聖獣スレイフォンレイブ
寝床は近づいてみるとやはりその大きさに驚いた。
アリヴィードも確かに大きかったが、寝床の大きさから推測するにスレイフォンレイブはそれよりも一回りは大きいだろう。
幸いにも寝床があるのはそれほど高くない場所で、しかもなんとか登れる程度の細いが道がある。
「俺たちはあまり近づけない。用心だけはしてくれ」
心配そうな目でネイトがフィリアの肩を叩いた。
「大丈夫。今回わたしはこのために来たんだし、それに途中の戦闘では楽させてもらっちゃったしねっ」
せめて少しでもその心配を無くそうと、フィリアは努めておどけたような声で笑った。
「何かあればすぐに行くようにしたいけど、やっぱり時間はかかるから多少持たせておいて」
「フィリアさん、お気をつけて」
「フィリア嬢、どうか妹のためによろしく頼む」
カイオールとレミアータが万が一のときを予想して、フィリアを安心させるように腰の剣を利き手で軽く叩く。
ジルオニクスが必死さを押し殺した声でフィリアの瞳を見つめた。
「はいっ。任せておいてください!」
そしてフィリアは寝床に向かって真っ直ぐに上り坂をあがり始めた。
15巡も上り坂を登ると、寝床は目の前にある。すでに皆がいる地上はだいぶ下に見えていた。下から見たときよりも高く見えるのは精神的なものか。
そうして更に一歩踏み出せば、そこは聖獣の領域だった。
(聖獣さんは…、どこに…? もしかして今は散歩中とかだったりしたのかな…)
警戒を緩めずにあたりを見回すと、遠方から黒く大きな影がこちらに向かって飛んできているのが見えた。
(来る…っ!)
息を詰めたのと同時に、黒かった影は物凄い速さでフィリアに接近してその全貌を顕した。
光を反射して、白というよりも銀色に輝く毛並み。額には大きく鋭い黄金の角が1本生えている。
翼は柔らかそうでありながら、しかし迸る魔力で溢れており、その力強さに思わず息を飲むほどだ。
まるで澄み切った青空を思わせるような美しいくも恐ろしい瞳がフィリアを見つめる。
聖獣スレイフォンレイブが彼女の前に降り立つと共に強烈な風があたりを包むが、不思議とフィリアにその影響がない。恐らくはスレイフォンレイブが自身の魔力を操作して、フィリアに風が向かないようにしているのだろう。
(これがスレイフォンレイブ…!)
その緻密ながらも凄まじい魔力制御に同じ魔力をというものを扱う魔法使いとしてフィリアは衝撃を受ける。
『清らかなる魔導の乙女よ…、我に何用で参った』
突然、まるで頭に直接響くような声がフィリアに届く。
人語を解すると言っても、肉体構造的に話すことができるわけではない。故に会話が可能な幻獣や聖獣、魔獣などに関しては一部を除いて念話と呼ばれる思念による会話が成される。
対話が始まったことで、フィリアの気持ちも一段と引き締まった。
そうしてローブの裾を摘んで、中腰で頭を下げる。謁見の間でやったような淑女の礼だ。
「突然の拝謁、誠に申し訳ございません。わたしはフィリア=グランツェリウスと申します。リフェイル正統王国の王都ミュントイルスで雑貨屋を営んでおります魔法使いでございます。わたしの事はどうぞフィリアとお呼びください」
『ふむ、ひとまず面をあげよ。それでは魔法使いフィリア、今一度問おう。何用で我が前に参った』
ファーストコンタクトはとりあえず成功か。
問われたフィリアは姿勢を正して、聖獣と向かい合う。ひと呼吸をおいて気分を落ち着かせ、彼女はゆっくりと口を開いた。
「今、我が国の王女であられますシャールロット姫が魔物の毒に侵され、生命の危機に瀕しております。その毒は特殊なもので通常の解毒の薬では癒すことができません。
毒を癒すためにはレイビィトの霊薬と呼ばれる秘薬が必要なのです。しかしこの秘薬には貴方様の角が必要不可欠でございます。この度、わたしは貴方様に少しで構いませんので、角の一部を譲って頂けないかと参りました。ご無礼を承知の上で、お願い申し上げます。どうか我が国の姫をお助け頂けませんか?」
フィリアが願いを告げると、スレイフォンレイブの纏う空気が一気に膨れ上がった。
『我が角を一部とはいえ、望むと申すか! 身の程を弁えよっ』
「………っ!!」
荒れ狂う風と共に、フィリアに凄まじい思念が叩きつけられる。そのあまりの衝撃に彼女は思わず頭に手をあてて膝をついた。
『小さき人間が、我の角を望むとはなんと身の程知らずよ』
思念を弱めて、もう一度スレイフォンレイブがフィリアを見下ろす。その瞳には大空の王者に相応しい圧倒的な力が漲っている。
その瞳に射すくめられ、フィリアの心は折れそうなったが、今ここで自分が折れたら王女様はどうなると力を振り絞って立ち上がった。
「無礼なことを申しておりますのは重々承知しておりますっ。しかし、どうかお願いします! わたしの国の姫をお助けくださいっ! 姫をお救いできるのは貴方様しかいないのです、どうか、どうか…っ!!」
フィリアは必死に頭を下げる。今の自分にはそれしかできないと分かっているし、それ以上の事などしても意味がない。
悲痛とも言えるような声をあげて、頭を下げ続ける彼女を聖獣は頭上から黙って眺め続ける。
そうして短くはない時を経て、スレイフォンレイブがゆっくりと瞳を一度閉じ、そうして再びそれを開いた。
『フィリアよ。して、我が角を分け与えたとして、汝は我に何を差し出す。何も渡さずに施しだけ受けられるなど思ってはないだろう』
望みは繋げた。フィリアは頭を下げながらも、その目に光を宿らせる。
「わたしに差し出せるものならば、何でも差し出します。この身をというならば、それも構いません」
大切な誰かが死ぬのは悲しいことだ。まして王女ともなれば国の皆が悲しむだろう。フィリアはそれが嫌だった。
とはいえ、自身の命をということはないと彼女は考えているのも確かである。
なぜならば、聖獣は人を食べない。そして本来の彼らの役目は人間の守護にあるからだ。
本来ならば許されないかもしれないが、この時だけはフィリアは眼前の偉大なる聖獣の双眸を見つめ返した。
『………。承知した。ならばフィリアよ、汝に1つ頼み事をしよう。それを見事成せば、我が角をひと欠片譲るとしよう』
スレイフォンレイブは目の前に立つ、小さいが潔い少女に一度だけチャンスを与えることにした。
自分の前に立ち、普通の人間ならばそれだけで失神するような気を当てて、未だに衰えぬ光を瞳に宿す者。その打算を含んだ考えさえも、自身の前で成したならば、それは賞賛に値する。
フィリアを評価している聖獣に対して、当の本人は警戒を高めた。
聖獣が頼みごとなど、並大抵では有り得ない。まして自身の誇りである角を一部とはいえ賭けるのだ。それ相応のものだろうし、頼み事という名の恐らくこれは試練だろう。
「わたしに頼み事、とは如何様なものですか?」
『誰の手を借りても良いが、大規模に環境を破壊することは禁ずるという条件で、とある魔物を討伐してもらいたい。それが我の頼み事だ』
頼むと言いながら、威厳に満ちた声で聖獣はその内容を告げた。




