わがまま令嬢、今日も我が道を行く
「メル、話がある」
「はい、何でしょうか」
「ちょっとこっちへ来い」
「ですが、カインス王子。私は今、この方々とお茶を楽しんでいるのです」
王子であり、またメルの婚約者であるカインスが詰め寄ってきてもメルの視線にはカインスが入ることはない。彼女の瞳の中はカップの中の揺れる水面だけで満たされている。他は何もなくて、ただガーネットのような透き通った輝きにうっとりとしながら、時折水面にヒビが入ることさえ美しいと感じていた。
そんな中、メルにとってカインスの存在は邪魔だった。メルと共にいる数人の令嬢たちとお茶を楽しんでいることを邪魔されたくないのではない。この美しい水面から目を離すことが嫌なのだ。
「そうか」
カインスはメルから視線を外し、メルと同じテーブルを囲む令嬢たちに一睨みをした。令嬢たちはこれから起きることを瞬時に理解し体を震わせた。
「メル様、私たちのことなどお構いなく……」
「ですが、あなた方とのお約束のほうが先でしたわ」
「メル様……」
「皆もこういっておるのだ。ほら行くぞ」
「でしたら、ここでご用件をお話しください」
「ここで……か?」
「はい。それならカインス王子は話ができますし、私はお茶が楽しめますわ」
令嬢たちは目をそらし、メルと同じように紅茶だけに視線を注いだ。
メルもいまだに視線をあげることはない。ここにいる、カインス以外の全員がカップに視線を注ぎ、口をつけることはないという不思議な状況。
そんな中でカインスは自分が一番偉い存在であることを疑ってはいない。
「……まあいいだろう。お前も本当にそれでいいんだな」
だから、こんな質問ができたのだ。
だがカインス以外は皆知っていた――これから起こることの結末を。
カインスだけが何も知らなかった。
「はい、かまいませんよ」
カインスはゆっくりと息を吸い込んで、大げさに手を振り上げてから述べた。
それもローズガーデン中に響き渡るような大きな声で。
「私、カインス=クラリウスとメル=クリエスの婚約は正式に破棄された。近々公式の文書でクリエス公爵家に届くだろう」
カインスの言葉を聞いた令嬢たちは一人も視線をあげることはなく、ただただ紅茶の水面を見続けていた。
全てが終わるのをただじっと、家主の帰りをまつ忠犬のように、動かず、声さえあげずに待ち続けた。
「そうですか……」
初めて顔をあげたルナの瞳はどこか眠たそうで、目の前のカインスのことなんて気にも留めていないようだった。
カインスは手を固く握りしめて頬をピクピクと引きつらせながら口を開いた。
「感想……はそれだけか」
「いえ、まあ遅かったな、とは思いますけど」
「何だと?」
「一年ほど前からお父様には言っていたのです。そろそろ『飽きましたわ』……と」
「飽き……た?」
「はい、あなたに飽きたのです。でも、お父様ったらなかなか新しいのを用意してくれなくて困っていたのですわ」
メルは興味をなくしたように、カップを傾けて冷めきった紅茶を飲む。そして一言、ずっと待機していた令嬢に
「そのお菓子、とってくださいます?」
と告げた。
隣の令嬢から目当てのお菓子を受け取れば、メルはサクサクと一口大に切って口に頬張った。
「ああ、美味しい」
唇に指をあてて、今度はそのお菓子を楽しむことに専念する。メルはもうカインスの存在など完全に忘れている。
いくらカインスが大きな声を出しても。令嬢たちの後ろからいつの間にか出てきた屈強な男たちに身体を押さえつけられていても、メルの耳には、瞳には、もう届かない。
◇◇◇
「おとうさま、こんどはあれがほしいですわ」
「ああカワイイ我が娘よ。何でもおいい。父様が何でも与えてあげよう」
メル=クリエス公爵令嬢は昔から何不自由なく暮らしてきた。
欲しいものがあれば周りは何でも彼女に与えた。
「あきましたわ」
彼女が一言そういえば、彼女の前から途端にそのものは姿を消す。
そしてまた代わりの新しいものが用意された。
あるときはぬいぐるみだった。
可愛らしいクマのぬいぐるみ。
父の付き添いで訪れた店は、クマのぬいぐるみであふれていた。
メルはクマのぬいぐるみを指さしてこう言った。
「お父さま、メルはあの子が欲しいですわ」
「そうか、そうか。おい、この店のぬいぐるみをすべて買い取らせてもらおう」
「はい、かしこまりました」
