第29話 ロイの誘い
「くだらない芸をお見せしてしまい、恐縮です」
「そんなことありませんわ。わたしもマジックというものを間近で見たことが無かったからとっても新鮮で。それに、お上手ですのね」
「それほどでもない。幼少のころからちょっと興味があってね。とはいっても簡単なものしかできないが」
男は破顔したが、すぐに咳払いし息を整えてから低頭を見せる。
「申し遅れた。俺はハインリッヒ王国第一王子、ロイ・ウスク・ハインリッヒと申す者」
「第一王子――ですか?」
「そうだ」
イマイチ信じられずきょとんとするわたしに「嘘じゃないぞ」と笑顔で釘を刺す。
「――というと、わたしにラシスの香水を送ってくれたあの?」
「ああ。たしかに貴殿の成婚祝いに我が国の香水を差し上げた。気に入って頂けたか?」
「ええ、それはもう!今日も付けさせていただいておりますわ」
「ははは、それはよかった。……ところで、あなたは俺のことを覚えて――?」
ロイと名乗る男はわたしの鈍い反応を気にしてそう問うてきた。
覚えているか、と訊かれてすぐに自分の中にある記憶を確かめるが、彼の顔はどこにも出て来ない。
でもロイはわたしと会ったことがある様子。
この場合どう答えるのがベストか。
「大変失礼ですけど、覚えて……ないです」
ウソをつくのもアレなので正直に答えて彼の顔色をうかがう。
ロイはわたしの回答を耳にするや否や、さも「そうだろうな」と言いたげな顔をして破顔した。
「まあ覚えていなくても無理はないな。貴殿の結婚式の日、夜会で貴賓を代表して握手を交わしたのだが――」
「……ごめんなさい」
「なにも謝るほどのものでもない。俺だって側妃との結婚式の場に居合わせた面子を覚えていないのだから」
正直に答えたのが功を奏したのか、ロイは何ら気にした様子もなくケタケタ笑っていた。
「まあそれはさておき、王子妃のあなたがなぜこんなところに?」
「ロイさまこそ」
「ロイでいい。今日はお互い無礼講だ。――そうだな、こういう時は気遣って『休憩』などと言って誤魔化すのが道理なんだろうが、飽きたとでも言っておこうか」
「飽きた?」
「面倒なんだよ」
「?」
ますます分から無さそうな表情をするわたしにロイは言葉を噛み砕いて説明する。
「一つの空間に閉じ込められ、好きでもない女と踊らされた挙句、終始笑顔を繕っていなければならない息苦しい時間が」
「変わっておられるのですね」
「そうかな。では訊くが、リミューア妃はなぜここに?」
「わたしは……」
そこまで言いかけてわたしは口を噤んだ。
本来ウィルズと一緒にいなければいけないはずのわたしが、何故こんな人目のつかない場所にいるのかなど口が裂けても言えそうにない。
ならば人見知りの激しいアーシェの面倒を見てあげるため、とでも答えておこうか。
でもそれではなんだか取ってつけたような言い訳に聴こえる気がする。
答えあぐねて俯いていると、急に彼の手がニュッと伸びて来て、わたしの手をそっと引っ張った。
「俺もやることが無くて手持ち無沙汰だったところだ。よければ今から広間に戻って暇潰しに一曲踊らないか?」
「で、でも」
「それとも何か戻りたくない理由が?」
気を遣ったのか、ロイは握っていたわたしの手を解放して一歩退く。
メリッサとウィルズが仲睦まじげにしているのを見るのはなんだか気が引けたが、彼の手を放したままでは、戻りたくない理由があることを肯定するようなものだ。
しかもあの女にうつつを抜かすウィルズの横顔を想起すると、なんだか自分もやるせない気持ちになってきた。
どうせ自分も手持ち無沙汰に変わりは無い。
「いいえ。では是非一曲」
わたしは自らロイの手を取った。
香水を送ってくれた人の件では第9話を参照。




