるでかつての屋敷の姿を取り戻したように。
この日もまた新たな客人を迎えた影響により、非常に慌ただしい事になっていた。
スノウリアが持つ事情の解決案が示され、早速翌日から死霊術の指導が開始。
デュレインとセオボルトは朝から一室にこもり、婆やとクラミスも補助すべく同席していた。主に魔術面ではなく円滑な会話の為に、だが。
空いたサンドラとスタンダーも、家事などでなにかと忙しく動いていた。スノウリアも無理を言って手伝わわせてもらった。心配が募り、どうしても落ち着かなかったら。
そしてあっという間に時が過ぎ、夕刻。
激励ついでにスノウリアがデュレイン達の様子を見に行くと、扉越しに剣呑な怒号が聞こえてきた。
「……なっ、何度言えば分かるのだ、この、暑苦しい堅物が!」
「貴様こそ理解が足りん。誠意を尽くさぬ者など、騎士ではない!」
「……おお主が、会得しようとしておるのはなんだ? 死霊術であろう? そんなもの、邪魔でしかないわ!」
「邪魔だと? 殿下の為に急ぐ必要がある。熱くなって当然だろう!」
「……ぬっ……だ、大の男が卑怯だそ! あ……お……その名を出すでない!」
室内ではデュレインとセオボルトが激しく口論していた。一人は床を見て、もう一人は相手を睨む、そんな奇妙な構図で。
下らない罵り合いだ。
だが追いつめられがちなデュレインはともかく、セオボルトにここまで声を荒らげる印象は無かった。それほどの何かがあったのか。
状況がよく分からない。
事態の詳細を求め、スノウリアは全てを見ていたはずの婆やとクラミスに懇願と焦りの目を向ける。
「坊ちゃまにも喧嘩友達が出来るとは……まことに喜ばしい限りです」
「これも王女様のおかげですかねぇ。若も成長されたようで、私感激して涙が出そうですぅ」
「……お二人は、全く止める気が無いのですね……」
言外の意味を悟ったスノウリアは二人に諦めの冷めた目を向けた。
本音か冗談か、生屍の表情は真意を隠す。
それでも一応いきさつは聞けた。
二人はどうやら術の習得が全く上手くいかず、焦りと苛立ちが募っていたらしい。とはいえ、二人共現状は把握している。それらだけではここまでの喧嘩には発展しなかっただろう。
きっかけがあった。
それはつい先程、何度も繰り返されてきた術の説明中。デュレインは相手の目を見られず、視線を額に逃がして話していた。辛うじて顔から逸らさず、彼にしては一生懸命に。
だがその最中、突然静かだったセオボルトの態度が一変。
「昨日からずっと何処を見ている? 己を愚弄しているのか? そんなにこの頭が可笑しいのか!」
意図は無くとも固定された視線がセオボルトを刺激してしまった。彼は年の割に広めな額を気にしていたのだ。注視されれば苛立ちが燃え上がる。
つまりは両者の特徴が偶然噛み合った事故のようなものであった。
なんだか気の抜けるような、些細な真相。
だからといって放置は出来ない。
他にいないので仲裁役はスノウリア。二人の前に飛び出し、呼びかける。
「お二人共、落ち着いて下さい」
「むふっ!? ……い、いや、しかしこやつがな……」
「……失礼しました。しかしこの男が……」
反応したが尚反抗心を見せる二人。刺々しい雰囲気から不満が見てとれる。
彼らに対し、スノウリアはあくまで静かに。落ち着けるような声色で語りかける。
「その様子では好調とは言えませんね。お二人は長時間の修練により疲れているのです。一度休息が必要です。夕食に致しましょう」
「……そ、うだな。このままでは、時間の浪費にしかならん」
「……お言葉ですが、ただでさえ遅れています。食事などより――」
「セオボルト」
言い切る前に次なる一手。名を呼び、じっと目を見る。
すると反対していた彼はたじろぎ、語調を衰えさせた。
「……承知しました。一旦休息に致します」
渋々ではあっても、確かな同意。
表面では動じない風を装いつつも、スノウリアは内心でほっとした。長い一息を吐き、振り返る。
「勝手に決めてしまいましたが……よろしいでしょうか、婆やさん」
「はい。ワタクシも同意見でしたので」
「……でしたら、貴女が止めて下されば……」
「坊ちゃまの口喧嘩を邪魔したくなかったのです。あれも貴重な経験ですから」
「はいぃ。殿方はぶつかり合って絆を結ぶ生き物ですからねぇ」
「何故でしょう。私には適当な口実に思えます」
確信を持っての言葉である。事実彼女らは否定しなかった。デュレインも今更裏切りに驚かない。
そのまま平然と歩く婆やを先頭に、一同は儀式部屋を後にするのだった。
「デュレイン殿。進捗はどうなのでしょうか」
柔らかいパン、温かい野菜のスープ、こんがりと焼けた肉料理。数々の皿が食卓を彩る。
食欲を刺激する色と香りが満ちる食堂で、スノウリアが問いかけた。
集まるのは三人の生者と婆や。入口近くに控える婆や以外が広い卓に散らばって座る、歪な配置となっている。
これは昨夜の食事の際に決まった並びだ。
デュレインは未だに中途半端な距離を保ち、恐れ多いと同席を辞退しようとしたセオボルトがスノウリアの説得により渋々下座に着いた。その結果である。
