蛇
フィリアは重い瞼をゆっくりと開けた。
あたりは光が弱く、薄暗い。背中に当たっている硬い感触は壁か。ひんやりとした地面が、寝ているうちにフィリアの体力を奪っていたようで、身体自体が鉛のように重くなっていた。
目線を前に向ければ鉄格子が目に映る。それでどうやらここは牢屋のようだとフィリアは判断した。
「ひとまず…、生きてるみたいだね」
声を出すと、喉がひりついた痛みを返した。長時間にかけて水分を摂っていなかったとき特有の痛みだ。
彼女は不快な喉の痛みに顔をしかめると、自分の体の状態に意識を集中させた。
(残りの魔力は、1割くらいしか残ってない。……魔法を使うのは無理だね。身体は痛い、けど骨に異常は無さそうなのはまだマシかな。ただ、体力には不安が残るよね。とりあえず水分が欲しい……。あとは眩暈が酷いけど、これは魔力の使いすぎかなぁ)
確認した状態は相当悪かった。特に、フィリアの頼みの綱である魔法が使えないことは最大の痛手だ。
魔法薬が使えれば魔力の回復の目処も立つのだが、武器はもちろんアイテムポシェットも取られている。
そこでフィリアは1つ調べていなかったことを思い出して、慌てて服装の乱れがないかを確認する。眩暈のせいで起き上がることは出来なかったが、動かせる手だけで届く範囲は確認をした。
フィリアも女の子である。そういうことがある可能性も考えには入れていた。誘拐、牢屋、気絶の危険ワードが3つもつけば、身の危険を感じるのも当然だ。
幸いにも確認した範囲では服装の乱れはなかったので、フィリアはひとまず息をつく。
(取られたのはアイテムだけかぁ。ポシェットの中身はわたし以外は手をつけられないように細工をしてあるけど、売られたらやだなぁ……)
特に杖に関しては杖に関してはとある事情で、売られるのは本当に勘弁して欲しいところだった。
(はぁ……。まぁ今は仕方がないかな、動けないしね。……アルくんとメイちゃんは無事に逃げられたかなぁ。捕まって別の部屋に、なんてことないと良いんだけど……)
装備類については今は仕方がないと諦めて、逃がしたアルタットやメイルディアに考えを移す。
追っ手のゴレムスたちの数は減らしたが、それでもまだ2体は残っていた。自分が生きてここにいるということは、1体はフィリアにかかりきりになったとしても、もう1体がふたりを追った可能性はある。
(レミさんが無事で、ふたりと合流してくれていたら大丈夫なんだけど)
レミアータの姿を確認していないため、そこが最大の不安要素だった。もちろんレミアータのことは信頼しているが、それでも傷が深くてすぐには動けないということもありえるのだ。
(いけないなぁ。ひとりで考え事してると悪い方に考えがいっちゃうよ……)
体力が落ちていることも原因の1つだろう。マイナスに行ってしまう考えを、フィリアは無理矢理に打ち切った。
そこで静寂を保っていた部屋に変化が起きる。
(足音…? だれ……?)
