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終章 五百四十二分の一の奇跡



 着弾の直前、サッ!奴はまるで見えているかのように、半身を左へ逸らした。風の魔力が幹の寸前で何故か消えたが、不発の事実に比べれば極些細な事だ。

「ありゃ?」

「妙な気配がすると思ったら、矢張り貴様か昼行灯」

 振り返った息子の鬼の形相に、だがお父さんは怯む事無くへらへら笑い掛けた。

「いやぁお二人さん。こんな所で会うとは奇遇だなあ」

「ぬけぬけと何をぬかしている、この阿呆親父が」

 眉を吊り上げる奴の後ろで、可愛い子ちゃんが小さく頭を下げる。

「あ、ジョウンさん。酔い覚ましのお散歩中ですか?」

「そんなトコ。小晶君はこいつと政府館に戻る途中?」

「はい」

「だから、私は行かんと言っているだろう。酔っ払い共に囲まれるなど虫唾が走る」

 心底嫌そうに舌打ち。

「護衛はここまでだ、早く戻れ。餓鬼共が待っているぞ」

「まあまあシャーゼ。折角久し振りに会えたんだし、んな慌てなくても」

「貴様は黙っていろ怠け者」バッサリ。「いいからとっとと行け」

「でも……」

 小首を傾げ、酷く困った表情。うう、どうして君はそういちいち食べちゃいたいぐらいラブリーなんだよ!?

「チッ。仕様の無い奴だな」

 それに比べてうちの息子ときたら、何故やたらめったら口が悪いんだ。学校でも言葉遣いは丁寧にと習っただ、


 チュッ。「ほら、これでいいだろう?」


 ……え?おい……今、何か筆舌に尽くし難き事が起こらなかったか?

「は、はい……」

 濡らされたばかりの唇に人差し指を当て、頬をほんのり赤くする小晶君。その初心な反応が正に、数秒前の光景はアルコールの見せた幻覚でも、単なる俺の個人的願望でもないと如実に証明していた。


「あ、あ、あああああっっっっ!!!」「五月蝿い外野!人が来るから騒ぐな!!」


 ポカッ!一時的狂気に陥りかけた俺の頭を、何の躊躇も無く殴る息子。酷い!屋外だが家庭内暴力反対だ!!

「シャーゼさん!?」

「大丈夫だ。寧ろこれぐらいで反省してくれる奴なら、肉親としては有り難い限りなんだがな」

 そう吐き捨て、頭頂部を擦る俺を殺人視線で射抜くリア充。

「こいつへの説教は私がしておく。―――じゃあ転ばないようにな、誠。また」

「はい。お休みなさい、シャーゼさん」

 彼は林道を数歩行った所でくるっ、と振り返り、小さく手を挙げる。振り返した無愛想男はフッと息を吐き―――好青年とまではいかないが、爽やかさのある微笑を浮かべて見送った。

 ぱたぱたぱた……遠ざかる恋人がやがて見えなくなり、いつもの険しい面に戻った長男は改めて俺を睨んだ。

「おい、何やってる暇人。帰るぞ」

「はへ?」

「家に決まっているだろう。まさかこんな所で凍死するつもりか?」

 人を小馬鹿にしてさっさと歩き出した奴を追い、隣に並ぶ。

「何時からだ何時から!?それに『誠』って、もう名前呼びかよ!痺れるぐらいアツアツだねえ!!」

「騒ぐな阿呆。と言うか、お前酒臭いぞ?そんなんで母さんのチキンが入るのか?」

「だいじょーぶ、飯の分はまだちゃんと空けてるからな。それより今はお前等の事を聞かせろよ、うりうり」

 愛情たっぷりに脇腹をつついた肘を、奴は心底不快そうに払い除けた。

「チッ、酔っ払いが。どうしようもないな―――付き合いだしたのは一月前からだ。お前から券を寄越された例のバーに誘って……それでまあ、色々な」

 ああ、壬堂君の店か。アルコールを一口でも飲むと倒れちまう小晶君がよくOKしたもんだ。


「おーい、ユアン!」「ああ、お前等か」


 大通り方面から走り寄ってきたネイシェ君は、勝手知ったる様子で相棒の肩へ駆け上る。数秒遅れ、同方向からミリカ嬢も現れた。

「俺のとっておきのアドバイス、役に立っただろ?」

「いや、すっかり忘れていた」ズルッ!「だが、問題は特に無かったぞ。何せ相手が相手だしな」

 報告を終え、今度は彼の姉へ視線を向けた。


「そうだ女狐。明日付き合え」「えっ!!?」


 瞬間湯沸かしした両頬を押さえ、恥ずかしげに首をブンブン!

