第36話 急変
リミューアが旅行に行っている間のお話になります。
一応裏話みたいな感じですが、本話はかなり重要です。
木枯らしの舞う空は広く澄み渡っていた。
昨日、初雪を降らせた黒い雲は北風に流されてどこかに飛んで行ってしまい、代わりに真っ青な空を運んできてくれた。
ここまで晴れてくれると清々しくていい。最近曇りばっかり続いていたから青い空を仰げるのはかなり久しぶりな気がする。
でも窓から空を見つめるウィルズの心は曇ったままだった。
「どうしたの、ウィル」
不思議そうにそう問うたのはメリッサだ。
白いテーブルクロスの敷かれた長テーブルの向かいに座る彼女は心配そうに問いかけてくる。
「食欲がないの?」
リミューアが姉とタイロン公国に買い物に行くと出掛けた日の昼間。
仕事をしていると手伝いにやって来てくれたメリッサから「一緒にお食事しない?」と誘われ、ウィルズもちょうど相手がいなかったので了解の返事をした。
そのためこうして二人で向き合って昼食を摂っているのだが、ウィルズは外を見て呆けたまま食事に手を付けようとはしなかった。
「別に」
いつもなら笑顔で話してくれるウィルズの表情が曇っている。
しかも返事だっていつになく単調。
「私とのお食事は嫌?」
「そうじゃない。ちょっと色々気になることがあるだけだよ」
「リミューアさまのことね」
眉を顰めるメリッサはすでに夫の心情を全て読み取っていた。
普段からウィルズを食事に誘おうとも思っていたものの、彼だけを招待してリミューアをほったらかしにするのはいくら互いに犬猿の仲とはいえ体裁が悪い。
そのためあえて誘わずにいたところ、今日になってうまい具合に彼女が城を出て行った。
それで「これは好機」とみて早速ウィルズを昼食に誘ったのだが、いつも曇りなき笑顔を向けてくれる夫は終始窓の外を見てため息をつくばかり。
「そんなにあの人のことが気になるの?」
一瞬ウィルズの眉が吊り上がったが、すぐに落ち着きを取り戻す。
「なにせ異国へ旅行に出かけたもんだから。安否を気遣うのは夫として当然だよ」
「本当にそうかしら」
「?」
「もっと別のことを気にしている感があるわ」
猜疑の目で見られ、ウィルズは狼狽を隠すのに必死だった。
たしかにリミューアの安否を気にしているのは事実だ。でもそれ以上にウィルズには気になっていることがいくつかある。
一つは彼女との関係が修復できていないことだ。自分が軽率な行動をとって以来、彼女はずっと怒ったまま。
口では許したと言っても内心では傷ついている複雑な女心。女性と過ごした経験があまりないウィルズはどうにかして仲直りするべくメリッサに知恵を貰おうとしたのだが、対立の原因が彼女だと判明すると結局相談できなかった。
そして、もう一つは異常なまでの手紙の多さ。
リミューアとロイが懇意にしていたときから妙だと思っていたが、普段それほど手紙を書かない彼女が最近よく祖国に向け字を書いている。
両親へのものなんだからなるべく見ないようにしてあげよう、と検閲させないでいたものの、時期と量からして少しおかしいように感じる。
メリッサはウィルズが何も答えないのを見て不満そうな顔をしてみせた。
「放っておけばいいじゃない。せっかくウィルの方から寄りを戻そうとしてるのに、いつまでも意地を張っているのはあの人よ」
「なにもそんな言い方することないだろ」
「へえ。今日はリミューアさまの味方をするのね」
いつもは私なのに、とは辛うじて言わなかった。
ウィルズがどう想っているかはわからないが、少なくともメリッサにとって食事中に正妃の名を出されるのは嫌だった。
「別にどちらの味方ということじゃない。メリーもリミューも僕にとっては大事な女性だよ」
「そう。ありがとう」
でも、とメリッサは言葉を折り返す。
「もし私の子が男で、あの人の子が女だったらどうする?」
「どうするとは?」
「王位継承権のこと」
男尊女卑の古い思想を有するフランシアでは、長男を第一王子にするのが長らくの伝統とされている。
正妃が産もうが側妃が産もうが、母方の身分に関係なく長男が次期国王の座に据えられる。
ということは、メリッサがいう条件で考えると彼女の子が第一王子に決定する。
もしそうなれば同じ妃の中でも必然的に序列ができあがり、ただでも不利な立場に立たされているリミューアは権力闘争の波に呑まれてしまう。
「そのときになったら考えようと思う」
おそらく子供が産まれる頃には自分が玉座に座っている。王室のことを決める権限は全て掌握しているはず。
とすれば自分の裁量が試されるのはリミューアが女を産んだときのこと。
彼女が男を産むか、双方ともに生まれる子が女なら問題は無い。ただ、メリッサの条件だと王位継承権ならびに母方の後見職問題が絡んでくる。
伝統を重んじるならば第一王子は側妃の子。しかしリミューアの立場を保護するなら、古き風習を自分の代で破り、女に王位継承権を与えるという前代未聞の暴挙に出なければならない。
「生まれた子の性別がどうであれ、私は伝統に準ずる方が賢明だと思うわ」
「それは色んな意味で――だろう?」
「かもね」
ふふっと怪しげに笑い、メリッサは席を立つ。
「どこに行くんだい?まだ食事は途中だけど」
「ちょっと気分が――」
口端を上げた途端、メリッサの顔色が急変し、彼女は「うっ」と嗚咽のような声を出して自らの腹を押さえた。
「メリッサ?」
「大丈夫。なんでもないから」
繕った笑顔でそう告げ、20名ほどの女官を引き連れて扉に向かおうとしたそのときだった。
――ドサッ
「メリッサ!!!」




