第42話 予期せぬ事態
アーシェの容態が落ち着き、担当医師から面会を許可されたのはお昼を過ぎてからのことだった。
急に意識を失い倒れて以降、昼食も摂らずじっと医務室の前で待っていたわたしはすぐさまアーシェの眠るベッドに駆け寄った。
「アーシェさま!」
彼女は目を閉じて静かに眠っていた。
顔はすっかり蒼ざめていて、まるで死人のよう。それでも辛うじてスースーと鼻息が聞こえるからまだ安心できる。
かなりの高熱で先程までうなされていたらしく、やむを得ず医師が鎮静剤を使って無理やり眠らせたのだという。
おかげでこちらから声をかけても彼女の耳には届かない。
(一体どうしたというの……)
アーシェの冷えた小さい手をギュッと握りしめる。
触っても話しかけても反応は無いが、それでもわたしはこの場所を離れようとはしなかった。
今では我が子のように可愛がっているから、こんな弱々しい姿に変わり果てたアーシェが心配で気が気ではない。
ベッドのそばで目が覚めるよう祈りながら待っていると、バンッ!と突き破るようにして扉が勢いよく開いた。
「アーシェが倒れただって!?」
やってきたのはウィルズだ。
今日は来年度軍事予算を決定する大事な会合があると言って王国議会に行っていたはずだが、このことを聞いて飛んで帰って来たらしい。
ちょうど審議中だったらしく、身に纏っている服だって白い軍服のまま。
「アーシェ!」
ウィルズはベッド脇で右往左往するわたしやメリッサに目もくれず、真っ直ぐ王女の方へ走って来た。
ベッドの横に立つや否や、彼女の名を呼び、肩を掴んで軽く揺する。
しかし何度同じ動作を繰り返しても反応が無いことを知った彼は、担当医師の元に詰め寄った。
「どういうことなのか説明してくれ」
「はっ。午前中、リミューアさまやメリッサさまとご一緒にお茶を嗜んでおられたところ、何の前触れもなく急に倒れられたそうです」
「原因は?」
「現時点ではなんとも」
「無事なのか?」
「発作はだいぶ落ち着きましたが、お顔色が優れず高熱を伴っており危険な状態です」
ウィルズは再度ベッドのアーシェに視線を遣る。
幽霊のような青白い顔を前に、彼の顔から血の気が引いて行くのがわかる。
「本当に原因は分からないのか?」
「詳しくは検査結果を待たねば分かりませんが、医師のあいだでもこの症状に思い当たる節が無いことから、恐らく食あたりでも……」
「食あたり――か」
苦々しい顔をするウィルズは側近のロッカスを手招きすると、怒るような口調で語勢強く言い放った。
「今すぐアーシェの口にした食品の分析をしろ!座った席や着ている服も全て検査対象だ」
「御意」
ロッカスは胸に手を添え低頭すると、駆け足で部屋を出て行った。
――☆――☆――
「アーシェ王女さまが倒れられたとは真ですか?」
衛生上の問題ゆえ医務室を追い出されたわたしは私室に戻っても悶々とし続けていた。
まだ事件から数時間しか経っていないが、すでにその情報は城内にも広く知れ渡っているらしく、女官から噂を聞いたリサは直接わたしに真偽を問うてきた。
「事実よ。お茶を飲んで5秒後くらいだったかしらね。いきなり喉を押さえて倒れられたの」
「ケーキが喉に詰まったとか――はないですよね」
「ないと思うわ」
どうしてアーシェが倒れたのかは未だに分からない。
今すぐにでも彼女の元に行って手を握ってあげたいという気持ちでいっぱいだが、検査で原因が解明されるまでこの部屋を出ることはできない。
ウィルズから「何者かによる暗殺の危険もあるから部屋でじっとしていてくれ」と言われている。
「ではやはり何者かによる暗殺未遂でしょうか」
「さあ。でもアーシェさまは王家の末っ子よ?もしそうだとしたら狙う意味がわからないわ」
第一王女とかなら命を狙われても不思議ではないが、大して権利も王族上の地位も有さない最下層の彼女を狙って殺そうとする輩はいるのだろうか。
第一王女が凶刃に倒れた場合、第二王女がそれに代わる権利を承継することはある。
しかしアーシェは末っ子。彼女を殺しても得する人はいないし、失脚を狙ったとしてもそれに見合う対価が見当たらない。
あくまで暗殺を前提目的するのならおそらくそれはわたしに対する見せしめ――あるいは警告。
アーシェの後見人はわたしだから、被後見人を襲うことでこちらに何らかのメッセージを送ろうとする意図があるのかもしれない。
――とすれば、そんなことをするのはただ一人しかいないのだが。
「これが暗殺目的だとか、国家の根底を揺るがしかねない事態に繋がらなければいいんだけど」
「わたくしめも同じ気持ちでございます」
ふう、と重いため息を窓に向けて吐いたちょうどそのときだった。
コンコン、
「リサ」
「承知しました」
外からノックされた扉に向かい歩き出すリサ。
彼女は扉の前まで来ると、いつものように外部に対して問いかけを行う。
「どちらさまでしょうか」
すぐに返事は返ってこなかった。
ざわざわと外で人の声がしている。
しばらく向こうの声を待っていると、5秒くらいしてから『警察です』と地鳴りのような低い声が返ってきた。
(姫、机にお隠れください!)
わたしが机の下に身を隠すまでの時間を稼いだあとで、リサは腰の剣に手をかけながらゆっくり扉を開く。
警察と名乗って暗殺者が現れるかもしれないから、というリサなりの配慮だ。
特に混乱が起きている今の城内ではドサクサに紛れて襲いに来るケースも考えられる。
「入るよ」
数センチ開いて指が入るくらいの隙間ができると、扉はグイッと外側から強く引っ張られた。
その瞬間、外で待機していた黒装束の男らがズカズカと部屋に上がり込んできて、リサはすぐさまわたしの前に出て剣を構えた。
「そこまでです!正妃殿下のお部屋に挨拶も無しに上がり込むとは無礼千万!今すぐお下がりください」
「剣を下ろせ侍女の者。我々は暗殺者などではない。貴様も抜刀罪で連行されたいか」
「主人をお守りするため、やむを得ない抜刀は法で認められています」
「言っても聞きそうにないな」
30代後半と見える角刈りの男は3歩後ろに立つ長髪の男に向かい、「おい」と声をかける。
すると合図に呼応した男は纏っていたローブの中に手を入れ、黒い手帳を取りだして見せた。
「我々はフランシア王国枢密院直轄の捜査機関、王国秘密警察である。これがその証拠だ」
提示された手帳には、胸に槍が突き刺された堕天使の紋章があった。
それがどういう意味を指しているのかリサには理解できなかったが、相手が丸腰であることを踏まえ、渋々剣を鞘にしまう。
「ではその政府直轄機関が正妃殿下に何の用ですか。お茶会のご予約ならお取次いたしますが」
「あいにくそんな可愛らしいものじゃないのだよ。もっと重大なことだ」
「重大なこと?」
リサは少しでも時間を稼ごうとするが、秘密警察の男らは机の下でうずくまるわたしを発見すると、制止を無視して全員で包囲した。
そして持っていた一枚の紙切れをこちらに提示する。
「午後2時43分。リミューア・S・シャーマリスを『要人暗殺未遂』の容疑で緊急逮捕する」
次話から第5章です。
だんだんシリアスになってきましたが、もともとムーンライトで掲載する用に作ってあったのを改稿したものなのでそういうシーンも少し含みます。




