第4話 渡り
ウィルズ・J・フランシア。
名を見れば分かるように王の血を引く王家の一人。
フランシア王家の長男であり文武に長ける彼は、現在のところ王位継承序列ナンバーワンの座にある。
そんなウィルズはわたしより4つ上。
23歳の彼は一つ下の第二王子に比べてかなり大人っぽい雰囲気を纏っている。
しかも思わずハッとしてしまう美丈夫で、その澄んだ海の如き碧眼に見つめられれば心を揺り動かされない女子などいない(と思う)。
そのうえ物腰やわらかく、権威もあって下々に優しい王子ともなればやはり女が放っておかない。
かつて城で働いていた給仕の女官が彼に言い寄ったことがあり、ウィルズは一時、王から女禁を命じられたほどだという。
おかげでわたしが嫁いでくるまで女性と触れ合う機会が滅多に無かったらしく、
「ちょうど女肌が恋しいと思っていたんだ」
などと、遠回しにラブコール(らしきもの)を送ってくる毎日。
その度に「わたしじゃなくて令嬢たちに言ってやればいいのに」と思う。
彼女らにとって王家の子を孕むことは最高の名誉であり、産んだ子が男なら絶対的地位と権威を保障される。
もしウィルズの口から「女が欲しい」と言われれば、彼女らは砂漠にオアシスを見つけた商人の要領で飛んでくるに違いない。
だが不思議なことにウィルズにはわたし以外の妻はなく、浮いた話の一つや二つあってもいいのに皆無ときた。
その気になれば女の10や20は朝飯前、ましてや一夫多妻が当たり前の王族には極めて珍しい。
「正妃を娶るまで浮ついたことをする気はない」
それが夫の一貫した主張だった。
そう聞かされたわたしは言葉の意味を咀嚼しながら、「じゃあ正妃を娶れば側妃にも手を出すのかしら」という疑念を持った。
だけど“政略上の道具”がとやかく意見する権限は無い、と自分に言い聞かせて何も言わなかった。
――☆――☆――
女官のマリナが部屋を出て数分後、ウィルズが渡ってきた。
髪も服装もキッチリ整えた夫はわたしの部屋にやって来るや否や、内側からドアを開けるリサに向かい、
「君はリミューの側近か?」
「侍女長を務めさせていただいております、リサと申します」
「覚えておこう。ところで、僕はリミューと二人で話がしたい。すまないが席を外してくれ」
「御意のままに」
リサはわたしとウィルズに一礼し、背中を向けて部屋を去った。
話がしたいですって?
本当に話がしたいだけなら、わざわざリサや他の女官を追い出す必要なんてない。
彼がわたしのところに渡ってきた時点で目的はハッキリしている。
今更ウソをつく必要なんてないのに。
――それともふてぶてしい正妃を気遣って?
「あいかわらず今日も不機嫌そうだね、リミュー」
部屋に誰もいなくなると、ウィルズはわたしの顔を見て苦笑する。
警戒して肩に力が入りすぎるあまりそんな気はないのにまた強面になっていたらしい。
指摘を受けてあわてて表情を軟化させたが少しばかり遅かった。
「急に押し掛けて悪かったと思ってる。君が嫌というなら出て行くよ」
「いえ、とんでもありません」
もしここで本当に彼が出て行ったら大変なことになる。
折角渡ってきた王子を睨んで追い返したともなれば、彼を愛する女らから集中砲火を浴びるのは目に見えている。
小国出身の女の分際で王子妃となったことだけでもすでに周囲から疎まれているというのに。
わたしは踵を返そうとするウィルズの碧眼を見つめながら必死に顔を横に振った。
するとさっきまで距離をとっていたウィルズはやや口端を上げると、こちらに一歩踏み出し、「じゃあ」と遠慮がちに微笑みかけてくる。
「今夜は君と過ごしていいんだね?」
まんまと罠にかかった獲物を見るような目で言われ、わたしはギクッとした。
一度彼を引き留めた以上、わたしが断れないことを知っての表情。
「え、ええ」
「そうか。ならよかった」
安堵した口調でそう言い、わたしの手を取って5日前の夜会のように手袋の上からキスを落とす。
ここまではいつもと何も変わらない。
――が、この前とは異なることが一つ。
「あの……」
ウィルズが中々わたしの手を放そうとしないのだ。
むしろ手を握る指に力を入れ、自分の方へ引き寄せようとする。
「なにをなさるおつもり?」
「わかっているくせに」
クスッと微笑ましい表情をしてまたわたしの指に口づける。
「旦那さま、いい加減に離してください」
「嫌なら振り払ってもいいんだよ?」
「なっ――」
言うに事を欠いてわたしが断れない言い方をしてくる。
貴族令嬢だけでなく城中にも彼の熱烈なファンが多いのは、どうやら容姿だけではないらしい。
女でもないのにここまで狡猾となると先が思いやられる。
ウィルズはわたしが何も言い返せないのを見て、隠していた笑みを表面に出した。
「大丈夫だよ、何もしないから」
やんわりと告げわたしの手を放す。
じっと見つめられ狼狽したわたしは、何とかして話題を逸らそうと思い、わざと「あっ」と声をあげて何かを思い出した表情を繕った。
「そうだわ、昨日祖国からお茶葉が届きましたの。せっかく御足労いただいたんですし、ご一緒にいかが?」
こう言えばウィルズも納得してくれるだろう。
彼が“何もしない”というからわたしはすっかり気を許して踵を返す。
でもテーブルのポットを取りに行こうと夫に背中を向けたのがいけなかった。