そして、クリエス公爵によってこの店は全て買い取られた。
あるときは紅茶だった。
旅先で出された紅茶をたいそう気に入ったメルは父に向かってこう言った。
「この紅茶、気に入りましたわ」と。
「ならば、屋敷でも飲めるようにしようか」
クリエス公爵はメルの頭をなでながら、すぐさま使用人を呼びつけた。
「今年収穫されたこの品種と同じ茶葉をすべて買い取れ」
「はい、かしこまりました」
そして、この年の茶葉はクリエス公爵家によってすべて買い取られた。
またある時は万年筆。またある時は本。
メルは気に入ったものがある度に父のクリエス公爵にねだり、手に入れた。
だが、全て1か月もせずにこういうのだ。
飽きた――と。
少女のこの言葉をきっかけに公爵は全てのものから一切の手を引く。
なぜクリエス公爵はたった1か月にも満たない期間のために買い占めを行うのか――――それは簡単だ。利益があるから。
メルの惹かれるものは流行の最先端のものばかりだった。これに公爵が気付いたのはメルが4歳の時だった。
公爵はメルが欲しいものを買い与える代わりにメルの読みによって莫大な利益を得る。それが、クリエス公爵家が繫栄している大きな理由だ。
それこそ王家に続くほどの莫大な財産をわずか十数年の間に築き上げてしまうほどに。
そして、上位階級の貴族の多くはそのことを知っていた。
貴族にとって流行とは切っても切れない間柄だ。それをいち早く手に入れることが出来たら……。そう思った貴族たちはメルが欲しがるものを我先にと求めた。
そして一層クリエス家は繁栄していった。
そんなメルがある日言ったのだ。
「第二王子、カインス様と結婚したい」と。
もちろんクリエス公爵はカインスとの結婚を取り付けた。また王家もメルにならと言って簡単にカインスを差し出した。
それが両家にとって一番利益があると考えたからだ。
メルとカインスの婚約パーティーには多くの貴族たちが集まった。今までは第一王子にすり寄っていた貴族たちも途端に手のひらを返したかのように第二王子派へと変わっていった。
それは貴族として生き残るための最良の手だから。
第一王子と違い、あまり期待をされなかったカインスにとってそれは幸せな時間だった。どんどん増えていく取り巻きたち。自分が何かをすれば必ず誰もが注目してくれる。第二王子でありながら次第に力をつけて行ったカインスは次第に自分よりも大事にされているメルのことが邪魔になっていった。
そして、ある少女と出会った。
少女は今まで出会ったどの女性よりも可憐だった。学力は自分よりも劣るが、そこもよかった。なぜなら、カインスは自分よりも賢いメルになんだか馬鹿にされているような気がしてならなかったからだ。その点、少女にならカインスは馬鹿にされる心配はなかった。安心できた。それどころか少女はカインスの一挙手一投足も褒めた。そして自分を認めてくれる少女にカインスは次第に惹かれて行った。
そして、思った。メルさえいなければ……と。
カインスは王様の元へ行き、メルとの婚約破棄を求めた。
国王は思い切りカインスの頬を叩き、考え直すように言った。
カインスは真っ赤に腫れあがった頬を鏡で確認してもなぜだか叩かれたのかわからなかった。だが、誰にも認めてもらえなかったころに戻ったような気がしてますますメルのことを恨むようになっていった。
会うたびに、彼女の笑う顔を見るたびに、カインスはメルのことが恨めしくなった。
だから気付かなかったのだ。
メルがカインスをどう見ているかなんて。
ある日、国王は言った。
「婚約を破棄することを認めよう」と。
その時の国王は何か諦めたような、大きなものを失ったような何とも言い難い顔をした。
そのことにも気づかずに喜んだカインスはすぐさまメルのもとに言った。
メルを切り捨てるために。
自分が国王に切り捨てられていたことに気付かないカインスは誇らしげに告げた。
「お前と婚約破棄をする」と。
だがそれはメルの待ち望んでいたことだった。
すでに変化に気付いていた貴族たちはカインスの前から姿を消していった。けれどもカインスは気付かずに期待されていると思い込んでいた。
自分には価値があるのだ――と。
でも、もうそれもおしまいだ。きっとカインスは気付くだろう――自分がぬいぐるみや茶葉と同じような末路をたどることを。
しかしメルが『飽きてしまった』のだから、もう誰にもどうすることもできない。