第3話 報告
わたしがフランシア王国に嫁いでから5日が経った。
結婚式を祝う国を挙げてのお祭り騒ぎはすっかり鳴りを潜め、王宮にも平穏が戻った。
けれどわたしと夫との距離は依然として開いたまま。
初夜を断ってからというもの、ウィルズの渡りは今のところない。
それでも彼は今まで通り紳士的に振る舞い、わたしのことを露骨に嫌ったりする様子は見せない。
夫婦ゆえお互いに話したりもするがプライベートに会って話すというのではない。
単にわたしが夫のいる執務室に足を運び、身の回りの世話をしながら油を売るくらいのもの。
ウィルズはわたしとの会話を続けようと毎日新しい話題を引っ張り出してきてくれるんだけど、「今度一緒に旅行に行かないか?」と問われても「どうぞ、旦那さまの御随意に」という具合に、全ての問いかけにふてぶてしく返すせいで長続きしない。
別に彼のことを嫌気しているわけではない。むしろルックスの面では自分にはもったいないほどの美丈夫だと思っている。
ただ、祖国を代表して嫁いできた身ゆえ、軽い女だと見られたくないと思うあまり肩に力が入り過ぎてしまうのである。
(今のままじゃいけないのは分かってるんだけど……)
はぁ、とため息をつきながら机の引き出しを開ける。
中には本やら書類やらが無造作に詰め込まれている。
祖国から持ってきた本やお茶会の知らせといったものが主。
一見普通の中身に見えるものの、それがカムフラージュだと知っているのはわたしを含めて数名。
ごった返した書類の中をまさぐって取りだしたのは一本の短刀だった。
これこそが、彼との距離を縮められないもう一つの理由。
――わたしは密偵でもある。
単に政略上の道具としてウィルズの正妃になったわけじゃない。
もともと祖国とフランシアは敵対関係。
今回の政略結婚で和平が締結されたとはいえ、裏ではお互いの腹の探り合いが続けられている。
それゆえ、情報収集に関してわたしに白羽の矢が立ったのだ。
次期国王となる王位継承者の正妃となることで国政に関与し、普通は知り得ぬような情報を手に入れることができる立場にある。
表向きは王子妃として笑顔を振りまく傍ら、裏では様々な人と接触し、この国の防衛、兵力、政治といった機密を収取し、暗号で伏せて祖国へ伝える。
それがわたしに与えられたもう一つの使命。
だがそれもいつバレるかわからない。
密偵活動には常に露見のリスクを負うことになる。
だからこそフランシアに輿入れする前に父からこの短刀を握らされたのである。
これを渡された時から「国のために死ね」と言われたようなものだ。
政略結婚により他の国に嫁いだ以上、もう二度と祖国には戻れないと考えた方がいい。
事実、両親とは離縁したのと同じ。
それでもわたしは密書を祖国に送り続け、コトが露見すれば証拠隠滅のために自殺する。
そうすれば祖国は一連のスパイ活動にシラを切れるのだ。
わたしとウィルズの関係なんて、所詮は国家の計謀がめぐらされた“オママゴト”に過ぎない。
だから彼を愛することはできないし、するつもりも無い。
そうしてわたしはこの国で一生を終える……
「いかがなさいましたか、姫さま」
突如頭上から諭すような声が落ちてきて、わたしは思わず「えっ」と驚嘆してしまった。
「ここに来てから塞ぎ込んでおられるようですが。何かお悩みのことがございましたらご遠慮なくお申し付けくださいね」
そう言って机の端に紅茶の皿を置くのは、わたしが祖国から連れてきた侍女長のリサ。
彼女とは8年もの付き合いで、向こうが2つほど上なだけで歳も近いことから気心が知れた仲である。
「ありがとうリサ。でも大丈夫よ、本当に何も無いから」
「だといいのですが……」
リサは語尾に一抹の余韻を残して後退する。
やはりわたしが気を重くしていることを知っていたらしい。
まあ自殺用の短刀を見てため息をついていれば、そう見えないことも無いか。
本当に大丈夫だから、とリサに対して繕った笑みを見せているときだった。
コンコン、
突然扉がノックされたのだ。
「リサ」
「かしこまりました」
彼女はこちらに丁寧な一礼を見せ、扉の方に向かう。
「どちら様でしょう?」
『――姫さまのお世話役を務めております女官のマリナにございます』
女官の声には落ち着きがなかった。
まるで敵軍が一気に攻めてきたときのような焦燥ぶり。一体どうしたというのだろう。
「どうぞお入りください」
外からは見えないはずなのにリサはペコッと会釈してからドアに手を伸ばす。
何事にも礼儀正しい彼女の癖だ。
リサがドアを開けると、見覚えのある長髪の女官が駆け込んできた。
たしかフランシアに輿入れする際に身辺の管理をする手駒として祖国から連れてきた人。
「どうしました、こんな時間に」
「実は急ぎ……姫さまに…ご報告し申し上げたいことがございまして」
ずいぶん息が切れている。
様子から察するに、廊下を走って来たのだろう。――となれば相当重要な案件に違いない。
まさか祖国で何かあったとか?
ゴクッと生唾を呑み込んで次の言葉を待つ。
マリナは一度咳払いをして息を整え、会釈をする角度で頭を下げてこう告げた。
「間もなく殿下がお渡りになられます」
5秒後、わたしは自分が氷のように固まっているのに気づいた。
「……殿下が?」
「はい。間もなくこちらへ」
内心、「えっ?」と思った。
お互いにもっと知り合うまで、という約束をしたから彼の渡りはしばらく無いだろうと安心していたのに。
なんでそんな急に……
「どうなさいますか姫さま」
「どうするって、お断りするわけにもいかないでしょう」
ただでも初夜を拒んだというのに、王子が渡って来る前にカギを閉めて門前払いしたのでは余計な噂が立つに決まっている。
最悪、今後は二度と口をきいて貰えないかもしれない。
それだけは勘弁だ。
「ま、旦那さまを怒らせないようには気を付けるわ」
「……またそのような御戯れを」
リサは淡いピンク色の唇を歪める。
彼女もわたしがウィルズに気を許していないことを知っている。ゆえにこんな苦い顔を見せてくるのだ。
「数年前みたいに、“変な気”は起こさないでくださいね」
「ええ、もちろん」
過去にわたしは無理やり口づけをしてきた貴族の舌を噛んでやったことがある。リサはきっとそのことを案じているんだろう。
まあウィルズに同じことをされてもキスくらいは許してあげるつもり。
愛されることなど初めから望んでいないが、嫌われることも望んでいない。
ウィルズとはそんな友達程度の関係で十分なのだ。
所詮、わたしたちは国家の手の平で踊らされる人形に過ぎないのだから。