十九章 届く風と届けられぬ想い
「あー、たらふく飲んだ食った~!」
使用暦十数年の扇子を広げ、俺はワインで火照った頬を扇ぐ。真冬ともあって林道の空気はひんやりとし、しこたま飲んだアルコールが瞬く間に冷めていく。後にはビュッフェでパンパンになった腹と、やけに楽しかった余韻だけが残った。
「い~気分だ!」
はしゃぎ過ぎて会場で軽く旋風を起こし、職員数人のヅラを吹き飛ばしてエルに雷を落とされた気もするが、きっと酒が見せた白昼夢だろう。その後、子連れで現れた美人秘書から丁寧な口調で書類を渡された。見ないままポケットに突っ込んだけど、きっと正月の特別ボーナスの通知に違いない。何ってったって、俺は副聖王も頼る神童様だからな。いやー、デキる男は辛いぜー。
「おや?」
クリスマスイブ当日。しかも政府館を始め、あちこちで賑やかなパーティーが催されている時間帯。凡そ酔い冷ましと帰宅以外でこんな所に立ち寄る人間、それもペアでの目的など一種類しかない。
音を立てないよう木陰に隠れ、死角から出歯亀を決め込む。赤の他人ならともかく、愛息子と奴の可愛い子ちゃんなら話は全く別だ。
樹の幹を背にした小晶君の正面に立っているので、私服姿の息子の表情は見えない。時折ボソボソと声も聞こえるが、何を話しているのかはサッパリだ。魔術で音を拾うか?いやそれよりも、
(これは一世一代のチャンス!)
俺は一歩横に出、畳んだ扇子の先端をコートのド真ん中へ狙い定める。勿論射殺などはしない。ただキューピットの弓矢の代わりに、風弾であのツンツン野郎の背中を軽ーく押してやるだけさ。どうだ、正に父親の鑑だろ?
(大体、元はと言えばお前が悪いんだぞシャーゼ)
あんな可愛い子を五年もほったらかしにして、宝探しなどにうつつを抜かすとは。我が息子ながら呆れるしかないその所業、赦すまじ。
両目の焦点をヒットポイントに合わせ、微調整完了。意識を集中させ、先端の一点に魔力を収縮、そして―――スナイプショット!!
「がっ!?」「!?」
何の前触れも無い背後からの突風に、咄嗟の踏ん張りが利かなかった。倒れ込んだ拍子に、目の前に立っていた小晶の額と唇がぶつかる。瞬間、頭の中を駆け巡っていた様々な事柄―――何故か私の家で待つとぬかし出し、とっとと行ってしまった姉弟。瞑洛で別れた髭共。そして、『あの男』―――それら全てが、いとも容易く吹き飛んでしまった。
どうにか体勢を立て直し、後方を確認する。が、木立には何者の姿も気配も無い。傍迷惑な風め!
「済まん、大丈夫か?」
「え、ええ。何とか……」
ぶつかった衝撃で樹の根元にへたり込んだ奴はそう応えつつ、立ち上がろうと後ろ手を突いた。少し力を掛けるだけで折れそうな、細く生白い腕で。
「掴まれ」
右手を差し出す。
「引っ張ってやると言っているんだ」気恥ずかしさに顔を背ける。「それと、怪我の治療の件、感謝する。まだ礼を言ってなかっただろう?」
「いえ、そんな!私はただ傷を塞いだだけで、治ったのはネイシェさんの持って来てくれた薬のお陰です」
あのクソ不味い上に怪しいヤクの事か。意識朦朧のまま飲まされたが一応効いたらしく、現時点で出血性貧血の症状は出ていない。万が一毒なら一発殴ってコンビ解消の上、殺人未遂の傷害犯として即刻警察に突き出していた所だ。命拾いしたな、狐公。
仕方ないので手首を強引に取り、一気に引き上げた。軽い。五年前の記憶よりも更に。
よろける奴を支え、そのまま片腕を背中へ回す。空いた手で頭を撫でても、警戒心皆無の奴はちっとも嫌がらなかった。
冬の夜気に当てられ、黒い髪は氷のように冷たい。触れた所から柔らかく甘いシャンプーの香りがした。女物だろうが、この脂っ気の無い細髪にはそちらの方が合う。それの掛かる蒼白い顔も、染み一つ無い滑らかな項も、とても同性の物とは思えなかった。
「―――相変わらず綺麗だな、お前は」
だから、気付いた時には自然とそう口にしてしまっていた。
「え?」
奴が小首を傾げ、ようやく自分らしからぬ発言だったと気付く。次の瞬間、羞恥に耳まで熱くなるのを感じた。バッ!絡めた腕を外し、奴を突き離す。
「なな、何でもない……!!話はさっきので終わりだよな?―――そうか。ならとっとと政府館へ戻れ。第七共が今か遅しと待っているぞ」
パーティーはとっくに始まっている。様子見(狐共の提案だ。本当に余計な事しかしない奴等め)のため自宅へ立ち寄った際、アムリがあれこれつまらない事を話し掛けたせいで大分遅刻してしまった。今頃は苛立った神父に、哀れな誰かがいびられている真っ最中だろう。
「はい。でも……本当にシャーゼさんは行かないんですか?」
「残念だが、母達と先約がある。偶には親孝行もしておかんとな」
勿論、そんな物は無い。しかしキッチンには例年通りローストチキン二羽とホールケーキが用意されていた上(二人分にしては量が多過ぎる。正月まで食うつもりかあいつ等は?)、出掛けに母と女狐が追加の出来合い物を買いに行った。一人ぐらい増えても何の問題も無いだろう。
「そう、ですか―――では、皆さんに宜しく言っておいて下さい。それでは、私はここで」
「ああ」
向けられた背は余りにもか弱く、今にも周囲の闇に飲み込まれ掻き消えてしまいそうだった。ズキリ、抉られたように胸が痛む。
(くそっ!何故、いつもいつも敢えて辛い道を歩もうとするんだお前は……!?)
政府員時代、散々自分を追い込んでいた私が言えた義理は無い。が、小晶の抱え込む重圧は、その細い肩に到底背負い切れる物ではなかった。
だが仮令正気を失おうとも、奴は諦めて希望を手放したりなどしないだろう。―――だから五年前、私は先んじて政府館を出たのだ。
「小晶!」「!?」
振り返った奴は驚いた表情。月光に照らされ、先程口付けた額が白く輝く。
「あ、いや……転ばないように気を付けて帰るんだぞ。ボーッとされているせいで、いつも見ているこっちがハラハラするんだからな」
悪態ばかりがスラスラ出てくるこの口が、今は少しだけ恨めしかった。本当は『あいつ』のように、気の利いた言葉で気遣いたいだけなのに。
それでも奴は子供のように無邪気に微笑み、度し難き無礼者に頭を下げた。
「心配してくれてありがとうございます。シャーゼさんも、念のため二、三日は安静にしていて下さいね。丁度年末年始ですし、偶にはゆっくり休養するのも良いと思います」
「ああ、分かった分かった」
現時点で『月蹟遺跡』の探索がほぼ不可能となったので、また資料調査からやり直しだ。明日からは狐姉弟に加えて髭共の相手もせねばならんが、適当にあしらいつつ静々と進めるとしよう。
「じゃあ今度こそ―――お休みなさい、シャーゼさん」「ああ……また、な」
そう……仮令この想いを伝えられずとも、一体何の不満があろうか。
愛おしい背が木陰に消えるのを、私は胸から提げたロケットを握り締め、飽きもせず突っ立って見送った。




