第7話 彼からのお誘い ★
王宮の敷地内には数十の建物が存在し、わたしの自室はその内の南端にある“ミネルバ塔”という建物の最上階に設けられている。
ちなみにミネルバというのはかつての王族の名に由来しているらしい。
聞くところによるとこの部屋はかつての王妃が使っていた一室だそうで、部屋は軍の一個小隊が入りそうな巨大スペース。
天井にはやや小さめのシャンデリアが吊り下がり、床に目を向けると目が眩むような真っ赤な絨毯。
東洋から取り寄せたという高価な壺や、金箔張りを施した猛禽類の像など、女一人が使う部屋にしては贅沢なものである。
おかげで輿入れして3日は全然落ち着けなかった。
が、一週間もすればさすがに慣れた。
部屋には窓が二つあって、東側の窓からは城の広大な中庭が見え、南の大窓のカーテンを開ければシルヴァ山脈の大自然を堪能できる。
それに衣装箪笥やベッドにテーブルといった家具もなかなかお洒落。
落ち着かないとか何だかんだ言いながらも今ではこの部屋を気に入っている。
女官のマリナ曰く、わたしのためにこの部屋を選んでくれたのはウィルズ本人らしい。
夫は容姿のみならず文武にも長け、剣を握らせてもペンを握らせても必ず優秀な成績を修めてくるという非の打ちどころのない人間。
しかし、そんな彼にも実は一つ難点らしきものがある。
あれは昨晩のできごと。
わたしはいつものように晩にウィルズの執務室を訪れ、身の回りのお世話をしていた。
でも予定よりも早く夫の仕事が終了し、余った時間で城案内も兼ねて彼の自室に足を運ぶ流れとなった。
「今夜は僕の部屋でお茶でもどうだい?」
などと誘ってくるので、現金なわたしは茶菓子が目的でヒョコヒョコ付いていった。
ウィルズの自室まで案内してもらう途中、「なにを見ても絶対に口外せず、驚かないと約束できるかい?」と問われ、わたしはきょとんとした。
なにを見ても口外するな、ということはわたし以外、あるいは身内以外に見せられない何かなんだろう。
――となれば王家の秘密、あるいは機密レベルの何かと見える。なんにせよ、密偵活動を続けているわたしからすると夫の好意は棚からボタ餅。
「ええ、もちろん」
欺瞞に満ちた肯定の返事をすると、ウィルズは「引かないでね」と妙な念を押してきた。
その時から彼との会話に変な“しこり”のようなものを感じていたのだけど、わたしは案内された夫の自室を見て、お互いの認識にそもそものズレがあったことに気付くことになる。
「ここが僕の部屋――なんだが……」
言い淀む彼の目の前には、それはもう目も当てられないほど散らかった一室があった。
足元は書類や文房具、書籍などなどがひっくり返り、足の踏み場を探さなければいけないような散らかりよう。
クローゼットはあれども、上着も椅子の上に無造作に投げ置かれている。
どこからどう見ても王族――ましてや一国の顔である第一王子の部屋ではない。言うなれば盗賊が金目のものを物色して逃げたあとみたいな。
「まあちょっと散らかってるけど、気にしないでくれ」
いや、『ちょっと』が通じる範囲を超越しておられますが。
「なんで……誰もお掃除しないの?」
普通、王族ともなれば専属の使用人がつくはず。
ウィルズにも専属の女官は溢れるほどいるだろうに、誰も彼の部屋を掃除しないというのは妙だ。
「昔から僕以外の誰かに入られるのが嫌いでね。いつも周りには『絶対に入るな』って命令しているんだ」
そう言いながら一枚一枚床の書類を手にし、やっと人が一人通れるほどの道を開ける。
どうやら彼が口外してほしくないのは国家の機密などではなく、単に自分が整理整頓できない人間だというコトらしい。
「どうぞ、入ってくれ」
部屋の中から手を差し伸べられるも、わたしは色んな意味で躊躇した。
「あの、わたしが入ってもよろしくて?」
「?」
「だって旦那さま以外の人に入られるのはお嫌なんでしょう?」
「大丈夫。君は特別だから」
そこは断って欲しかった、と心の中で項垂れたのは内緒だ。
まあ「入れ」と言われて頑なに拒むのもアレなので、わたしはなるべく書類を踏まないよう気を付けながら夫の私室に足を踏み入れる。
やっとのことでウィルズの元に到着すると、彼はわたしの身体を片手で抱き寄せると同時に手をすくいあげてきた。
そしていつものように左薬指に上唇を添える。
お茶でもどうだ、という彼の主張は、わたしを侍女の目から引き離すための口実だったらしい。
「こ、今宵はお茶を一緒に楽しむんじゃなくて?」
あわやウィルズに押し倒されそうになり、苦し紛れの言い訳をする。
でもやっぱり無駄だった。
「そんなこと言ったっけ?」
随分と余裕気に嘯き、ウィルズは蒼い瞳でこちらを覗き込む。
次の瞬間。彼は思い切った様子でわたしの唇に口づけ、同時に肢体を抱きよせる腕とは逆の手でコルセットの上に指先を滑らせてきた。
抵抗しようとするも壁に身体を押し付けられ身動きがとれない。
彼の気配がわたしの中に侵入し、口腔を浸食していく。
その舌はとろけてしまうほどに熱くて甘い。
決して求めていたわけではないのに、ギュっと腕で強く抱き締められ、無意識のうちに身体の芯が疼きはじめる。
ウィルズはコルセットの上に乗せていた手を徐々に下腹部へと移し、太腿の付け根あたりを人差し指と中指でなぞる。
ドアの向こうでは侍従長のリサをはじめ、ウィルズ専属の召使や女官が待機している。
外界との隔たりは薄い壁一枚のみ。
そんな環境で声などあげたくなかったが、無意識に出てしまう。
「……んっ」
わたしは変に喘いでしまう寸前に口を手で覆った。
ある程度までは恥ずかしさを我慢して従うつもりだったが、指先が下着の中に侵入して来る気配を感じ、耐え切れなくなって身を引き剥がした。
「まだこれ以上はダメ?」
意外にもあっさりとわたしを解放し、寂しそうな表情をする夫に対して咄嗟に言い訳を繕う。
「“そういうの”は、先にこのお部屋を片付けてからにしてください」
「片付けたら?」
「ええ。ちゃんとできたら――」
わたしはそこまで言って、またウィルズの口車に乗せられているのに気づいた。
片付けたら大丈夫、ということは、わたしは彼と一夜を過ごすことを約束してしまったようなものだ。
さっきのはナシ! と言おうにも、言質を取った彼が応じてくれるはずもなく、
「じゃあ明日までに綺麗に片付けておくよ」
と、『明日までに』の部分を余計に強調され、わたしはウィルズの嫌らしい笑みを喰らってしまったのである。