第18話 側妃の女 ☆
後半にR15(隠語的)表現あり
夫の側妃を初めて見たのは、それからしばらく経ったある日のことだった。
結婚式の後、王宮で開かれた夜会にその女は現れた。
しっかりとウィルズの腕を握り、エスコートされながら登場した側妃――メリッサは赤と黒のコントラストが印象的な一風変わったドレスを纏っていた。
女にしては背が高く、そのすらっとした容姿を構成するのは、男が思わず目で追ってしまう豊かな胸元。引き締まった腰。そしてスリットの間からのぞかせる美脚。
容貌も息を呑むほど美麗で、緩やかにウェーブがかった金髪は絹糸のように美しい。
しっとりと湿ったピンク色の唇は朝露を纏う花を想起させ、つぶらな瞳の中には漆黒の闇が下りている。
彼女を一言で表すなら、『美姫』。
メリッサはわたしより何倍も女らしく、そして艶めかしかった。
自分で自分を艶めかしいというのはおかしいが、ウィルズの寵を一身に受けていると自負しているわたしでも気後れしてしまうほどの妖艶さ。
その小顔に映る優しげな笑みは見る者を魅了し、だれも虜となる。
されども目は常に翳っている。
花に例えるなら薔薇といったイメージ。
一見するところは見目麗しく非のつけどころの無い完璧な女。
でもその奥底には決して外界に出てくることのない深い闇――トゲが隠れている。
ピュアというより、一癖も二癖もありそうな女だという印象を抱いた。
――☆――☆――
舞踏の会場となっている大広間には大勢のギャラリーが駆け詰めていた。
爵位を有する貴族やその子、文武官が主な内訳で、その数は半年前に盛大に執り行われたリミューアとの結婚式より多い。
式に参加する者の身分制限を行った前回と違い、今回は参加可能な者の数を増やしたことも一理あるが、やはり最たる理由はフォルニクス家の家臣・一族郎党らによる祝賀参加という割合が大きい。
晴れて夫婦となった二人が登場すると、会場は拍手でどっと沸いた。
口元に扇子を添えて談笑していた貴婦人らは、急に現れた貴公子に釘付けとなり、ワイングラス片手に広間の舞踏を眺めていた男らは美麗なる妃を目で追いかける。
「一曲、僕とどうだい」
赤い絨毯が敷かれた階段を降りたところで立ち止まり、自らがエスコートする側妃にそっと問いかける。
「ええ、喜んで」
メリッサは口端をニュッと上げて微笑し、ウィルズの腕を掴む指に力を入れた。
ウィルズはメリッサの手を取り、軽いステップを踏みながら上手く舞踏の波に乗る。
お互いに今日知り合ったばかりとは思えないような息の揃った歩調。
手を握るウィルズが腕を上げてわずかな間合いを開け、そこにメリッサの細い肢体が滑り込む。
勢いよく方向転換した際に赤いドレスが外側に揺れ、スリットの部分が大きく開いて白い脚が見えると、男性陣からは密かな歓声があがった。
しかし数分もすればさすがに飽きてきたらしく、広間で踊る新郎新婦から視線を逸らし談笑が再開されるようになった。
「君とこうして再開することになるとは思ってもいなかったな」
周囲の目が薄れたことを確認し、ウィルズは新婦の小さな手を握りながらそう言った。
一方のメリッサは新郎の顔を見上げて笑む。
「あら、嬉しい。私のこと覚えておいででしたのね」
「君を忘れるほど耄碌していない」
「それはまだ私を恋愛対象として見てくださっているということ?」
ウィルズは苦虫を噛んだような複雑な顔をしてみせる。
「メリッサ嬢。僕が君を恋愛対象として認識した覚えは一度もないが」
「まあ、『嬢』だなんて余所余所しい呼び方しないで。メリッサで結構ですのよ」
「君は僕の話を聞いていたか?」
「ええ、聞いておりましたとも。……旦那さまも15年前はあれほど私のことを想ってくださっていたのに――」
あからさまに落ち込んだ風貌でそう言い、踊りながらチラチラッとウィルズの顔色を確かめる。
でも口が笑っている。本気で落ち込んでいるわけではないらしい。
「言っただろう。僕はそもそも君に恋などしていなかったし、僕が今愛しているのは正妃で、」
「私のことは愛していない」
闇色の目がギラッと煌る。
さっきまで優しげだった美顔に突如として浮かんだおぞましい形相にウィルズは気圧された。
「そうでしょう?殿下がおっしゃりたいことは」
別に「愛しない」と断言するわけではなかったが、その旨をやんわりと伝えるつもりだった。
言おうとした言葉の核心を突かれた以上、何を言っても言い訳にしかならない気がして、ウィルズはそこまで出かかっていた弁解の文句を呑み込む。
「私のことは一生愛せない?」
「そうじゃない。現時点では――の話だよ」
「ということはこれから私を愛するという選択肢もおありで?」
「無論その可能性もある」
「曖昧なお答えをなさるのね。側妃の私を素直に『愛する』と言ってしまえばリミューア正妃殿下が傷つくとでも?」
メリッサの浮かべる微笑は凍てついていた。
内心で抱いていたはずの煩悶を見事に当てられ、どうやって隠そうにもすぐに狼狽が顔に表れてしまう。
公爵令嬢は動揺を隠しきれない新郎を見て満足そうに笑い、スッと音もなく身を寄せる。
「私、殿下をお慕いしておりましたのよ?初めて出会ったあの日からずっと」
「へえ、それは初耳だ」
「ウソじゃありませんわ。ほら」
メリッサは前触れもなくウィルズの手を握ると、それを自分の豊かな胸元に押し当てた。
赤ちゃんの頬を触るような柔らかい感覚と共にじんとした熱が手の平から昇ってくる。
「わかりますか?この激しい鼓動。殿下と一緒に舞踏できると知って嬉しくて嬉しくて――ずっとこんな感じですの。こうしてあなたさまに抱かれると胸がドキドキして落ち着かないし、体も疼いて」
今度はウィルズの手を周りに見えない角度で下腹部へ移動させる。
「もう我慢できないくらい濡れてますわ」
その瞬間、心臓に電撃のようなものが走った。
メリッサの手を振り払い、その手をドレスから遠ざけるのと曲が終わるのはほぼ同時だった。
「君は――」
あまりに一方的なやり取りにウィルズが反応できないでいる中、メリッサはクスッと微笑を浮かべると略式の礼をして身を遠ざける。
「こんな私と踊っていただき、ありがとうございました」
「……も、もう終わりかい?」
「ええ。できればご一緒したいですけれど、ほら、」
逸らした視線の先には、口を尖らせて不満気な表情を浮かべる正妃の姿があった。
王子を愛する正妃の前で側妃がいつまでも仲睦まじげに踊っているのもよろしくないと思ったのだろう。
「あんまり長い間ご一緒して妬かれたくもありませんから」
メリッサはどこか寂しげに笑って踵を返す。
「『その気』になったら、いつでもいらっしゃってください」