「ま、まあ丁度暇だし、私はいいけど……小晶さんに悪いわ」

「はぁ?勘違いするな。あいつの晴れ着を買いに行くから、横でアドバイスしろと言っているんだ。生憎私はファッションに疎いんでな」

「あ、あぁ……そう、よね……」

 可哀相なぐらいガックリするミリカちゃん。そう落ち込むなって。今度オジサンが良い男紹介してやるからさ。

「ん?晴れ着?」

「ああ。大晦日の夜には『鳳凰亭』へ来られるらしくてな。元旦に初詣へ行く約束をしている」

 脳裏にありありとその幸せな光景を思い浮かべてみる。一抹の羨ましさと猛烈な嫉妬に駆られたのは、良い子の読者と俺との内緒だぞ……あれ?

「そんな約束までしてるのに、どうして協会設立の件は知らなかったんだ?」

「どうも年の瀬だからと、エルシェンカが無駄に急かしたらしくてな。現に先週電話した時は、そんな話一言も無かった」舌打ち。「全く、呼び付ければすぐに飛んで行ってやったのに……相変わらず妙な所で遠慮する奴だ」お前だけ爆発しろ!このリア充め!

 そんな念など毛程も感じない激鈍息子は視線を下げ、ところでその書類は何だ?首を傾げた。

「あ、これか?さっき美希ちゃんから貰った特別ボーナスのお知らせだ。羨ましいだろ、自営業者諸君」

「詩野が?フン。既に何となくオチが読めたぞ」

 せせら笑い、小さな相棒に確認を命じる。

「OK。ちょっと失礼するぜ小父さん。よっと」

 飛び降りざま、軽やかに半分ポケットからはみ出ていた書類を爪で引っ掛けて着地。前脚で広げて早速読み上げる。

「えっと、何々……『ゲスト複数人のカツラを飛ばした件についての反省文。提出期限は二日以内』?マジで?」

「何言っているんだよネイシェ君」

 サッ!書類を取り返し、胸を張って読み上げ直す。

「ほら、ちゃんと『日頃の多大なる功績を讃える件に類しての褒賞文。振込は二日以内』って書いてあるじゃないか!」

「小父様、最早字数すら合っていませんけど……」

 そう呻き、何故か頭を抱え始めるレディ・ミリカ。急にどうしたんだ?ははぁ、若しやあの日だな?

「止めておけ女狐。一見素面だが、こいつの脳味噌は既にグズグズだ。とっとと連れて帰らんと後の尻拭いが手間だぞ」 

「こらー!パパに何失礼な事言っているんだ、この馬鹿息子ー!」

 ゲラゲラ笑いながら叱ると、奴は眉間にクレバスを作り両掌を天へ向けた。

「分かった分かった、とにかく家へ戻るぞ。お前等が迎えに来たと言う事は、飯の支度が整ったのだろう?」

「勿論バッチリさ!」

「なら良い。と言う訳だ、さっさと行け酔っ払い」

「あいあいさー!」

 先陣を切る俺に、今度はミリカちゃんの肩に乗ったネイシェ君とシャーゼが続く。やけに背中からの視線が痛いが、気にしない気にしない♪

「なあ小父さん。反省文の中身、良ければ俺も一緒に考えてやるよ。こう見えて小、いや作文は昔から巧いって褒められてたからさ」

「だからボーナスなんだってば。天丼も過ぎればクドいぞネイシェ君―――ん?どうしたシャーゼ?」

 足音の減少に気付いて振り返ると、息子はぼんやりと真上を見ていた。聖夜に浮かぶ、お餅のように真ん丸で真っ白な満月を。

「もしかして今頃具合悪くなったの、ユアン?」

「いや。ただ……」

 聖夜月の光に照らされ、息子はとても幸福そうな表情でこう呟いた。


「―――あの月が、あいつにそっくりだと思っただけさ」




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