第30話 舞踏の場
広間に戻ると、フランシアの王子妃と異国の第一王子の急な登場に会場はどよめいた。
会場に居合わせた男女は全員こちらに視線を集中させる。
お互いピンで広間に戻ったのならこれほど驚かれなかったろうが、わたしの側にはウィルズではなくロイがいる。
しかもお互い仲睦まじげに腕を組んで。
これは一体どういう風の吹き回しだ、というのが周りの声である。
音楽の最中であるにも関わらず騒がしい周囲のおかげで、見知らぬ貴族令嬢と話をしていたウィルズの視線もこちらに釘付けになっているのがわかった。
――好奇の目で見たいのなら見るといい。
注目したいのならするといい。
もう野となれ山となれだ。
もうここまで来るとわたしは半ばヤケクソになっていた。
ロイはわたしの手を握ったままウィルズのいる方へと足を運ぶと、会釈する角度で低頭する。
「リミューア妃を借りる。では」
実に3秒にも満たない出来事だった。
ズカズカやってきて用件だけを口にして去って行こうとするロイに、ウィルズはポカンと口を開いたまま氷のように固まっていた。
まったく現状を理解できていないようだ。
「ちょっと借りられてきます、旦那さま」
わたしもロイの背中に隠れながらペコッと頭を下げる。
ロイがわたしを抱えるようにして広間に向かおうとしたところで、やっとウィルズの腕が動いた。
「ち、ちょっ、待て!」
あわてふためいた様子で追いかけてくる。
それでもわたしもロイも背を向けたまま反応しなかった。
ロイの方はもともとウィルズの声に耳を傾けている風では無かったが、わたしの場合はあえて無視。
メリッサばかりに目がいく夫に反抗してやろうと思ったのもある。
――でも本当は“止めて欲しかった”。
ウィルズ以外の男に靡いたように見せかけ焦りを誘い、もう一度わたしに振り向いてくれるよう仕向けたつもり。
本当に今でも愛してくれているのなら、乱暴でもいいからわたしを奪い返して欲しい。
行くな、と後ろから強く抱きしめて欲しい。
何ならわたしを取り返したあとで叱ってくれてもいい。
……少し傲慢だろうか。
でももしウィルズが態度で示してくれるのなら、ロイとの舞踏はキッパリ断るつもりだった。そして夫のもとに戻る気だった。
わたしは広間に向かって歩を進めながらも、夫にストップをかけてもらうのを期待していた。
けれど、声がかからぬままあれよあれよという間に手を引かれ舞踏の中心へ。
結局、あのヘタレ男が呆然と立ち尽くしている間に音楽は始まってしまった。
(ウィルズ……)
半ばガックリ肩を落としていると、ロイは軽いステップを踏みながら苦笑に似た笑みを向けてきた。
「やっぱり俺より旦那の方がいいか?」
「い、いえ、そんなことは」
咄嗟に笑みを繕って首を横に振る。
舞踏の人込みに紛れ、ロイはわたしを連れてウィルズのいる方から遠ざかると、彼が見ていないのを確認してからやんわりとした口調で問いかけてきた。
「あの男と喧嘩でもしたと見えるが?」
「け、喧嘩?」
「仲違えとまで行かなくともそれに似た関係だろう」
「……なぜそうお思いに?」
もうこちらの内心は見破られていたが、諦めの悪いわたしはそのわけをうかがう。
「俺と一曲どうだと提案した際、リミューア殿は夫がいるにもかかわらず断らなかった。しかもその後のウィルズへの対応。まるで奴へのあてつけみたいな」
「でもそれは――」
「本当にあの男を慕っていたのなら、こうして俺と手を握り合って踊ることもなかった」
何も言い返せない。その通りだ。
もし本当にわたしがウィルズと仲良くしていたのならバルコニーに赴く必要は無かったし、ロイと出会うこともなかった。
この人はこちらの浅はかな考えなど全てお見通しだったのだ。
わたしが答えあぐねているのを見たロイは、気まずくなる前に話を逸らそうと冗談気味に笑んだ。
「しかしあいつも罪な男だな。あなたのような美しい女性をほったらかしするとは」
「そんなっ、美しいだなんてとんでもない」
「御謙遜を。こうしてリミューア殿を見ていると、俺の周りで踊っている女がドレスを纏ったカボチャに見えてくる」
「まあ」
表現がユニークだったからか、わたしはついつい声をあげて笑ってしまった。
しかもタイミングよくわたしたちの横にカボチャみたいな大きい顔の貴婦人が現れたから、失笑を抑えるのにかなり苦労した。
「今までさまざまな女を見てきたが、貴殿ほど俺の心を揺り動かした美姫はいなかった」
真摯な目で見つめられ、わたしの心臓がドキッと震えるのが分かる。
まさかわたしに――?でも彼に限ってそんなことは……。
「褒めても何も出ませんわ」
「あくまで思ったことを口にしたまで。いくら社交界の礼儀といえども、俺は美しくない女に詭弁なんぞ使わん」
「サバサバしていらっしゃるのね」
「ちょっと正直すぎるだけだ」
そう言って微笑し、ロイは抱く手に力を入れる。
舞踏の場でどさくさに紛れて抱こうとする魂胆は見え見えであったが、わたしはあえて拒否せず受け入れた。
ロイがわたしをどう思っているのかを探るべく、広い胸板に顔をうずめてみる。
すると彼は上からこちらを見下ろして微笑んだ。
「俺が嫌い――というわけではなさそうだ」
安堵の表情を見せる第一王子にわたしは「それはどうでしょう」と曖昧な言葉を返す。
「もしも俺を毛嫌いしているのなら、こうして手を取り合って――抱くことも許してはくれなかったはず」
わたしの身体はロイの腕の中にある。
その腕を振り払おうと思えば可能だったが、実力を行使しようとは思わなかった。
「単に社交の一環として踊っているのか、それともロイのことが気に入って個人的に踊っているのか――。そこの解釈はお任せします」
「後者の意で採っても?」
「御随意に」
そう返すと、彼は何かを確信した様子でわたしに顔を近づけ、耳元でそっとささやく。
「では貴殿の気持ちを確かめてみよう」
耳朶に優しげな微笑が触れたとき、早くも一曲目が終了した。




