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第一章 出会

月が妖しく翳る

ただ(くる)(まが)(さけ)べと導く

別の世界の何かがかいま見えそうな、そんな満月の夜に少年は強く願った

忘れてしまいたいと



秋も終わる少し肌寒い風が、頬を撫ぜて通り過ぎる。

八瀬里の若き当主甲威は、目を細めて屋敷の窓から外を眺めた。

村の中央を走る大きな通りでは、本日最後の商いをしようと商人達が声を張り上げている。

行き交う人は少し足を止めて品物を見るが、やがて苦笑しながら手を振って通りすぎていく。

ぽつぽつと建つ家々からは夕食の煙が立ち昇り、辺りに香ばしい香りを振りまいている。

真っ赤に熟れた果実のような夕日が、山の向こうへと身を沈めていく。

名残惜しげに照らされる、橙色の日が光の帯となってこの部屋にまで入ってくる。

甲威は、その端正な顔に微笑を浮かべた。

いつもと変わらない、穏やかで優しい時間が過ぎる。

甲威はゆっくりと部屋の中に振り向いた。

そこには、縫い物をする女性が一人。

白く華奢な細い指先で、器用に細い金針を動かしていく。

紡がれていくのは、彼女の肌と同じ真っ白な羽織。

彼女は少し手を止めて、唇に人指し指を当てて考え込む。

サラリと、絹のような長い黒髪が滝のように流れる。

悩みに歪んでいるその顔さえ、目を細めるほどに美しい。

彼女の名前は、伊織(いおり)という。

生まれは江戸だが、貴族であった祖父が亡くなり、借金で家屋敷を奪われて、行く先を無くしてこの村に落ち延びるように姉妹で訪れた。

不憫に思った甲威は、家のない二人を自分の屋敷に住まわせた。

村に馴染み、家を手に入れるまで面倒を見るつもりだった。

だが、いつしか甲威と伊織は惹かれ合い、結婚の約束をする。

村中は、心優しく穏やかな甲威と器量良しの伊織との婚約を総出で祝った。

あとは式を執り行うだけの二人は、秋の月が一番美しいとされる秋の最後の日に祝言をあげることを決めた。

伊織の妹である月江(ゆえ)は体が弱く病気がちで、蒼条家の離れで静養している。

病の床に伏せている月江も婚約の話を聞くと、兄が出来ると非常に喜んだ。

目を細めるほどに幸せな日々が、今そこにある。

その幸せを噛み締めるように微笑んで、甲威は再び外に目をやった。

日が落ちるまでのこの時間、甲威はいつも二階の窓から村を眺める。

この時間がたまらなく好きだった。

「そろそろ日が沈むのね」

心地よい鈴の音に似た声がする。

甲威は振り向いて微笑んだ。

「あぁ。今日も夕日が綺麗だよ」

そう、と頷いて伊織は針を裁縫箱に戻して手早く片付けると、羽織を持って椅子から立ち上がった。

「この羽織、出来あがったから月江に持っていきます」

輝く程に真っ白なその羽織は、月江の誕生日にと伊織がずっと以前から一生懸命縫いあげていたものだ。

月江の誕生日は明後日だが、出来上がった嬉しさと妹の喜ぶ顔を見たいのとで待ちきれないらしい。

甲威は笑って窓縁に軽く寄りかかり言った。

「日が落ちると寒くなるから、早めに帰っておいで」

「はい」

微笑んで頷き、伊織は少し足早に部屋を出ていく。

よっぽど早く渡したいのだろうその行動に、甲威は溜まらず吹き出した。

彼女の仕草は、どこかたまに幼い。

ひとしきり笑った後、あ、と気が付いて窓の外に目を戻す。

見たかった夕日は既にそこには無く、橙色の帯を残して沈んでいた。

空の向こうには気の早い青紫色の夜が滲んでいる。

「見逃した」

苦笑して甲威は、惜しむように景色を見渡して深呼吸をすると障子を閉めた。


月江の病は、幼い時から彼女と共に常にあった。

突発的な頭痛に発熱、時には嘔吐さえ催すその病の原因は不明。

医者はいつも彼女の傍に待機し、四六時中見ていなければならなかった。

その月江の元を、伊織は毎日訪れる。

手ぶらで行くこともあったが、大概は手毬や人形などの土産物を持参してきた。

月江は明後日で13になる。

けれど、13にしては細く青白い手足は病の深刻さを物語っていた。

生まれた時に医師に言われた生きられる年数はたったの15年。

医師を信じるならば、月江に残された時間はあとほんの少しだ。

伊織はそれを惜しむかのように、足しげく毎日のように月江の元へ訪れていた。

月江がいる離れの場所は村の北側、ちょっとした林の中にある。

道がいくらか切り開かれているとはいえ歩きにくいこの道を、伊織は毎日通い詰めている。

途中、清水の涌き出る小さな岩山がある。

神水として名高いこの水を、村の外からも汲みに来る者は多い。

だから伊織は気付かなかった。

彼が、何者なのかを。

「今晩和」

その岩山を通り掛った伊織に、声をかける者がいた。