牢屋の外で扉の開く音がすると共に、複数の足音が聞こえてきた。聞こえてくる音の数から人数は3人か。
足音はフィリアのいる牢屋の前で止まる。フィリアは念のために意識を取り戻していないふりをすることにした。
「これはこれは、目覚めているようですねぇ」
(……気付かれてるっ)
しかし牢の前にいる人物のひとりにすぐさま看破されてしまった。
「呼吸とかがですね…、意識がある人間といのは違うのですよ」
「……そうですか。なら、これ以上寝たふりをしていても仕方がないですね」
完全に気がついてる相手に対しては、これ以上は意味がないとフィリアは判断して目を開ける。
そして弱みを見せないように、なんでもないかのように身体を起こした。
(立てないのが厳しいな…)
上体を引き起こすことはなんとかできたが、酷い眩暈は未だに抜けず、立ち上がることは叶わない。
それでもせめて、と目に力を込めて目の前の3人を睨みつける。
「おやおや、これは中々に元気なようで結構ですねぇ」
そんなフィリアの様子を愉快そうに見下ろしているのは、蛇のような雰囲気を纏っているひょろりとした男。
顔に見覚えはないが、仕立ての良いスーツを身に纏っていることから、それなりに高い地位かもしくは財力があること分かった。
歳は20代後半くらいだろうか。一見してみればごく普通の人間に見えるが、魔物のような嫌な気配をしていることがフィリアには感じられた。
そしてその背後にはさらにふたつの影。しかし、その服装や顔につけている見慣れた仮面から、護衛用のゴレムスだということはすぐに分かる。
「………あなたに聞くのは嫌なんですけど、ここはどこですか? それと、何のためにこんなことをしたんです?」
「ふむ。答えるとは思っていないけれども質問をした、と言ったところでしょうかねぇ。たとえ答えなかったとしても、私の言動から手掛かりを探ろうとでも考えているのでしょう。大変ご立派なことですねぇ」
「はぁ…、分かっているなら結構ですよ」
嫌味な口調でフィリアの考えを読んでくる男に、フィリアは苛立ちながらため息をついた。
「ああ、どうやら気を悪くさせてしまったようですねぇ。これは失礼。これは癖なのですよ」
「そうですか…。それで?」
「そうですねぇ、それではお詫びにここがどこか、ということだけ教えて差し上げましょう」
男は芝居がかった動きで一礼する。その動きひとつひとつがフィリアを苛立たせるかのようだった。
「ここは貴女方がいた遺跡から東へ1キロほど進んだ場所にあるちょっとした隠し洞窟ですよ。洞窟、とは言ってもすでに私たち専用の離れ、と言った方が良いかもしれませんがねぇ」
「………それを証明する方法は?」
「残念ながら信じて頂く他にありませんねぇ」
にやついた顔がフィリアの精神を逆撫でにする。不快感がまるで身体中にまとわりつくようだった。
「それで? 何の御用でそんな辺境まで?」
「ああ、それはですねぇ。目的とは少しばかり違ってしまいましたが、予想外に別に狙っていた人物を確保できたので、少々細工を施しに参ったのですよ」
男はそう言いながら懐に手を入れると、そこから1本の薬瓶を取り出した。
中に入っている薬は毒々しい色味をしており、薬の知識に対してはそれなりに自信があるフィリアからしてみても見たことがないような物だった。
だが、禍々しい気配だけはしっかりと伝わってくる
「まさか…っ」
男がこれから自分に何をするのかが容易に想像がつくために、焦ったようにフィリアは顔を歪ませた。
「察しが良くて助かります。ええ、ええ、これから貴女にはこちらを飲んで頂きますよ」
「このっ」
予想通りの言葉にすぐさま反撃に出ようと、目眩を無視して立ち上がったフィリアたが、男の背後に控えていたゴレムス2体にそのまま地面に倒されて拘束されてしまう。
「………っ」
「安心して下さい。乱暴は致しませんからねぇ。貴女には清き乙女という価値がありますから、それを貶める真似はしませんよ」
男はフィリアの前にしゃがみこむと、ゆっくりと薬瓶をフィリアの口元に近づけてくる。
「離して…っ!」
「大丈夫ですからねぇ。飲んでしまえば楽になりますよ」
拘束を抜け出そうと身体を捩って暴れるフィリアに、粘ついた嫌な笑みを顔に貼り付けて、男は薬瓶の飲み口ををフィリアの口に押し込んだ。
「ぐ…っ!」
必死に薬瓶から逃れようと頭を振るフィリアだが、その動きを1体のゴレムスが押さえつける。
「さぁ、さっさと飲んでしまいましょうねぇ」
フィリアが動けなくなると、男は薬瓶を傾けて一気にその中身をフィリアの口に流し込んだ。
「……っ! ……んっ、んんっ!!?」
流し込まれている物をなんとか吐き出そうと、フィリアはは抵抗を試みるが、呼吸を制限されて最終的には全て飲み干すことになった。
口の端から零れた液体をそのままに、彼女の体から意識と共に力が抜けていく。
「さて、それではしばらくしたらまた参りますよ」
ぐにゃぐにゃした視界の中、男たちが牢から立ち去って行く様子が見えたのを最後に、そのままフィリアは意識を失った。




