骸匣
ノリで書いた、短編です。
……茹だるような暑さで、目が覚めた。生ぬるい空気が、彼の動きに合わせて絡まる。
窓辺の置き時計に目をやる。時計はカッチカッチと、音を立てながら静かに時を刻んでいる。その長針と短針はともに、6のあたりを指していた。
さほど強くない陽光が、カーテンの向こう側を照らしている。男は、寝床の縁に腰掛け、再度目を閉じた。
しばらくして、ゆっくりと目を開ける。何一つ変わらない。ここでは、時間がゆっくりと渦巻いている。変わることのない景色。ただ変わるのは、時計の表す時間と、窓の向こう側だけだ。内と、外の境界線においてその秩序が曖昧になる。
男は、襟を正した。ベットから立ち上がり、靴を探す。ベットの下から、やや上質の革で作られた茶色い靴が出てくる。男は、それを履いて外へと出た。
外へ出ると、古風な町並みが現れた。16世紀後半のヨーロッパを彷彿させる、石造りの町並みだ。太陽が地平線の向こうから、ジリジリと照りつけてくる。男は石畳の道を歩き出した。
革靴と石畳がカツコツと独特の音を立てる。それが、男の歩調とシンクロして、不思議なリズムを生み出す。
途中で、美しい小川に差し掛かった。川の底が、見えるほど水が青く透明に澄んでいる。水は、町の一番高いところに上流があるようだ。彼は、澄んだ水の源を求めて歩くことにした。
町の中を迷路のようにこの水が流れていることが、しばらく歩くとわかった。太陽の高度が少し変わった頃、彼は町の一番高いところにある、祠に辿り着いた。水は、その祠の端にある小さな池から流れていた。この小さな池からどうやって、町全体を流れるくらいの水が出るのだろう?そんな疑問を、彼は抱いた。
男は、祠の中に小さな人形が飾られているのに気づいた。祠の中は暗く、人形の実物がはっきりしない。ただ、その人形が前をじっと見据えていることだけが、わかった。男は人形の視線の先を辿った。その視線の先には、空が広がっており町が一望できた。そして、町に続く道が一本しかないのが見えた。空を仰いでみると、雲が手で掴めそうなほど近くに見えた。この街だけが、周囲の陸地から分断されているように見えた。町へと続く一本道はさしずめ、天への階段といったところであろうか。男はぼんやりとそんなことを考えていた。
すると、袖を引っ張られる感覚がした。目をやると、小さな布のとても美しい人形が彼の袖を強く掴んでいた。振りほどこうとはしなかった、振りほどこうとするとなにか嫌なことが起きる気がしたからだ。人形にひかれるまま、男は祠の中へと誘われた。入り口は、大人が一人やっと入れるくらいで、祠の中は、地下に続いていた。地下へ進むに連れて、空気が冷えてくる。先程までの暑さが嘘のようだった。延々と続くと思われた、螺旋階段は唐突に終わった。円状の広場に降り立った。見上げると、小さな光がポツンと見えた。そして目線を戻す。ついてきたはずの、人形が見当たらない。
しかし男は戻ろうとせず、何かに誘われるように、地下道を進んでいった。男の靴音が誰もいない地下道を反響する。しばらく歩いていると、空気が変わった。冷え冷えとしていた空気がとつぜん、生ぬるさを帯びてきた。体にまとわりついてくる暑さだ。外の空気とは明らか異なる。異質な雰囲気だった。そして、その雰囲気は奥に進むにつれて不気味さを増していく。
男は、地下道の終点に小さな木製の扉を見つけた。その扉は、すでに朽ち果てており、扉としての機能を果たしていないように見えた。ただ、扉としてでなく、境界線としての役割はしっかりと担っている。吸い込まれるように男は扉を引く。中に入った途端、空気の密度が一気に上昇したのがわかった。湿気だけでない、なにかが空間に漂っている。ランプが灯っていた地下道と対照的に、扉の向こうは真っ暗だった。彼は、手探りで壁づたえに、蝋燭を見つけた。そして持っていたマッチで日を灯す。暗闇の中に小さな光が現れた。空気が揺らぐ。
闇の向こうで、何かが蠢くのが見えた気がする。男は徐々に正気を取り戻した。後ろを向き、先ほど入ってきた扉から出ようとする。しかし、扉は開かない。体ごと当たるが、ビクともしない。先ほどみた古びた木の扉が、まるで重い鉄のように微動だにしない。男の持っていた蝋燭が落ちた。落ちた蝋燭の火が、瞬く間に空間に広がる。彼は、思わず振り返った。紅蓮に輝く炎は、空間を煌々と照らしていた。
男は、炎に照らされた無数の骸を見た。炎が骸を伝い、燃え広がる。巨大な炎が、空間を支配する。最後に男が見たのは、真っ赤な炎の中に、唯一つ、銀色に輝く頭蓋骨だった。
そして、炎の行方をただ、布の人形が燃えずに、静かに見送っていた。