第63話 勝者と敗者
「最低だな、盟友よ」
しんと静まった部屋。
国賓クラスの客を出迎える応接間は不気味なくらいの静けさに囚われている。
ロイはリミューアが部屋の外に出て行くのを見届けると、ウィルズの方に向き直ってそう言った。
一方でウィルズも負けじと反論する。
「僕の妻を勝手に寝取ろうとした君に言われたくない」
「阿呆。まだ寝てない」
「ふざけないでくれ」
声は怒りで震えていた。
火山でいうと爆発寸前。しかも一触即発で、一旦火を噴けばもう手が付けられないような。そんな剣幕。
「なぜ俺が彼女を引き渡さないか。それは俺が好きだっていうのもある。だがそれ以上に、そちらに引き渡してしまうことでリミューアが不幸になるかもしれないからだ」
「君の言うとおり僕は裁判後も人道に背く扱いをした。だがメリッサが死んでから心を入れ替えた。もう疑ってはいない」
「そんなのは俺に言うべきじゃない。俺は事前にリミューアに亡命ビザを手渡しておいた。『万が一、身の危険を感じたらこれを使え』と言って。――この意味がわかるか?」
ウィルズはうなずいた。
事件終了後もまだ疑われるようであればハインリッヒに逃げろという意味だ。国が違えばフランシアの警察もそう簡単には追って来ることができない。
リミューアがこの国に逃げてきたのには不倫以外の理由がある。
「兎にも角にも、リミューアを返してくれ」
「できぬ相談だ。彼女はお前に怯えている」
「確かにそれは僕が悪い。だからこそ土下座してでも――牢に入ってでもいいから謝りたい」
ロイは首を横に振る。
「どうしても――というのなら、その覚悟を見せてもらわねばな」
「覚悟か」
「そうだ」
ウィルズはロイの腰に目をやった。
ロイは急にベルトの一つを外したかと思うと、剣を部屋の端に放り投げた。
それを真似してウィルズも剣を鞘ごと放り投げる。
「ここは男らしく拳で決着をつけようぜ」
「勝った方がリミューアを手にする。それでいいだろう?」
「不足はないッ」
ロイが語尾を強めた瞬間、双方が走り出す。
そのわずか1秒後にはお互いの拳が顔面に容赦なくぶち込まれていた。
鼻の奥が詰まるような、特有のじーんとした重い痛みが両者に伝わる。
「てめえ!!」
殴り掛かって来るロイの腕をスラリとかわし、今度は脇腹に蹴りを入れる。その瞬間ロイは嗚咽のような声をあげた。
――が、すぐに体勢を戻し、ウィルズの腕を捕まえて背負い投げる。
気付けば部屋はもう滅茶苦茶だった。
数々の置物を入れたガラスケースは目も当てられないくらいにバラバラに割れ、花瓶や壺もまた然り。
テーブルもひっくり返って足元には来客用の菓子が粉々になって散らばっている。
それでもお互いに殴り合いを止めようとはしなかった。
お互いに武器が無い分、思う存分に殴ることができる。
だが5分も同じようなことをやっていれば体力は限界に達していた。
お互いに激しい息切れを隠せず、しまいには立ち上がる力さえなくなって足元のガラスからビスケットまで何でも投げ合う始末。
もうお互いに拳で争う体力がない。
ついには周辺に投げる物が完全になくなってしまい、両者は強制的に休戦に追い込まれた。
「――無益だな」
「僕もそう思っていた」
殴り合ってもどうにもならないのは二人とも分かっている。
それでも拳をぶつけ合わない事にはお互いのわだかまりも――リミューアへの想いも消えない。
「ここまで暴れたのはガキ以来だ」
そう言ってロイは立ち上がると、倒れていた椅子を立てて座り、アザと血だらけの顔をウィルズから背けた。
もう戦意がないことは言わずしも知れる格好。
「どうした。まだ決着はついていないが」
「バカ野郎。もう最初から決着は着いてらぁ」
「?」
「……お前には言ってなかったけどな、俺はさっきリミューアにプロポーズしたんだ」
「なっ――」
「案ずるな。見事に玉砕した」
くるっと横顔だけがこちらに向けられる。
なぜかその顔は笑顔だった。
「お前を忘れられないんだってよ」
――救われた気がした。
もしかしたら手遅れかもしれないと思っていた。
自分は嫌われても文句を言えないような扱いをしてしまったのだ。リミューアがロイを受け入れても何ら不思議ではなかった。
ウィルズは力なく床に座り込み、大の字に寝転んだ。
鼻血、汗、涙が入り混じってどれが頬を伝っているのかさえわからない。
「すまないな」
「勘違いするな、俺はまだ彼女を諦めたわけではない。次にリミューアが泣いて逃げてくるようなことがあればその時はてめえを斬り殺してやる」
「上等」
笑ってそう返すと、ロイの顔にも満面の笑みが浮かんだ。
「――分かったらもう行け、このタコ野郎」
「感謝する。盟友よ」
ウィルズは立ち上がると、フラフラとする頭を一度手で叩いてから踵を返した。




