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第14話 春の園遊会 Ⅱ


 背後からタッタッタと聞き覚えのある軽快な足音が聞こえ、パッと振り向くと同時に膝元あたりに硬い何かがぶつかった。

最初はイノシシでもやってきたのかと思ったほどだ。

おかげで後頭部から倒れそうになり、あわてて侍女長のリサが背中を支えてくれた。


「あ、アーシェお嬢さま!?」


ぶつかって来たのはフランシア王室の王女、アーシェ。

ドレスの上からわたしの両脚にしがみついていたアーシェは、ニコッと笑んで手にしていた一輪の花を差し出す。


「これあげる!」

「まあ。勝手にお花を取ってしまわれたのですか?」

「だって向こうにいっぱい咲いてるもん!」


あたかも自分が正当であるかのような口調。

本来ここに咲いている花は採取するためではなく観る為にあるのだが。

……まあそんなことを5歳児に説教したところで変わらないか。


 差し出されたパンジーの花を受け取ってまじまじと見ていると、アーシェはじれったそうにわたしのドレスを引っ張ってきた。


「ねえねえ、あっちでアーシェと一緒にお花摘みしよ?」

「お花摘み?」

「うん。見て、向こうに珍しいお花がいっぱい咲いてるの!」


『いっぱい』の部分をアピールしたい彼女は小さい腕を精一杯広げて見せる。

わたしも普段なら快諾しただろうが、なにせ園遊会で色んな人が来ている。さすがに公衆の面前で花々を手折ることは、自分が王子妃だからといってもあまりよろしくない。


「お花摘みより、わたしと一緒に御苑をまわりませんか?」


どうせウィルズは公務で忙しいし、二人で園内をまわるとなればアーシェの面倒見とわたしの暇つぶしにもなって一石二鳥だ。


――が、


「ヤダ!つまんないもん」

「でも向こうにアーシェさまのお好きなケーキがあると聞きましたけど」

「もう食べたからいいの」


いつの間に。


「ねえリミューお姉ちゃん、それよりアーシェとあっちでお花摘みしよ?」


ね? とわたしのドレスを握ったまま念を押してくる。

決して気乗りはしなかったが、断った時のアーシェの反応を想像すると断るに断れなかった。


「わかりましたわ。でもわたしも忙しいからちょっとだけですよ?」

「はーい!」


本当に分かってくれたのかしら、などと内心でため息をつきつつ、わたしはアーシェに引っ張られるがままに御苑西端の大花壇に連れられた。





 階段式になっている花壇には色取り取りのマリーゴールドが植わっていた。

オレンジ、黄色、赤みが強い紅色など、その種はさまざま。

その花壇の脇ではパンジー、チューリップといった春咲きの花々が甘い香りを漂わせている。


中にはこの地域には珍しい東洋の草花を植えたものもあり、アーシェはピンク色の花を咲かせる椿の前で立ち止まった。


「お姉ちゃん、あれとって」

「これ?」

「うん!」


低身長ゆえ手が枝まで届かないアーシェの代わりに花を取ってやると、彼女はまたすぐに移動し、別の樹の下で「これとって」や「あれとって」とわたしにねだるのである。

しまいにはスズランを植えた花壇の前に座り込み、一本一本摘んでいく始末。

わたしも昔よく庭園の花を摘んで姉に花飾りを作ってもらっていたが、アーシェの場合、花の大きさや種類から察するに花飾りが目的では無いらしい。

かといって押し花にしては数が多すぎるし。


「アーシェお嬢さま、そのお花は一体どうされるおつもりですか?」


するとアーシェは小さな手に握っていた花々をわたしに押し付けて微笑む。


「明日ね、お母さんのお墓に行くの。だからお供えするお花集めてる」


その瞬間、わたしは手渡された花を落としそうになった。




――おとといになろうか。

わたしはウィルズの執務室でいつものように会話をしていた際、こんなことを問うたことがあった。



「ねえ旦那さま、アーシェお嬢さまの御母上はどのような方ですか?」



すると書類と睨めっこしていた彼はハッと顔を上げ、油が切れた機械のようなぎこちない動きでこちらを顧みた。


「アーシェの?」

「ええ。彼女のお母上に一度でいいからお会いしたいと思ってましたの」


ウィルズはどこか躊躇した様子でわたしから視線を逸らす。

わたしにはその意味がわからなかったけれど、あえて何も言わず彼からの回答を待つことにした。

しかし返ってきた答えは自分の期待を裏切る衝撃的な内容だった。


「僕の主観だが、すごく綺麗かつ謙虚で下々にも優しい、まるで聖母のような人だった」

「だった?」

「アーシェの母親は3年前に謀殺されたんだ」

「そんなっ――」


思わず両手で口を覆う。

当初はウィルズがわたしを驚かせようとしているだけかと思っていたものの、その真摯な眼差しを受け、真実なのだろうと悟るに至った。


「あの人は悲しい人だった。嫌疑をかけられるような振る舞いをしていたわけでもなかったのに、ある日突然、『王の茶に毒を盛った』とあらぬ疑いをかけられたんだ。それが冤罪だったにも関わらず彼女は無理やり牢獄に入れられ、無罪主張も受け入れられぬまま死刑執行前日にアーシェを残して自殺した」


夫の視線は机上の紅茶に落ちた。


「その……ごめんなさい。訊いちゃいけないことだったなんて知らなくて」

「黙っていても仕方ないことだから構わないよ。ただ、アーシェはこのことを知らない。彼女には知らせないであげてくれ」



わたしは死んだ魚のような目をするウィルズの横顔を思い出していた。

いつもニコニコしている彼があれほど落ち込んだのは、結婚して間もないとはいえ見たことがなかった。


 そう、アーシェには母親がいない。


甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる女官は沢山いるが、彼女らも所詮はうわべだけの付き合いに過ぎない。

ましてやアーシェは王家の末っ子ゆえ同年代の友達は一人もおらず、いたとしても身分が違いすぎて到底逢うことはできない。


アーシェはわずか5歳にして一人ぼっち。


いざとなれば頼れる身寄りもない。

まだまだ母に甘えたい年頃であるにも関わらず、彼女は常に一人で過ごし、夜も女官に見守られながら一人で眠るという。


彼女は母親の温もりも愛情さえも知らないのだ。




「リミューお姉ちゃんどうして泣いてるの?」



わたしはアーシェに顔をのぞき込まれるまで自分が涙を流していることに気付けなかった。

ふと我に返った途端にじわりと目元に熱い気配を感じ、あわてて袖で涙を拭う。


「な、なんでもありませんわ」


なぜ、と訊かれても、ウィルズと約束したからアーシェには真実を言うことができない。

いずれ話さなければならない時が来るのはわかっている。

それでもわたしの口から真実を語りたくはない。

真実を知ってアーシェが涙を流す様を見たくないから。


わたしは何とか話を逸らそうと別の言葉を探った。


「それより、摘んだお花をあまり長いこと放置しておくとしおれてしまいますから、花瓶など持ってこさせましょうか?」

「うん!おねがい!」


わたしは立ち上がると同時に、側に立っていた侍女長のリサに花瓶を取って来るよう命令した。

リサは手元にない花瓶を用意しろと言われても特に慌てた様子もなく、「かしこまりました」といつもの調子で低頭してから宮殿の方へ駆けて行った。



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