第40話 怒りの矛先
(注)本話はやや暴力的な表現を含みます。
3日間の滞在後、国賓クラスの厚遇を受けて帰国するとすでにウィルズは仕事の席に着いていた。
ロイから「わが盟友に渡しておいてくれ」と頼まれた茶葉や置物といった品を夫に手渡し、一連の外交活動に関する労いの言葉を受けてから私室に戻る。
するとわたしの部屋にとある客人がいることに気付いた。
「おかえり、リミューお姉ちゃん!」
「アーシェさま!?」
ソファーを小さい体で独占し、いつの間にかリサにジュースとお菓子を与えられた彼女はわたしを見るや否や飛びついてきた。
前々からアーシェは勝手にわたしの部屋に入るようになり、そのたびに女官や侍女が世話を焼いているのだと聞かされている。
正妃の部屋だから、と追い返そうにも相手が王女ゆえ要求には逆らえないんだとか。
「ねえねえ!お姉ちゃんどこ行ってたの?」
「ハインリッヒっていう国ですよ。ほら、フランシアの上の方にある大国」
「タイコク」
「えっと、大っきい国って意味」
「ふーん?」
だめだ、理解してない。
「それより、アーシェにお土産持って帰って来てくれた?」
「無いことも無いんですけど、アーシェさまのお気に召すようなものはありませんわ」
「なあに?」
「高級茶葉と香水、あとはネックレスとか宝石類がいくつか」
そこまで言うと、アーシェは渋そうな表情をして顔を曇らせた。
口を尖らせて「ぷー」と言う様は可愛らしくて仕方ない。思わず抱き締めてしまう。
「まあせっかくお茶葉を頂いたんですし、明日にでも一緒にお茶会しましょう。ね?」
「お菓子のお家もある?」
「もちろん」
「やった!!明日ね?お約束よ!?」
「ええ」
好物の『お菓子の家』がもらえると聞き、嬉しがるアーシェ。
普通のケーキならいつでも食べられるが、お菓子の家は手間がかかるためお茶会等でしか用意してもらえないのだ。
だからか、今の彼女にはお茶会=お菓子の家という概念が結びついてしまっている。
わたしは部屋の中ではしゃぎまわるアーシェを見て軽いため息を落とした。
――☆――☆――
そのころのフォルニクス邸。
「この愚か者がッ!!!」
晴れ渡る青空の下、窓ガラスを突き破らんばかりの叱声が部屋中に響き渡る。
そのあまりの爆音に驚き、庭園の木の枝に止まっていたスズメたちはどこかに逃げてしまった。
今日は当家と結びつきの強い男爵令嬢との大事なお茶会を予定していたのだが、その前夜にフォルニクス家の使者が宮殿に飛んできて、メリッサはすぐに家に戻るよう伝えられた。
おかげで茶会は土壇場でのキャンセル。朝になって身支度を整え、何事かと慌てて実家に向かうと、顔を真っ赤にした父親が憤怒の形相で待ち構えていた。
「殿下の子を流したとはどういうことだ!!!!」
杖を持って激昂するフォルニクス公爵は地団太を踏んで怒声を吐く。
「そのうえ、もう二度と子を身籠れぬ身体だと?笑わせるな!!!」
「……申し訳ございません」
「せっかくすべてが上手くいっておったのに、何もかもパアだ!」
公爵が言っているのは、後見職のことだ。
もし長男が生まれれば公爵家は第一王子の後見職に就くことになり、正妃を超える絶対的権力の中枢に立つことができる。
しかしメリッサが偶然にも流産してしまい、さらに将来子を身籠る可能性無しという現実を突き付けられたため、その夢ははかなくも消えてしまった。
「お前にどれだけ投資したと思っておる!!娘は他にもおるが、お前が殿下と繋がりを持っておることを踏まえわざわざ優遇してやったというのに!!」
「申し訳ございません」
「殿下がお前を気に入っておられるからまだしも、左遷されるようなことがあれば今すぐにでも素っ裸にして貧民街に捨ててやる」
「本件に関してはお父さまに多大なご迷惑をおかけしたと感じております。ですが、」
「口ごたえするな!!!」
「きゃっ」
持っていた杖で顔面を殴られ、メリッサは壁に頭をぶつけて倒れた。
もともとメリッサはフォルニクス家の娘ではなく、死別により親を失った彼女を当家が養子として迎えただけ。
最初は義父も優しく接してくれたが、成長するにつれ自分の娘たちと違って美しくなっていく彼女に嫉妬し、たびたび酷い扱いをするようになっていた。
フランシア王室への政略結婚もそうだ。
当初、メリッサはウィルズに正妃がいることを理由に縁談を断っていた。しかし知らぬ間に義父が国王に輿入れの提案をし、受け入れられたため、結婚が決まったのだ。
しかも輿入れする前、公爵から言われたことがある。
「必ずリミューアを正妃の座から引きずり下ろせ」と。
ウィルズが正妃にベタ惚れで他の女に興味すら抱かない現状に危機感を抱いた公爵は、政略結婚でメリッサを刺客として送り込み、一切の権力を掌握しようとするリミューアを左遷させるよう命令した。
メリッサの正妃に対する一連の悪態はこの命令に始まる。
「子を産めぬ側妃など存在している意味もない。ましてやその側妃が我が子だと思うと情けなくて……」
公爵は前髪をかき上げ、重いため息をつく。
「お前のせいでワシまで恥をかかされた。この落とし前はどうつけてくれる!!」
「お願いです!捨てないでください!何でもします!!」
「うるさい!!」
土下座し泣いて謝るメリッサの頭をさらに杖の先で突く。
額からは赤い鮮血が流れていたが公爵の手は止まらない。
「せっかく上り詰めたこの地位をよくも!!」
「申し訳ございません!お許しください!!!」
「ならぬ!!今日という今日はお前を――」
杖を振り上げたそのとき、公爵はピタリと動きを止めた。
それは彼女が可哀想になったからでも何でもない。単にある考えが瞬間的に浮かんだからだ。
「……お前、さきほど『何でもする』と申したな?」
「はい!何でも致します!!」
「ならば今一度挽回の機会を与えよう。これから言うことを見事成功させた暁には、お前を自由の身にしてやろうぞ」
「ありがとうございます!!――して、その内容とは」
公爵の口がニュッと歪む。
「耳を貸せ」




