第8話 少女
次の日。
昨日ウィルズに言われたことを憂さ晴らしも兼ねて母国宛ての手紙に書き殴っていると、お茶を淹れてくれたリサに笑われてしまった。
「また嫌なことがおありですか」
わたしはどう繕っても否定できず、あからさまに不満そうな顔をリサに向けた。
「聞いて!旦那さまが意地悪するのよ」
「あのスケベな王子が?」
側に立つ彼女は特に案じた様子もなく見事に言い切った。
他の女官や侍女と異なりリサはおしとやかそうに見えて、実は思ったことを割とズバズバ言う性格をしている。
出会った当初は「正直すぎる人」と思っていたのが、今ではむしろ堂々としていて気持ちいい。
「殿下にいじめられたんですか?」
首を傾げてくるリサに、わたしは昨晩のことを話してやった。
ウィルズの自室で二人きりになって以降のことは、外で待機していたリサは知らない。
口外するなと言われたけど、王子の部屋がメチャクチャだったこと、そして毎度わたしを口車に乗せて近づこうとすることなど話した。
一連の愚痴を聞き終えたリサは隠しきれずに苦笑を漏らした。
「さようなことが。――そういえば、王子殿下は今日5時起きでお部屋のお片付けに専念されているそうで」
思わず「えっ」と間の抜けた声をあげてしまう。
「聞くところによると、『今夜までにどうにかしろ』と下々にも御命令されたらしく、朝早くからみんな大慌てでお掃除をなさってますよ」
今夜まで?
――ということは、わたしは約束通り今宵ウィルズの自室に連れ込まれ……
わたしは昨晩の会話を思い出して頭を抱え込んだ。
「リサ。今宵はわたしの代わりに旦那さまのお相手をして」
「今世紀最大の御冗談ですね、それ」
「そうだわ!別段に予定があるという設定にしましょう!」
そうだ、それがいい。
「申し訳ございませんが、今宵は令嬢方との大切な茶話会がありますの」などと上目使いで言えば、さすがのウィルズも諦めてくれるだろう。
でも現実はそう甘くない。
「今日のスケジュールは午前のお茶会で終わりですけど」
「あう……」
リサに今後の予定を記した手帳を見せられ、また頭を抱えるハメに。
それに茶会等は普通昼間にやるものだから、夜に開催するというのはやや不自然。
「じ、じゃあ体調不良というのはどうかしら!」
わたしはパッとひらめいて手を鳴らした。
我ながらこれは名案だと思ったんだけど、リサは気難しい表情を見せるばかり。
「……どうしてそこまで王子殿下をお嫌いになられるのです?」
「え?」
ギクッとしたわたしに追い討ちをかけるように、リサは言葉を綴る。
「わたくしめの主観で恐縮ですが、王子殿下は姫さまのことを慕っていらっしゃるように感じます。生理的に受け付けないとか、姫さまが殿下を嫌う特段の理由があるわけでも無いようですし……」
「それは――」
たしかに彼女の言うとおりだ。数日前に言われたように、ウィルズはわたしのことを慕ってくれている。
わたしだって夫のことを嫌ってはいない。むしろ今後のため、祖国のために彼には好いて欲しいとさえ思っている。
「肩に力を入れ過ぎでは?毎回王子殿下の寵をお断りしては、ふてぶてしい女だと見られかねません」
「…………。」
「姫さまにもシャーマリスの女としての矜持があるのは重々に承知しております。しかしいつまでも強情に振る舞っていては、そのうち殿下に――」
「見放される」
リサが言いよどんだ箇所は自分で口にした。
自分でも分かっている。祖国を代表して輿入れしてきた身ゆえ、軽い女に見られたくないと思う余計なプライドのせいで素直になれないのだ。
「……身分をわきまえず無礼なことを口にして申し訳ございませんでした」
「いいえ。リサの言うことはなにも間違ってないわ」
――政略結婚に愛は無い。
だから愛する気も無いし愛される気も無い。
だけどそれは結婚する前の話。ウィルズと一緒になっても同じことを主張し続けるのはリサの言うとおり強情。
いつまでもそんな感情を前提にしたお付き合いをしていれば距離が縮まらないのは当然だ。
もしそのせいで嫌われてしまえば、一番困るのはわたし自身だというのに。
「リサの言うとおりね。今日からは無理のない程度に頑張ってみるわ」
「それが一番です」
ふふっとお互いに笑みを見せあったその時だった。
突然、ノックも無く扉がギィと音を立てて開いたのだ。
「何者ッ!」
「ちょっ、リサ!」
侍女長のリサは振り返りざまに腰の剣に手をかけるも、わたしがあわてて制止する。
まさか白昼から不審者は現われないだろうけど、王子妃の部屋をノックも無しに訪れるというのはいささか非常識だ。
「どなたかしら」
今にも剣を抜きそうな体勢のリサを左手で押さえながら、ドアに向かってやんわり問いかける。
しかし誰かが入って来る気配はなく返事も一向に返ってこない。
「わたくしめが確認して参ります」
リサが入り口に向かい一歩踏み込んだとき、ニュッと現れた少女の笑顔を見てわたしたちは目を丸くした。
年齢は5~6歳であろうか。
前髪を眉のあたりで切り揃え、くりんとした瞳が特徴的な女の子。
右手にクマのぬいぐるみを抱える彼女は、ドアに体を半分隠しながらこちらに微笑みかけてくる。
「?」
一応敵ではないらしいので、とりあえずこちらも笑顔で返す。
すると女の子は「ばいばい」と言いたげに手を左右に振り、何も言わずどこかに走り去ってしまった。
実に十数秒のできごとである。
「なに、あれ」
「……わたくしめも分かりません」
あまりに唐突な出来事に、わたしたちは首を傾げるだけだった。