第41話 事件
次の日はよく晴れた。
空一面の青空で、雲一つない天には白い月が残っている。
窓から見えるシルヴァ山脈の頂上付近にかかっている笠雲が気になるが、雨や雪を降らせる雲は今のところどこにも見当たらない。
この調子だと少なくとも今日の夕方までは天気も保ってくれるだろう。
まさにロイからいただいた高級茶を嗜むのに相応しい、絶好のお茶会日和である。
……ま、“あること”を除けば――の話だが。
「すっごーい!!!」
テーブルの上に用意されたスイーツの数々を見て目を輝かせるアーシェ。
昨日、宮廷パテシエに徹夜させて作らせたお菓子の家&お菓子の城を見ると、彼女は飛び上がって喜んだ。
前に初めてお菓子の家を振る舞って以降すっかり気に入ってしまい、今では「今度はお菓子の国を作って!」などと命令してパテシエ達を困らせるほど。
嬉しそうにはしゃぐアーシェの無邪気な笑顔はどんな花よりも愛おしい。
それは“側妃の誰かさん”と違って屈託の無い笑み。
明るくて健気で、曇り気のない澄んだ双眸はまるで今日の青空を見ているかのよう。
なにかあって落ち込んでいるときでも、あの可愛らしい笑顔を見ると心が温かくなって癒されてしまう。
でもそんな愛らしいアーシェの側にはある女の姿が。
「気に入って頂けて光栄ですわ。どうぞお好きなだけお召し上がりくださいな」
「ほんとう!?」
「ええ」
ウィルズの側妃、メリッサである。
聞くところによると、せっかくお茶会をするのだから賑やかな方がいいということで、アーシェがわたしに内緒で茶会に呼んでしまったらしいのだ。
何故よりによってメリッサなのかを問うと、「リミューお姉ちゃんのお友達だから!」という悲惨な回答がかえってきた。
まあ、こないだまでわたしたちが対外的に表見上の親友を演じ続けてきたのだから勘違いされても仕方ない。
アーシェの目にはわたしとメリッサが友好的に映っているのだろう。
実際はドロドロの関係だというのに。
でもそんなことをアーシェの前で言えるはずもなく、
「今日のお茶はハインリッヒ産のカロム茶だとうかがいましたが」
白い湯気を立てる紅茶のカップを手にしながらメリッサが微笑みかける。
「ええ。この前に公務で同国を訪れた際、『お土産にどうぞ』って渡されたの」
「この前というと、ウィルズ王子殿下が体調不良で寝込まれた5日前の?」
「そうよ」
今のところ双方ともに目立った動きは無い。
この子の前でわたしに悪態をついてきたらどうしよう、と内心で警戒していたものの、彼女も時と場所を弁えてくれているらしい。
メリッサは手元のチョコケーキをフォークで切り崩して口に含むと、乱れた前髪を整えるため一旦髪をかき上げる。
そのとき、額のあたりに最近できたらしい赤い傷跡があるのを発見した。
「その傷、どうかしたの?」
わたしでも羨むほどの美貌であるだけに、傷があるのは意外だ。
別に深い意味を以って尋ねたわけではなかったが、メリッサは急にハッとした表情をして顔を逸らす。
「ちょっと色々……」
「アザになってるわよ。ウィルズを怒らせて殴られでもしたとか――」
「ちがいます!」
わたしの軽い冗談にかなりムキになって反駁する。
いつもなら「まさか」とか「そんなのあるわけございませんわ」とか言って来そうなのに、これほどまで落ち着きのない彼女は初めてだ。
(今日のメリッサは随分大人しいわね。……それともアーシェの前だからわざと静かにしているのかしら)
ソワソワして落ち着かない側妃に疑念を抱きながら、わたしは隣でカチャカチャと音を立てるアーシェに視線を向ける。
「あらら、アーシェさまったらお口に生クリームがべったり」
お菓子の城を独占して食べるアーシェの顔はクリームで真っ白。
よく見れば口まわりのみならず鼻先、頬まで広範囲に被害が及んでいる。食べるのに夢中で本人は気付いていないらしい。
「拭いて、リミューお姉ちゃん!」
「まあ。仕方ないお嬢さまだこと」
ん! と顔をこちらに差し出してくるあどけない幼顔を湿った布で拭いてやる。
公然と王女と仲睦まじげにするわたしを見てどう思ったのかは分からないが、メリッサは横目でじっとこちらの様子を眺めていた。
「はい、終わりましたよ」
「ありがと!」
「あまりお顔を汚さないようお気を付けて」
えへへ、と笑うアーシェは再びお菓子の城に向き直ると、女官の淹れた紅茶のカップに両手を添える。
そしてそのまま一気に喉の奥に流し込む。
味わって飲むというより、喉が渇いたから飲むという雰囲気だ。まあ飲み方なんて人それぞれだが。
「おいしい!」
「それは良かったわ。わたしもこの味が大好きですの」
アーシェの喜ぶ顔を見てから、わたしもカップに手を伸ばす。
冷めないうちに飲もうと、縁に口を付けたその時だった。
――カラン
固い金属音が聞こえ、ふと足元に視線を遣る。
するとテーブルクロスの下に小さめのフォークが落ちているのに気づいた。
大きさからしてアーシェのものだ。
「あら、落としたのなら新しいやつを――」
そこまで言ってからわたしは彼女の異変に気付く。
「いっ……あ……」
「アーシェさま?」
次の瞬間、アーシェは喉を両手で押さえながら真横に倒れた。
「アーシェさま!!」