スノウリアとしては避けられたようで心苦しいのだが、文句を口にはしなかった。
「……ど、うもこうもない。何一つ進んでおらん。暑苦しい誰かのせいでな」
「まだ一日目だろう。死霊術が簡単に習得出来るものならば恐れられていないはずだが」
「……む無論簡単ではない。だがな、才ある者なら一日で初歩の術程度は扱えるのだ」
「それがどうした。師としての技量が足りぬのではないか?」
「お二人共、落ち着いて下さい。そう息巻いていては休息になりませんよ」
不機嫌顔のデュレイン、語気の強いセオボルト。再び両者が熱を帯びてきたので、スノウリアはぴしゃりと嗜めた。
気まずい顔で沈黙。
そして彼らは反省の色を見せる。
「……失礼しました。確かに冷静さを欠いていたようです」
「……う、うむ。自分も、少し幼稚であった」
「では、落ち着いたところで……セオボルトには死霊術が向かない、との事ですが。詳しい説明をお願い出来ますか?」
まず重要なのは正確な情報の把握。
求めに応じたデュレインはスノウリアとセオボルトの間、誰もいない空間を向いて説明を始める。
「……死霊術は、呪術の一種。そして呪術が魔術と違うのは、形無き触媒も必要とする点、にあります。人の記憶、感情、魂。そして大抵そのどれもが、良いものよりも悪いものの方が強く残る……のです。悲嘆、憤怒、怨恨、狂気……その秘める力は強大ですが、扱いこなすには自らも近しくなければなら、りません」
語尾に怪しさがありつつも普段より饒舌に語られたのは、呪術の仕組みと悲しい人間の性。
町で触れた人の情を示してデュレインに反論しようとしたスノウリアだが、城での生活が否定させてくれない。確かにどす黒い感情は底が知れなかったのだ。
「故に、呪術を扱うには、心に闇を抱える人間が向いておる、のです。耐え難き苦難を受け入れ、前向きに生きる……そんな強い人間とは正反対の人間が」
専門家の解説を受け、彼女は納得した。
デュレインは正に呪術向きだ。生屍との生活がなによりの証明。後ろ向きな逃避を続けている。
対するセオボルトは不適格だ。逃亡中でも弱音を聞いた事が無い。精神的な強さも備えている。
正反対。だから相性が悪く、喧嘩になってしまうのだろうか。もっと互いに歩み寄って欲しいと思うスノウリアである。
原理を理解したからか、苦い顔でセオボルトは問いかける。
「ならば、どうすればいい」
「……む……死霊術の習得、だけを考えるならば、闇に近付く事が一番。だが、人の生き方はそうそう変えられぬ。……となれば、触媒で補うしかあるまい。だからまずは、呪術より初歩の魔術。触媒の使い方に慣れるところからだな」
手はある。そうデュレインは語った。視線は定まらないが、言葉ははっきりと。
それに弟子も真面目に応じ、具体的に話が進んでいく。抱えるわだかまりを抑えて。
頼もしい。
相性の悪ささえ除けば、安心感も持てる。
ただ、それが逆に胸をざわつかせる。このまま何もしないのはいけない気がして、スノウリアは静かに言った。
「私にも、何か手伝える事はあるのでしょうか」
それは心から出た言葉。瞳が、声が、役割を願っていた。
だからだろう。一瞬目を見開いたデュレインは、眉を下げ顔を伏せ、そして願いを却下する。
「……おお主は、王女、でしょう。全て、他の者に任せておれば、よいのです」
「その通りです。王座に着いた暁にはそのお力を活かして頂きますが、今はその時ではありません」
続けて進言したセオボルトの目つきが、そこで鋭くなる。しかし敵意はなく、厳しさによるもの。それこそ婆やのような目つきだった。
「ですから、どうか侍女のような真似はお控え下さい」
一転してスノウリアはたしなめられる立場になった。
今日サンドラやスタンダーの手伝いをしていた事が伝わっているらしい。確かに王女の振る舞いではなかったかもしれない。
少しの反抗心から反論を試みる。
「厄介になる客人として、当然の義務だと思いですが……」
「殿下はご自分の立場をお考え下さい。第一、客人だからといって普通家事はしません」
「サンドラさんもスタンダーさんも。光栄だと受け入れて下さいました。様々な垣根を越えて仲良くなれましたよ」
「殿下。確かに恩はありますが、少々生屍と馴染み過ぎではありませんか」
失礼だからと隠そうとしているが、顔には呆れが表れていた。それから生理的な忌避感も。
未知への正しい反応。恐れだった。
しかし、彼らがとうに既知となっているスノウリアとしては小首を傾げるばかりだ。
「てすが皆さん良い方ばかりですよ?」
「そこは問題ではありません」
「生屍だからといって、偏見はいけませんよ」
「それは、そうなのでしょうが……」
「恐ろしいか? だから見込みが無いと言っておるのだ」
最後にデュレインが言い放たれ、唇を歪めたセオボルトだがなんとか堪えた。とはいえ雰囲気が悪くなったので、スノウリアがまたも仲裁に入る。
穏やかでないが賑やかな夕食風景が過ぎていく。
この流れの中に、スノウリアは己の光明を見出だしていた。