立ち止まった伊織は声のした方を振り向く。

秋も終わる風が、頭上の木々を揺らした。

真っ赤な紅葉が薄暗い夕闇の中に降り注ぐ。

清水の涌き出る岩山に手を翳し清水に手を濡らした格好のまま、その青年は影のある微笑を浮かべた。

一言、美麗。

黒くサラリとした黒髪に、キレ長の強い光を宿した瞳。

痩身だが、身のこなしは艶やかで品がある。

薄い、氷のような微笑を浮かべた青年は、ゾッとするような美貌を惜しげもなく晒してそこに居た。

一瞬目を奪われていた伊織は、ハッとして目を逸らして俯く。

「こ、今晩和」

胸元に手を当てておどおどとする伊織の姿に、青年はふと笑んだ。

口は笑っているが目は氷のように冷たい。

青年は数歩、伊織に歩み寄った。

気配を感じた伊織は、俯いたままビクリと後じさる。

「別に化け物じゃないから、そう警戒しなくていいのに」

とは言われたものの、彼女は青年を見ることは出来なかった。

心臓がやけにうるさく感じる。

綺麗なのに怖い。

まるで何か、神の作り出した綺麗な化け物を見ている気分だった。

そのまま対面しているのが辛くなった伊織は、軽く頭を下げるといそいそとその場を去った。

逃げるように小走りで遠退く彼女の後姿を、青年は髪をかきあげて見やる。

その目は、まるで旧来の恨みある敵を見つけたかのように鋭くギラついていた。


「どうしたの?姉様」

いつもと様子の違う姉の訪問に、月江は目を瞬いた。

軽く息を切らせる伊織は、心配させまいと笑顔を作る。

「あまりに綺麗な人がいたから、驚いただけよ」

後ろ手で障子を閉めながら微笑む伊織に、月江は笑い出した。

「ふぅん?」

月江の疑う口調に、伊織は困った顔になる。

「本当に綺麗な殿方がいたのよ。なんか綺麗過ぎて怖かったわ」

月江は、ふと真顔になって伊織を見つめた。

伊織も月江を自然と見返す。

姉と同じサラリとした黒髪が、肩口で揺れる。

少女にしては端麗な顔が、じっと真面目に姉を見つめていた。

「まさか姉様、その男の人に惚れちゃった、とかじゃ・・・?」

「な、何を言い出すのこの子は!」

かぁっと真っ赤に赤面した伊織は、月江を睨んだ。

「万が一にもありえません!姉をからかうなんて!」

「はいはい、姉様ってば一途ー」

まったく悪びれた様子もない月江に、伊織は赤面しながらそっぽを向いた。

その様子に悪ふざけが過ぎたかと不安になって、月江は姉を覗き込む。

「姉様、怒った?」

「怒ってませんっ」

しまった。完全に怒ってる。

月江は内心舌を出して、どう謝ろうか考えた。

話題を変えて流してしまうべきか、素直に謝るべきか。

考えあぐねた月江の目に、小さな縮緬の風呂敷が見えた。

「姉さま?それ、なぁに?」

指を指して聞く月江に、伊織は「あ」と小さく言うと風呂敷を引き寄せて包みを解いた。

「月江に贈り物があるのよ」

さっきとは打って変わった笑顔の姉に、月江はこっそりと安堵の溜息をついた。

一刻も口を聞いてくれなくなるということにはならないようだ。

伊織の白魚のような白い指が風呂敷から取り上げたのは、真っ白な羽織だった。

「わぁ…!」

月江は驚いてから、それから目を輝かせて姉を見上げた。

「姉様、これ私に!?」

「ええ。寸法は合っていると思うけれど…どうかしら」

妹の細い肩に羽織を着せて、ゆっくりと袖を通させた。

夜着の浴衣の上からではあったものの、大きさは丁度良いようだ。

月江はきゃあきゃあと笑いながら羽織を着て眺めている。

「姉様ありがとう!」

ふと、月江は少し寂しそうに微笑んでいる姉に気付いた。

「姉様…?」

「あ…」

呼ばれて我を取り戻した伊織は、いつものにっこりとした笑顔に戻る。

「似合っているわ」

照れて笑う月江を眺めながら、気持ちの中にどっすりとした重みを持った影が落ちてくるのを感じた。

着物の寸法が7歳の時と大して変わらないのだ。

病の深刻さを目の前で再確認させられた伊織は、泣くまいと必死に極上の笑顔を保っていた。

月江の前では決して泣いたりなど、したくなかった。


その離れから少しだけ遠い屋敷で、甲威は手を握り締めて必死に耐えていた。

目の前には、3人の柄の悪い男たちが着崩した着物もそのままに立っている。

「つきましては、ぜひウチの当主様がお会いしたいってんで、明日空けてもらえませんかね」

下卑た笑みを浮かべながら男が言った。

その言葉には敬意が微塵も感じられなかったが、甲威は怒鳴ることもない。

血の滲みはじめた手を握りなおして、怒りを顔に出さぬように笑顔で答えた。

「お待ちしています」

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