第38話 妃の対決
メリッサが倒れた、という情報がわたしの耳に入ったのは、公国との国境を越えフランシアに入ってすぐのことだった。
当初は風邪でも引いたんだろうと安易な考えを持っていたものの、腹の子が流れてしまったと影の者から聞かされたときは思わず自分のお腹を押さえてしまった。
特に初めての妊娠だと子が流れやすいのはよく言われていることだ。
わたしもメリッサと同じく初めてで、詳しい情報を聞いたときには気が気ではなかった。
自分じゃなくてよかったと安心する反面、やはり喧嘩しても似た者同士だからか、少なからず同情の気持ちはあった。
だが同時に、これはチャンスなのではないかと考えた。この国の歴史を見ても1度流産した妃は身分を取り上げられ、左遷される運命にある。
ということはメリッサは側妃を解任され、もうわたしの邪魔をすることもなくなる。
こんなことを考えると実に不謹慎だが、こちらからすると棚からボタ餅な事件といえよう。
そんなわけで帰国した翌日、見舞いも兼ねてどんな体たらくをしているのか見に行ったのだけど、ベッドの上で意外に悠々としている彼女にわたしは驚かされてしまった。
「倒れたと聞いたけれど、お加減は?」
「もうかなり痛みも和らぎましたわ。早ければあと数日で元通りの生活ができるってお医者さまが」
「そ、そう。それはよかったわね」
想像とは違い、かなり元気そうな受け応え。
わたしが引き攣った笑みを向けると、メリッサは家臣たちから送られた花々を手で愛でながらニヤリと嗤う。
「こんな私を心配して下さるのですか?」
「逆に心配しないという選択肢が?」
「いえ、お気遣いありがとうございますリミューアさま」
ここまで元気だというのは予想外だった。
しかもリサによれば、ウィルズは彼女の地位を取り上げないよう国王に掛け合い、王もそれを承認したという。
要するにメリッサは今まで通りの生活を送ることに決まっているのだ。
左遷されていなくなると思って糠喜びしていたわたしからすると、ウィルズの決定は少しショックだったが、せめてもの救いはメリッサに妊娠能力が欠如していること。
そのうち子供が生まれると、自然に彼の気もわたしに向くに違いない。それまでの辛抱だ。
「では、お大事に」
内心でチッと舌打ちして踵をかえした直後だった。
「ああ、そういえば」
なにかを思い出したかのようなわざとらしい声が後ろで聞こえた。
背中側から「リミューアさま」と名を呼ばれ、わたしは咄嗟に笑みを繕って身を反転させる。
「なに?」
「言い忘れていましたが、一つ、提案が」
「提案ですって?」
「ええ。私たちの関係について少し」
そもそも彼女から何かを提案されることは特異だったし、どこか改まった様子だったのでわたしも話を聞く耳を向ける。
無言で首肯して見せると、メリッサの口元も綻んだ。
「提案というのは他でもありません。……もうやめにしましょう、私たち」
何にやめると言っているのか分からなかったわたしは正直に首を傾げる。
「やめるとは?」
「あらやだ、お分かりのくせに」
「言葉にしてもらわないと分からないわ」
なんとなく言いたいことは理解していたが、こちらからそれを口にするのは癪だったのであえて抵抗を続ける。
「表見的な友達関係はやめましょう。ウィルズ王子殿下の前ではお互いニコニコして仲睦まじげに見せる裏でいがみ合う――」
「……………。」
「それとも、私と対立していたつもりはなかったとでも?」
「いいえ」
メリッサの目を睨みながら顔を横に振る。
あろうことか彼女からそんな話をされるとは思ってもいなかったわたしは、ウィルズに何か吹き込まれたんじゃないかと考えていた。
だがどうも怪しい。
狡猾な女狐がそう容易く和解を求めているとも考えにくい。そこで、本音を探るべくボール球を投げてみる。
「ではわたしとの和睦を?」
予想通り、そこで彼女は「いいえ」という否定符を打ってきた。
「その逆。強いて申し上げるなら、宣戦布告とでも言いましょうか」
「どういうことかしら」
「簡単な話です。――私たちは同じ一人の男性を愛している。でも彼の寵妃となれる女は一人だけ」
「あの人は自分の妻に格付けするような人じゃないわ」
「本当にそう思いますか?」
いつになく真剣な顔で見つめられ、言葉に窮す。
「二人を同じだけ愛する――というが麗句でしかないというのはあなたさまもお判りでしょう?人間は複数の異性を同時に同じだけ愛することができるようにはつくられていない。つまり、王子殿下に気に入ってもらえるのは私かリミューアさまのどちらか」
「で、表見上の友達を解消して勝負をしようと」
「その通り。先に王子殿下の気を独占した方が勝ち」
「バカバカしい」
「では棄権なさる?」
フンッと鼻で笑われ、わたしは思わず舌打ちしそうになった。
人が見舞いに来てやったというのにいきなり何を言い出すかと思えば。まあこの女らしいと言えばそうだが、彼女の勝ち気に満ちた傲岸不遜な態度にはもうウンザリだ。
だからわたしはこう返す。
「いいえ。むしろ望むところ」
と。
それを聞き、自ら無益な戦いを望む酔狂な女は満足げに微笑する。
「あの人を愛する妃であれば、そうでなくては――ね」
「そうは言うけれど、獅子を挑発しておいて噛み殺されないように気を付けなさいね」
「そのお言葉そっくりそのままお返ししますわ」
メリッサが最後に言った言葉が耳に届かぬうちに、わたしは颯爽と医務室を出て行った。




